2018年09月11日

北海道胆振東部地震取材報告

 9月6日の早朝3時8分、北海道胆振地方東部を震源とするマグニチュード6.7の地震が起こりました。その直後の放送と、翌7日の放送を終えたあと、私は北海道へ向かい、この地震の被災地を取材しました。
 最も被害が大きかったのが、苫小牧市の隣に位置する厚真町。ここは地震発生直後震度計のデータが地震の影響で送信できず、被害の程度がはっきりしませんでした。ただ、6日の放送でお話を伺った遠藤副町長の口ぶり、言外ににじみ出る焦燥感を見るにつけ、何か大変なことが起こっているのではないかと感じていました。そして、夜が明け、分かってきたのは甚大な損害が生じていたということでした。地震に伴い土砂崩れが広範囲にわたって発生、今回の地震で死者の大半がここ厚真町の方でした。
 この地震全体の被害状況は、北海道庁によれば10日21時現在で死者41人、重傷9人、建物の全壊32、半壊18、一部損壊10。建物についてはまだ応急診断をしていない自治体もあり、被害状況不明も多数あるとのことです。

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 7日午後、厚真町吉井地区の現場に入り目の当たりにしたのは、地すべり、土砂災害というよりも「山津波」という光景でした。
 この辺りは稲作を中心とする農村で、標高200mほどの山々の間を厚真川という川が流れています。その作り出すわずかな平野に田を拓き、人々は山裾に居を構えました。収量を多くする知恵だったわけですが、残念ながら今回の災害ではそれがあだとなってしまいました。山には杉やシラカバといった細い針葉樹がびっしりと生えていました。その樹木もろとも土砂が住民に襲い掛かったわけです。
 救命救助は厳しい環境の中で始まりました。そもそもこの北海度には、地震直前の5日に台風21号が最接近。近畿地方に甚大な被害をもたらしたこの台風は、その後日本海側に抜けたあともなかなか勢力が衰えず、北海道に接近した段階でもまだ暴風域を伴っていました。この風で木々は煽られ、一部に倒木などが見られたそうです。また、その降らせる雨により地盤は緩み、それが今回の地震で一気に崩れたというのが大方の専門家の見方。救命救助作業は水をたっぷり含んだ軟弱な地盤、そして大量の樹木を重機でどけるところから始めなくてはいけません。
 それが出来るのは、自衛隊・消防・警察など限られています。警察・消防は全国から応援が来ましたが、自衛隊は東千歳、留萌、千歳などなど、私が見た限りは大半が北海道の部隊。彼ら・彼女らもまた被災者であるにも関わらず、黙々とひたむきに作業に当たっていました。

吉野地区活動2.jpg

 さて、重機を入れて作業しようとすると、土砂が行く手をふさぎました。要救助者がいるであろう場所までの道路は土砂で覆われ、まずはそれをどかさないことには救出活動ができません。まずは道路を啓開し、並行して手作業で土砂を取り除く作業を行いました。
 そして、いざ重機が入っても、重機を使うのは土砂や樹木を取り除くところまで。押し流された住宅が一部でも見つかれば重機を停止し、そこからはスコップで、最後は手作業で要救助者を探し出します。よく重機を遠巻きに見るように隊員さんたちが傍観しているような写真がありますが、あれば単に突っ立っているわけではなく、いざ住宅発見となれば即座に救助作業に取り掛かれるように最前線でスタンバイしているのです。

吉野地区活動1.jpg

 このように、現場では一分一秒でも早く救助しようと懸命の作業が続けられていました。一方で、それを統括する指揮官たちは現場の疲労度と天候を気にかけていました。この吉井地区を主に担任した第7特科連隊の川口貴浩連隊長は、
「活動する上で体力が低下する、疲労がたまるというのは避けられない。現場の捜索に当たる隊員が集中力を保って任務に当たれるように部隊交代を適宜取りながら任務をしている。隊員も今回の任務の重要性を深く認識しているので士気高く任務に当っている」
と話してくれました。

吉野地区活動4.jpg

 そして、天候面については最新機器を用いての二次災害防止も行われました。ドローンです。
 かつて熊本地震を取材した際、山口から南阿蘇に入った第17普通科連隊に密着しました。その時は国土交通省と連携し、国交省のドローンを使って二次災害警戒に当たっていましたが、今回は自前のドローンを試験運用という形で活用したようです。どのような方向で土砂が流れたのか、どこにリスクがあるのかを分析し、情報連携システムで上位部隊との即座の情報共有が可能。この情報を基にして、救助オペレーションの進め方やどれだけの人員が必要なのかを即座に判断することができます。一刻一秒を争う災害救援の現場では今後非常に重宝するはずです。

すずらん湯.jpg

 災害時の救命活動では、「72時間の壁」というものがよく言われます。発災後丸3日、72時間を過ぎてしまうと、安否不明者の生存確率が著しく下がってしまうというものです。先日、備え・防災アドバイザーの高荷智也さんにインタビューをした際にも、この72時間という言葉を使い、
「ここまでは行政は救命活動に専念する。だからこの間は一人ひとりが自力で生き抜く覚悟で備えなければならない」
と力説されていました。
 逆に言いますと、今回の北海道胆振東部地震はこれから生活支援が本格的に始まるというわけですね。その一つが、入浴支援。厚真町では第7後方支援連隊補給隊の「すずらん湯」が発災翌々日の土曜日から開設されました。
 お風呂から上がってきた方に伺うと、人によっては発災前日の水曜も台風21号接近でボイラーを炊くのをためらいお風呂に入っていなかった方もいらっしゃいました。そうなると、丸3日間入浴していなかったわけで、喜びもひとしお。皆さん満足そうな表情ですずらん湯を後にしていました。この第7後方支援連隊補給隊、非常に手際よく準備をし、被災された方々を受け入れていました。聞けば、つい先日まで西日本豪雨の被災地、広島県三原市ですずらん湯を開設。その任務を終えて一か月ほどで、今回の地震が発生。自らも被災しながら、再び今回の災害派遣となったようです。こうして入浴施設を開いても、自分たちは入れるわけではありません。彼らは写真のように外で案内をし、終われば少しだけ天幕で休むのです。

 西日本豪雨の生活支援から間髪を入れずに北海道胆振東部地震の生活支援へ...。こういった話を聞くにつけ、この日本という国はまさに災害大国であると実感します。地震、台風、ゲリラ豪雨...、自然はより苛烈に我々に備えの必要を迫ってきます。今回の取材でも、その思いを新たにしました。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

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