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2022.02.11

プロレーサー青木拓磨が語る、「ルマン24時間」への挑戦の舞台裏

プロレーサーの、青木拓磨さん登場。

オートバイの元世界グランプリ(GP)ライダーで、

事故で車いす生活となった後も四輪レーサーとして活躍する青木拓磨さん

去年8月には 世界的なレース「ルマン24時間レース」にも参戦。完走。

不屈の闘志を持つ青木さんのレースにかける思い、

「ルマン24時間」への挑戦の舞台裏を伺いました。

青木拓磨のモータースポーツチャンネル – YouTube コチラ

ツイッター コチラ

オフィシャルサイト コチラ

 

脊髄損傷事故を乗り越え四輪レーサーで復帰                   

二輪のレースで世界チャンピオンまですぐそこというところまできていたのが

テスト中、転倒して脊髄を損傷、車いすの生活になってしまった。

しかし、あまり絶望感はなかった。

ただ、レースができないことへの悔しさがあった。

2007年に四輪レースに転向。

昨年8月には「ルマン24時間レース」に参戦、完走。

ルマンに出るという目標があったから絶望がなかったのかもしれない。

自分の中で二輪のレースはもうできないから、四輪にいこうと

頭の中でスイッチが切り替わった。

最高峰の「ルマン24時間レース」は

レーサーの誰もが出たいと思うもの。

公道を使い、通常時速80~90kmの制限速度のところを

自分たちのマシンで300kmを超すスピードで走っていく。

通常足でおこなうアクセルとブレーキも手でおこなう。

手にかかる負荷は50kg。

ベンチプレスで100kgあげられるくらいでないと難しい。

 

 

ルマン24時間レース        

昨年8月にルマン24時間レースに参戦。結果は334周32位。

ハンディキャップがあり、通常ピットロードで行うドライバーの交代を

ピットボックスに一度車をいれておこなったことでロスタイムがでてしまった

1回に2分から2分半のタイムロスで、これが17、18回あるので、

ロスタイムを計算すると、25位くらいとなり、

真ん中以上の順位に上がれたかと思う。

ルマンは、20台以上がリタイヤする過酷なレース。

今回のレースでも、トップにいた車がラストラップで止まってしまい、

優勝を逃した。

これはルマンを完走する、優勝することがいかに厳しいかということを

象徴している。

自分は、チェッカーフラッグを受けた時、泣いてしまった。

今回の大会はコロナの影響で入場制限がされ、

本来20万人の観衆を5万人に抑え、

関係者が入るパドックも応援してくれる人が一人も入れない状況だった。

次にルマンに挑戦するときには、観客が20万にいて、

関係者、応援してくれる人がパドックにいる完璧な状況でできるといい。

 

 

ルマンへの挑戦        

ケガをしたとき、日本で四輪のレースに出ようと思ったが、

当時、レースを出るのに必要なライセンスが、

障害を持っているドライバーへの発給が難しかった。

日本でレースができないなら海外でレースをしようと思い、

2007年にアジアクロスカントリーラリーや、パリダカールラリーなどの

単独でやるタイム競技に参戦を決めた。

ルマンへの挑戦は、四肢欠損の障害をもつ、

フレデリック・ソーサ氏から届いたメールがきっかけ。

彼は、車を改造してルマン24時間に参戦、完走をした。

彼の全員障害者のチームをつくり、ルマン24時間にカムバックするという

プロジェクトに、アジアから、自分が選ばれ、

ベルギー人の車椅子のドライバーと、手首をなくしたフランス人と3人で

ルマン24時間レースを目指すことになった。

フレデリック・ソーサ氏はモータースポーツなら、

健常者と同じ土壌で勝負ができると考えた。

平等というのがフランス人の考え方の中で根強くある。

彼は、障害を負ったことによって、

たまたま同じ町に住んでいたレースをやっている人の門をたたき、

レースをしたいのだけど・・というところから始まったストーリー。

これは、奇跡ではなく、必然。

 

 

ライダーを育てる         

熊本にライダー養成所の開設へ向けて動いている。この春開設予定。

世界に通じるライダーを育て、

青少年の交通安全教育にもつなげたいという思いでつくる。

九州地方ではレーシングスクールは初。

熊本は空気が良い。バイクを乗る環境が整っている、

阿蘇山にミルクロードという南阿蘇を一望できる

すばらしいワインディングロードがある。

また、ホンダ技研工業の大きな工場があり、

ここから多くのホンダの2輪車が生まれている。

速いライダーを育てるには環境が必要。

バイクは人を育てる。子供の頃にバイクの扱いを知ることによって、

バイクはスピードをだし、自分が運転できなくなったときは転ぶ。

自分のコントロール下にないと危ないということに気を付ける。

その体験から、

彼らが免許を取った時にしっかりと注意しようと思ってもらえると思う。

 

 

パラリンピックへの挑戦         

最近またバイクに乗っている、

シフトチェンジをするときに、ボタンをおせば、ギアチェンジにつながっていて

手元でシフトチェンジができる装置をつけた。

あとは、足をステップから外れないように固定して送り出してもらえば、

止まらなければバイクに乗れる。

自分の開催しているレンタルバイクの耐久レースに

参加者に混じって自分も走っているが、意外に乗れたと思う。

次のパラリンピックにハンドサイクルで出場を目指す。

ハンドサイクルでリオ五輪で金メダルを獲得したもとF1レーサーの

アレックス・ザナルディ選手は、

レース中の事故で膝から下を切断してもレースをあきらめなかった。

彼はトレーニングでハンドサイクルをおこなった。

自分もトレーニングにハンドサイクルを取り入れている。

そのハンドサイクルでパリパラリンピックに挑戦する。

レースはお金がかかる。

いろいろな方から支援やスポンサーがないと夢の場所へはいけない。

自分ひとりの力ではなしえなかったことが、

いろいろな人のつながりや協力があって夢がかなったのだと思う。

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