鉄道が好きなものですから、鉄道に関する記事やニュースには敏感に反応してしまいます。昨日も放送が終わってからパラパラと新聞をめくっていると、看過できない記事を見つけました。
ウェブでは記事のさわりだけで、ほとんど読むことはできません。
私なりに要約しますと、昨年末から報道されているリニア中央新幹線建設工事をめぐる"談合"について、発注側のJR東海との親密さも利用しながら"受注をすみ分け"、"価格調整した"新たな形の談合を行っていた。かつてゼネコン汚職があって談合決別宣言まで出ましたが、東日本大震災後の復興需要が旺盛になったタイミングで復興を急ぐという名目で再び談合が横行。それが今回の事件につながったのだという内容です。
どこが看過できなかったかというと、90年代から今までの流れについて重大な欠落があるからです。
そもそも"談合"というと、受注業者を業者間の話し合いで入札前に決め、発注側から入札予定価格を聞き出して予定価格ぎりぎりの高値で落札。その見返りに発注側へ金品を送ったり、間に入った政治家などにも利益供与を行うというのが典型的なタイプ。ゼネコン汚職が社会問題になった1990年代まではこうした形が一般的で、この構図でよく摘発が行われていました。
その後、談合を防止するために一般競争入札を広範囲に導入。競争原理を最大限に生かし、最も安い価格を入札した業者が落札するという仕組みで談合をする余地をなくしました。ですが、それはそれで弊害を生みます。
デフレの深刻化でそもそも業者の体力が低下する中、一般競争入札で落札するためにはコストを度外視してでも安値で入札せざるを得なくなり、落札したはいいものの工事を完成させることができなかったり、工事中に予算不足から事故を起こす事例が続出。あるいは工事は完了できても品質が発注側の期待から著しく劣るものが出来たりもしました。
旧来型の談合はいかんが、かといって競争原理を重視し過ぎて出来上がったインフラの品質が落ちてしまっては本末転倒。そこで、事前に一定の技術水準を持つ企業だけが参加できるように入札の条件を狭め、かつ工事の中身・価格についても事前に発注側と協議をし、最終的に受注業者を決定するという仕組みを作り、品質と受注価格をコントロールしようという方向に移っていきます。ただただ受注価格を叩くのではなく、品質を担保し、品質に見合った受注価格を業者との話し合いの中で維持する仕組みです。
今回のリニア中央新幹線建設工事でも、JR東海はこうした仕組みの一つ、「指名競争見積もり方式」を採用しました。というのも、このリニア中央新幹線の建設工事は難しい工事がゴロゴロある厳しい計画。その上、現安倍政権になってからは国の成長戦略にも組み込まれていますから、納期を超過することは世間的に難しい。民間が発注する工事ですからコストは低減させたいけれど、建設中に事故があったり不具合で工事が止まったりして時間をロスするのも避けたい。したがって、技術水準の高い大手ゼネコン4社に技術提案を受けて、価格などを協議した上で受注業者を選定したわけです。
事前に協議をするわけですから、その際に業者側もある意味手の内をさらします。業者ごとに得意・不得意がありますから、手の内をさらした結果自然に求められる工事が得意な業者に絞り込まれていくというのも考えられることです。
この朝日の記事では、<受注調整の時期の数年前に当時のJR東海幹部が4社側に工事情報を伝えたことも判明した。JR東海は談合に至る土壌作りに一役買っていたことを反省すべき立場でもあるだろう>と批判しています。しかしながら、工事情報を業者側に教えるのは、一般競争入札ではなく指名競争見積もり方式なんですから当たり前のことですね。
90年代型の談合では、公的インフラ建設工事を舞台とするものが多かったのですが、これは入札価格を吊り上げることで受注業者に不当な利益が発生し、それを発注者にキックバックすることで発注側にもその不当利益の一部が還流し、工事価格が不当に上がったことで納税者がその分損をするという構図でした。
では、今回の"談合"事件では誰が得をし、誰が損をするのでしょうか?仮に業者側が大きく受注価格を吊り上げた場合には、JR東海は発注前に話し合うことで価格を下げることが可能で、さらに別の社に発注することができました。もう一つ、4社以外の社にしてみれば排除されたと見ることもできますが、リニアの工事はそのほとんどが4社単独受注ではなくジョイントベンチャー(共同企業体・JV)の形を取っています。技術の核となる部分は4社しか持っていなくても、それ以外分担できるところはすでに準大手以下のゼネコンにも分担しているのです。
受注調整=悪、価格調整=悪という90年代型の談合のステレオタイプをそのまま当てはめるのは、ご自身は巨悪を追及しているおつもりなのかもしれませんが、時計の針を20年巻き戻そうとしているに過ぎないと思います。