政策と政局はまったく別物。政権の政策における方向性には大きな変化はないのですが、その説明の仕方の不味さ、報道のされ方などが相まって、内閣支持率が低下しています。
<毎日新聞は22、23両日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は26%で、6月の前回調査から10ポイント減。不支持率は12ポイント増の56%だった。>
<日本経済新聞社とテレビ東京による21~23日の世論調査で、安倍晋三内閣の支持率は39%となり、6月の前回調査から10ポイント下がった。不支持率は10ポイント上がって、2012年12月の第2次安倍政権発足以降で最高の52%となり、支持率と逆転した。>
第2次安倍政権が発足して以来最大の支持率の落ち込み。しかも、2年前の安保法制審議の時のように政策的イシューによって支持率が低下したというよりは、失言・暴言やいわゆる"疑惑"とされるスキャンダラスなもので支持率が低下しています。もちろん、テロ等準備罪を創設する組織犯罪処罰法改正案に関する審議という政策面での対立もあったわけですが、どうも支持率低下の根本原因はスキャンダラスなものというイメージがありますよね。
それゆえ守りに入る政権側には危機感を、そして攻める側の野党やメディアには高揚感を生んでいるわけですが、攻める側に功を焦るというかなりふり構わなさを少し感じることがあります。森友・加計といったホットな話題に対してはのめりこむように新事実!スクープ!と連発していますが、それで新たな情報が出てきて違法性なりが裏付けられればそれは権力の監視として素晴らしいことなのだろうと思います。事実はそうなっているとは言い難いわけですが...。
問題はそこではなく、今まで冷静な議論をしてきた経済に関する報道でも、政権を批判するためにはなりふり構わなくなってきたところです。
今まで東京新聞は、政権に懐疑的なその政治的な主張とは一線を画し一貫して消費税増税に対し批判をしてきました。同じように政権に批判的な朝日・毎日は消費増税に賛成ですが、庶民の生活に痛手ではないかという至極まっとうな理由で消費増税反対を掲げてきました。ある意味、経済面では成長重視、引き締め反対というような立場なのではないかと私は理解していたんですが、それでは政権批判にならないということなのか、最近怪しい記事が出てきました。
<日銀は二十日、景気回復のために続けている大規模金融緩和策で、目標としていた前年比2%の物価上昇の達成時期をこれまでよりも一年遅い「二〇一九年度ごろ」に先送りした。>
基本的に黒田日銀の物価目標の達成時期先送りという金融政策を伝える記事なんですが、ここに政権批判も盛り込もうとして迷走します。記事の2段目ですが、
<度重なる達成時期の延期は、政府・日銀が進めるアベノミクスで、日銀が担う金融緩和の限界が示されたのと同じこと。一方で、支持率の下落が止まらない安倍内閣は、社会保障改革や財政再建に及び腰で、将来に対する国民の不安は消えない。アベノミクスが描いた企業収益の改善から賃金上昇、消費拡大へと続く経済の好循環の実現には、ほど遠い状態だ。>
たしかに金融緩和は初期アベノミクスの3本の矢の1本目ですから、ここが上手くいっていないということは、アベノミクス全体の政策目標達成に向けてネガティブなのかもしれません。しかしながら、日銀総裁会見を伝える記事で、<一方で、支持率の下落が止まらない安倍内閣は、社会保障改革や財政再建に及び腰で、将来に対する国民の不安は消えない。>と、政府側の第2の矢(財政政策)や第3の矢(構造改革)について触れるのは、実は無関係なものが唐突に出てきていて違和感を感じます。
その上、<社会保障改革や財政再建に及び腰>と政権を批判しています。これは、財政規律を重視する人たちが政権を批判するときに使う常套句。
「社会保障改革をして将来を安心に、財政再建をして将来にツケを残さないために、消費税を増税して財源を手当てしましょう!」
という主張を暗示させるキーワードが、社会保障改革、財政再建という単語です。
「将来不安を解消するために今我々は痛みに耐えましょう!」「明日伸びんがために、今日縮むのであります!」「米百俵の精神で!」
ああ、ここ20年何度も聞いたこの緊縮論法。借金は返すべきだという素朴な経済観に訴えかけるものなので、一見すると誰も反対できない大正論のようですが、増税によって経済が減速してしまって悪循環に陥るという論法です。これによって我が国はデフレスパイラルに完全にはまり込み、日本の大部分を占める庶民は立場の差こそあれ苦しみ抜きました。アベノミクスが初期にあれだけメディアから批判を受けたにも関わらず支持されたのは、この悪循環に20年苦しめられて「おかしいぞ?」と身を持って知った人々の根強い支持があったという面があったわけです。
東京新聞は政治の面では政権批判をする一方、経済政策については是々非々の立場で臨むという姿勢を今までは示していました。それは、読者に寄り添うという姿勢なのだと私は感じ、正直尊敬していた部分もありました。
ところが、ついにというべきか、緊縮の姿勢が東京新聞にも載るようになりました。これは社論の転換なのでしょうか?政権批判という大きな社論のために、消費税増税反対という今まで訴えてきた主張も取り下げてしまうのでしょうか?今回は筆が滑っただけと思いたいものですが、それにしては金融・経済の専門家に緊縮路線のコメントを求めているのが気になります...。