2016年09月12日

南相馬市取材報告

 今日のザ・ボイス、5時台は私飯田の取材レポートをお送りしました。その中で、南相馬市での取材についてレポートが少し消化不良に終わったので、このブログで報告しておきたいと思います。

 東日本大震災から5年半となった昨日、9月11日。福島県南相馬市にいた私たちは偶然、ある催しがあることを知りました。

『鎮魂と復興願う鼓動 会津の太鼓団体 9月11日、原町・萱浜』(9月10日 福島民報)http://goo.gl/ztWktC

 地元紙、福島民報の前日10日の紙面にこうした記事を見つけたんですね。そして、その中に、元ラジオ福島のアナウンサー、大和田新さんの名前を見つけ、会場に行ってみました。大和田さんは、過去何度もニッポン放送に出演し、被災地福島の現状についてレポートしてくれています。ご自身で何度も浜通りに足を運んで取材し、そこで感じたことを紹介するそのレポートは、東京のメディアでは取り上げられていないことが多く、私たちは大いに勉強させてもらっています。今回は、そんな大和田さんが企画した催し。興味を持ちました。

 会場は、福島県南相馬市原町区萱浜(かいばま)の上野敬幸(たかゆき)さんのご自宅前。そこは、周りに建物はほとんどなく、まるで野原のよう。海までは1キロ弱ですが、視界を遮るものはありませんでした。
「ここに太鼓を聞きに来る人がいるのだろうか...?」
集客を期待するには、周りに人が住んでいない。どういう催しなのか、大和田さんに伺いました。

「津波で多くの人がなくなって、上野さんの家はまだ2人が行方不明じゃないですか。そういう現実があるっていうことをね、県内の人もほとんど知らない。今日も上野さんに朝、今日はどんな思いで5年半を迎えたんですかって聞いたんですけど、昨日と同じ。昨日は?って聞いたら一昨日と同じ。その前は?その前の人同じ。ご遺族には節目はないってことですよね。上野さんのように家族を亡くした人たちが、もう毎日が3月11日なんだって気持ちでいるっていうことをね、今日はそういう意味で、被災地に行ったことが無かったっていう会津の太鼓の仲間に来てもらって、いろんな思いを持ち帰ってまた会津の仲間たちに発信してもらえるということが私、今回の大きな目的なんじゃないかなって思いますけどね」

 同じ福島で起きた津波被害について、福島県の会津の人たちに知ってもらおうというのが目的だったんですね。さらに大和田さんは、アメリカで福島について講演すると、我々アメリカ人が出来ることは何か無いかと聞かれるそうですが、その時いつも「忘れないでください。それで十分です」と答えていたそうです。ニューヨークで講演した時にそう答えると、あるアメリカ人が「では、あなた方も9.11を同じように忘れないでください」と言われハッとしたそうです。それがキッカケとなって、はるか太平洋の向こうの9.11犠牲者の鎮魂というのも、この催しのもう一つの目的となりました。

20160911_120454.jpg

 さて、今回の催しの場所を提供した上野さんのご自宅の付近は、震災時10mを超える津波が襲い、ご両親とお子さん2人を亡くされました。お父様とご長男はいまだ行方不明です。あれから5年と半年。上野さんが今どんなことを感じているのか伺いました。

「いつもと同じように朝起きて、お線香上げて、両親と永吏可、倖太郎におはようとあいさつをしてスタートしているので、まったくいつもと変わらないです。周りが震災から何日、今日だったら5年半とかって言ってますけれども、よく震災から変わりましたかっていうふうに聞かれることが多いですけど、ま、変わった部分も確かにあります。それは。やはりこうやってしゃべることが出来るようになったりだとか、笑うようにはなったと思いますけれども、根っこはまったく変わっていないので」
「ボクが変わったよりもたぶん周りが変わったんだと思います。その、5年半という歳月で。当事者よりも第三者の方が変わっていったんだと思っています。その、命を守る行動だったりということが取れなくなって来たり、震災当時だったらたぶんもしかしたらそういったことはなかったのかなと思いますけれども、救える命があるのに、どうしてもその行動をとれないという人が多いなぁというのは凄く残念で。何かが起きたときに死者がゼロっていうのが一番うれしいわけですね。そういった部分で、命を守る行動を取ってほしいなっていうのが、今自分が考えているところ」

 上野さんは今、復興作業を行う地元のリーダーとして、この日も、来年春に避難指示解除を目指す浪江町に向かいました。一方、会津から来て鎮魂の太鼓を叩き、上野さんの話を聞いた有志の太鼓団体「あいたいこねっとわぁく」の代表の方にお話を伺いました。

「5年もたってしまったので、新聞なんかでいろいろ報道は見ますけど、やっぱりここへ来ることが大事なんで。実際にそこで思い出させてもらったんですけど、やっぱりこの景色は見た人じゃないとわからないですよね。ここに家があったんだってどうしたって想像できないので、やっぱりここへ連れてきたいなって私は思いがあったので」

 同じ福島県内ですら、「温度差」や「風化」が指摘されるくらいですから、東京とは一体どれだけの温度差があるのだろうと思います。次の災害が起きた時、命を守る行動を取るために、過去の災害を風化させず、今も続いているものとして伝えていくことが大切なのだと改めて感じました。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

■会員制ファンクラブ(CAMPFIREファンクラブ)
「飯田浩司そこまで言うか!ONLINE」

最新の記事
アーカイブ

トップページ