暑いし雨だしコメ不足だし弱ったものだ。
桂米丸師(99才)が亡くなったら急にコメ不足が言われるようになったが
米丸とコメで何か因果関係でもあるのか。
ヨネスケだって 米米CLUBだって健在だ。
「暑気払いでもしようや」と旧「だくだく会」(俳句)残党で四谷。夏のふぐを楽しむ。
左近師が亡くなったので我が友 橘右橘(うきつ)がグーンと偉くなったよう。
寄席文字の大家(たいか)であるが小遊三が所属する「大有企画」の社長でもある。
大昔「ビバリー」のディレクターでもあった藤原龍一郎(歌人・短歌界では大家)やら
立川左談次未亡人ら10人程が集まりにぎやか。
右橘が皆に配ってくれた これは珍しい
「ホンコンやきそば」。
昭和30年代後半か 若き日の談志が
CM「ホンコンやきそば ホンコンにウマイよ」とやってバカウケ。
このやきそばがバカ売れした。なつかしい。
右橘は「千社札」の会もやっていて「左近師追悼」の回を沢山持ってきてくれた。
キチンと彫って刷って……浮世絵とまったく同じである。
左近師は おなじみ「笑点暦」やら新宿末廣亭の文字すべてを書いた。
イラストがよく似てる。
下段一番左に私の名(立川藤志楼)が入っているのが嬉しいし格好いい。
ちょっと粋。
志ららが飛びまわって いきなり立川流が社団法人化したら
ニッポン放送にとっさに集まった。
8月26日(月) ゲスト談春。
本番終わったら 談笑が弟子の吉笑をつれて来た。
11月6日(水)の「談笑の会」(内幸ホール)に私がゲストで出るのであいさつ。
出来のいい新作・吉笑が来春 真打昇進なのでついでにあいさつ。
何やらさわがしいので別のスタジオで収録していた晴の輔(笑点)もとんできて
志ららも入ってカシャリ。
左から志らら、吉笑、高田、談春、談笑、晴の輔
「オレも入れろ」と談志の声もきこえそう。
松本明子が舞台をやるからとチラシをくれた。
アッコとイジリー岡田しか分からない76才。
ジャニーズだからチケットは大丈夫らしい。
大阪、豊橋とやって東京は10月10日~14日 東京国際フォーラム・ホールC
「トンデモ?ピーターパン」
右は台風の為なかなか見に行くことができない映画「マミー」。
「和歌山毒物カレー事件」林真須美は犯人ではないという。
だったら真犯人は?クゥ~~見てぇ。
ふてぶてしすぎる一之輔が満載。
これを1冊書く為おびえながら何年もインタビューしてやっとまとめたライターの
腰のひけ具合が少し笑える。
私が長いこと仕事でもプライベートでも付き合った談志やたけしは
こんなもんじゃなかったからネ。
誰も近寄れない。私のみ。“猛獣使い”といわれた。
私は平気で「火の輪くぐり」までやらせた。
芸人を愛するとは そういうこった。
「東京降りたことのない駅」
著者 本橋信宏の本にハズレなし。
「全裸監督」「上野アンダーグラウンド」などみごと。
駅とはいっても この人の本だから そこに事件があり事故があり人間が居る。
「JR常磐線・三河島駅」
そう あの三河島事故である。
「大江戸線・森下駅」
白昼の通り魔 川俣軍司。
今のコンプラでは大変なことになるが「川俣」になった小遊三、裸で包丁。
警官のたけし、鶴太郎にとり押さえられる。
最後に「グンジのパンツは グンゼのパンツ」。
これをTVとライブEGGMANでやった。
当時も私、こっぴどく怒られた。
1981年の事件である。
「山手線・田端駅」
「僕の母は狂人だった」と書いた芥川龍之介が住んだ町。
「小田急線・代々木八幡駅」
安倍晋三元総理の住居があるマンション。
すぐ近くの富ヶ谷で私は生まれた。
〈急告〉近々「第二回 未亡人の会」開催。
各自未亡人について学んでおくように。
当日各自1個スキャンダルを用意すること。
ひばり、明菜を越えるものが喜ばしい。
9月6日
高田文夫
2025.08.04
第136回『いよいよオール日芸寄席IN金沢』
残酷すぎる暑さの中、出版業界のこの夏の話題は「月刊Takada2」と「爆弾犯の娘」の二点にしぼられたらしい。本当か。 “爆弾”問題の太田も田中も深夜 熱く語っていた。 ...
2025.07.21
第135回『月間Takada もう一冊!高田文夫』
ジャーン! 急告! 突然ではありますが 昨年6月刊行した「月間Takada」の「その2」が完成し発売なのです。 「月刊Takadaその2 もう一冊!高田文夫」が7月...
2025.07.04
第134回「爆弾犯の娘」
77才(喜寿)になったというのに身辺バタバタ落着かない毎日。孫と息子達ひきつれお祝いだからと食事会。 そんな所へ60年ぶりに爆弾犯からの便り。娘がこの度、本を出したのだ...
2025.06.23
第133回『喜寿カード』
前回ここに「長嶋茂雄死去」の読売新聞一面を載せたら、ある筋から「ダメだ」と。新聞記事って勝手に載せちゃいけないのか。この業界で55年もやって来て初めて知った。 他の人間...
2025.06.12
第132回『長嶋茂雄』
とうとう この日がやってくるとは。 「昭和100年」とは「さよなら長嶋」のことだったのか。 6月3日死去。当然「3」の日である。翌4日、長嶋の公式新聞「読売」の一面。...