明日8月15日で、大東亜(太平洋)戦争が集結して72年となります。戦没者を追悼し、平和を祈念するこの日、日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が行われます。正午には先の大戦へ思いをいたし、亡くなられた方に対し1分間の黙とうがあります。
個人的な話ですが、母方の祖母が去年亡くなり、その遺品を整理している中で祖父が出征した際の戦記が出てきました。理系の学徒として兵に取られた祖父は、内地で教官として数学などを教えた後、戦況厳しいビルマ(現:ミャンマー)へと送られました。本当に、よくぞ戻ってきてくれたものだと思います。彼が戻らなければ、私はこの世にいなかったわけです。
一方、父方の祖父は戦争についてあまり語りませんでしたが、赤紙一枚の工兵として満州に行っていたようです。その時に銃弾を浴びて負傷し変形した爪を見せてくれたことを覚えています。
両祖父共に外地へと向かったのですが、任地まで運んだのが輸送船でした。輸送船を操っていたのは、軍属として徴用された船会社の社員やその後統合された船舶運営会の船員たち。海軍軍人ではありませんでした。
彼らは戦線の拡大とともに輸送範囲を広げ、さらに戦況の悪化に伴って悲惨な運命をたどります。余り知られていませんが、その死亡率が陸軍20%、海軍16%に比べて何と43%。徴用された船員の実に半数近くが海に散って行ったのです。
大戦初期には兵員や物資輸送で各地に向かい、各地から戦略物資を満載して日本本土へと向かった輸送船。当然、アメリカをはじめ連合国側はこのシーレーン攻撃に集中します。大東亜(太平洋)戦争では、開戦からわずか数時間で最初の撃沈船が生まれ、戦死者が発生しました。
大戦中期以降は戦死による熟練船員の減少を補うために、各海員学校などで速成された14歳、15歳の少年船員も数多く徴用されました。十分な護衛も得られずに、易々と敵艦の餌食になり、14歳から19歳の少年船員1万9千人余を含む6万609人もの船員が犠牲となり、1万5518隻の船舶が撃沈されました。戦前、世界第3位の海運大国だった我が国は、その商用船舶の9割以上を消失、文字通り壊滅したのでした。
これら、知られざる戦没船と殉職船員については、成山堂書店から『海なお深く―徴用された船員の悲劇―』という本が出ています。
さて、戦前・戦中・戦後を通して船員を送り出し続けてきたのが海員学校。今は独立行政法人海技教育機構(JMETS)に統合され、机上、実技双方で未来の海運界を担う人材を育てています。私も何度も練習船や海技学校を取材していますが、彼ら実習生にとって一大関門となるのが遠洋航海。5隻の練習船がほとんど休みなく船員を育てているわけですが、そのうちの1隻、銀河丸が今月5日、横浜港新港5号岸壁からシンガポールへ向け出港しました。
実習生164名を乗せて予定通り出港した銀河丸。出港早々台風5号の洗礼を浴びたということですが、それも実習のうち。実は彼らには、遠洋航海での所定の実習に加えて、今回特別な任務が与えられています。それが、先の大戦で犠牲となった戦没先輩船員への哀悼の意を表するとともに不戦の誓いを新たにする「船上慰霊式」。シンガポールまでの航海中に3か所の海域(いずれも南シナ海)で行うそうです。
この「船上慰霊式」は(公財)日本殉職船員顕彰会と共同で行うもので、ご遺族から顕彰会に送られた手紙を預かり、献酒・献花とともに海上に手向けます。3度行う慰霊式は、第1回が11日(金)フィリピン西方海域、第2回が13日(日)ベトナム東方~南方海域、そして第3回が14日(月)マレーシア南東方海域でそれぞれ行われました。
寄せられた手紙は合計51通。年配のご遺族の方からは「小さいうちに父を亡くしたのでこれまで父に手紙を書いたことが一度もなかったが、今回、初めて父に手紙を書く機会が得られて良かった。」といったの言葉も寄せられたそうです。殉職した船員の子どもの世代でも70代~80代なので、父へ宛てての手紙が多かったようですが、中には未亡人の方から顕彰会へ感謝の電話も寄せられたそうです。
<この度はお世話になります。船長さんに伝えてほしいことがあります。
「私は98 歳になりましたが、主人が戦死してからのこの70 年余りの間、ずっと南方の海に手紙
を送りたいと思っていました。今回、その思いが叶い大変嬉しく思います。よろしくお願いい
たします。」
手紙には、
「あなたに大変お世話になったこと感謝しています。あなたが一度目の遭難で無事に帰ってきて、
再び海に出るときは、大変心配でした。それは、一度目の時に沢山の方が亡くなったのを知っ
ていましたから。私はいま丈夫に暮らしています。いずれ、そちらでお会いできる日を楽しみ
にしています。」と書いてありますとのことでした。>
実習生たちが慰霊式を行う海は、南シナ海。今は平和な海ですが、年を追う毎にきな臭さが増す海域でもあります。今も昔も、日本にとって海運は生命線。しかしそれは、日本のみならず、中国も韓国も、アジア各国ともに変わりません。勇ましいことを言い、岩礁を埋め立てる前に、70年余り前にどんなことがあったのか?海の男たちがどういった運命をたどったのか?冷静に見つめられる日にしたいものです。
銀河丸は17日にシンガポールに到着。22日にシンガポールを発ち、9月4日(月)に大阪港に到着する予定です。一路平安なる航海を祈ります。