2019年06月20日

金融審報告書騒動

 朝の番組「OK! Cozy up!」が始まった頃、複数の先輩ディレクターから「何よりも健康。ちょっと散歩するだけでもいいから、毎日身体を動かしておけ」と言われました。ニッポン放送はもともと少人数ですから、番組作りに携わったことのある人間はなにかしら早朝番組に関わった経験があるんですね。たしかに朝の番組を始めてみると、運動の機会が今まで以上に失われます。もともと運動が苦手な上に、朝は始発の前なのでタクシー出社。そうなると駅まで歩くとか、階段を上るとかもないわけですからね。

 そこで、健康のためにジムに通うようになりました。平日の、昼過ぎから夕方のジムなんて空いているもんだと思っていたのですが、以外と人がいるんですねぇ。サラリーマンが仕事の合間に?とおぼしき人もちらほらといたのですが、大部分はご高齢の方々。皆さんお元気だなぁアグレッシブだなぁと驚いたのですが、長年通われているからなのか、ちょっとした環境の変化を非常に気にされます。
 この間も今まではジムで用意していたクシがなくなりますという、ちょっとした制度変更がありました。2ヶ月以上前から張り紙で告知していましたから、私なんぞは「まぁクシぐらい準備するかぁ」と100円ショップで買っておいたのですが、いざ切り替えの直前になると男子ロッカー内は大騒ぎ。
「不便になる」(たかがクシでしょ?)「話が急すぎる」(いやいや、前から告知してたって)「客をバカにしている」(いやいや、クシの話ですよ)と、批判噴出となっていました。
着替えの手を止め、スマホをみるフリをしてその議論をよく聞いていると、要するにクシがなくなって困るというよりは、既得権を相談なしに(と彼らは見なしている)剥奪されるのがガマンならんというところのよう。ジムとしてはサービスとしてやって来たものがいつのまにか既得権化し、コスト面で止めるとなってもこれだけの批判を浴びてしまうのですから、気の毒です。

 ただ、この構図、いろいろなところに当てはまります。このところ新聞やワイドショーを賑わせている、年金についてです。
 夕刊フジのコラムにも書いたんですが、改めて。金融庁金融審議会の「夫婦で95歳まで生きるには最低2000万円必要」という報告書が発端となり、2000万円なければ路頭に迷うってのか!?そもそも100年安心って言ってただろ!というような報道が続いています。
 報告書の書きぶりが、あまりに荒っぽいことは、さまざま指摘されていますが、改めてその根拠である金融審の報告書をみてみると、「月の収入平均21万円、支出平均26万円で、差し引き毎月5万円の赤字」となっています。


 まず、収入が21万円って、そこそこの額。しかも高齢(夫65歳以上、妻60歳以上)無職世帯ですから、贅沢をしなければ困らずに生活できるはずです。夫婦二人に子どももいて月の手取りは同じぐらいという現役世代だって少なくないでしょう。ではなぜ支出平均の方が大きくなるのかといえば、これは高齢夫婦世帯の平均金融資産保有額が2300万円弱あるから。報告書の6ページ後ろにしっかり書いてあります。つまり、そこそこ以上にいい暮らし、ある意味"優雅な老後"を送ろうとすれば、このぐらい必要ですよというのが2000万円の本来の意味のはずです。そこに、金融庁が「貯蓄から投資へ」という長年の悲願を達成すべく毎月赤字という不安を強調してしまったがために、ことがおかしな方向に進んでいきます。
 これを受けて、野党から「100年安心サギだ!」なんて出始め、すっかり政局化してしまいました。さらに批判を受けて麻生金融大臣が報告書を受け取らないだとか、その理由が政府の方針と違うからと言っていたが、もともと2000万円必要だというのは厚労省が昔から言ってきたことで、政府方針通りじゃないか!おかしい!なにか隠しているに違いない!と、連想ゲームのように年金疑惑!12年前の再来!という流れに持っていこうとしています。
 ただ、そもそも、「年金だけで老後は安心」なんて話は、少なくともここ30年以上出てきたことはないんです。
 時はさかのぼって1984年、当時の郵政省が出した資料では、すでに60歳以上の預金目標額を2050万円としていました。この資料を元にして、当時の国会でも議論が行われています。

『参議院 国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会議事録(1984年4月25日)』(国会会議録検索システムHP)※松岡満寿男議員質疑参照

 この2000万円という額は今とほぼ変わらない額です。ということは、近年年金財政が危機に陥り約束した額が払われないのでなく、そもそもの立て付けが年金だけで現役時代と同じ暮らしができることを想定していないということなのですね。その意味では政府の方針通りというのは正しいのですが・・・。
 ちなみに、当時も今も、制度設計の前提として年金だけで優雅に暮らせるなんて、まったく考えていないだけでなく、公にもしてきました。たとえば、厚生労働省のホームページ(公的年金制度の概要)では、「公的年金制度は、加齢などによる稼得能力の減退・喪失に備えるための社会保険。(防貧機能)」と明記しています。
 これ、私(37歳)と同世代や、もっと下の世代は「当たり前でしょ?」と冷静に見ています。一方、今まさに年金を受給している世代の方々は「サギに遭った」と憤っているようです。
 「受給している、われわれの方が切実なのだ」と言うのでしょうが、現役当時の支払額と今の受給額を比較すると、この世代の方々は得をしているハズなんですけどね。
 さらに言えば、報告書にある「リタイア後に夫婦で21万円」なんて、正社員で定年まで勤めあげないともらえない金額です。
 先週書いた「就職氷河期世代」には非正規雇用を続け、1階部分の国民年金しか入らず、さらにそれすら未納という人もザラにいます。このまま行くと、低年金や無年金になる恐れすらあり、2000万円ではきかない額が必要です。
 「100年安心サギ」という前に、今とこれからの安心も議論してくれよと、私なんぞはつく
づく思うわけです。
 では、〝優雅な老後〟という幻想が一体どこから来たのか?一つの仮説として、私の個人的な体験をご紹介したいと思います。先日、私の祖母が亡くなりました。私の両親は団塊世代の5年ほど下の世代です。祖母は、ほぼ団塊の世代の親世代ということになります。団塊の世代は、親世代の年金暮らしを見て、自分達の老後を想像したのでしょう。たしかに、亡くなってみて分かったのですが、祖母は自身の年金に加えて、出征した祖父の遺族年金も受給していました。その額は、今の現役世代の手取額と大差ない額。所得代替率は8~9割に達していたはずです。
 団塊の親世代は先の大戦で亡くなった方も多かった世代。帰還された方々に感謝をし、のこされたご遺族には哀悼の誠を捧げるため、こうした軍人恩給、遺族年金は政府としての責任であろうと思います。
 ただ、それを見てきた世代は、自分達もそうであろうと想像したのではないでしょうか?もっとも身近なケーススタディです。「老後は年金だけで安泰なのだ」と、バラ色の老後を勝手に描いて、「現実は違う」と指摘されると逆ギレする高齢者。それを選挙前にチャンスと見て、あおる野党と一部メディア。一方、腰が引けて説明すらままならない政府・与党...。またもやイメージ先行の展開されていますが、この騒動に付いていくのは、どの世代までなんでしょうね? 
 そういえば、「100年安心プラン」も劇場型と言われた、あの人の政権でできたものでした。
 ただ、その小泉純一郎首相は当時の国会答弁で「公的年金だけで全部生活費を見るというものではございません」(2004年5月31日、参院決算委員会)と言い切っていたことも、申し添えておきます。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
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