2016年07月21日

トルコクーデター未遂報道に疑問

 日本時間先週土曜の早朝に飛び込んできた驚きのニュース、トルコでのクーデター未遂。市民を含め290人以上が死亡する大事件となりました。

『トルコのクーデター未遂、軍・司法関係者6000人拘束 死者290人超に』(7月18日 ロイター)http://goo.gl/VMnFVW
<トルコ当局は、軍の一部勢力による16日のクーデター未遂を受けて反乱勢力への制圧を拡大、17日夜の時点で、軍・司法関係者ら約6000人を拘束した。
 外務省によると、クーデターに関連した死者は、反乱勢力の100人超を含め、計290人以上、負傷者は1400人に上っている。>

 その後、エルドアン政権は事件に関係した政・官・軍の関係者を拘束。今日の時点でトルコ全土に非常事態宣言を発令しています。

『トルコ大統領、非常事態を宣言 クーデター未遂受け』(7月21日 朝日新聞)http://goo.gl/Iczj7A
<トルコのエルドアン大統領は20日(日本時間21日)、軍の一部によるクーデター未遂事件を受けて、全土に3カ月間の非常事態を宣言した。「テロ組織関係者を全て排除するため」としている。ただ、国民の生活や経済活動が制限される事態になれば、エルドアン氏が強権的な姿勢を強めているとの懸念が国内外から高まる可能性もある。>

 エルドアン大統領はこのクーデター未遂の首謀者をアメリカに亡命中のイスラム教指導者ギュレン師であると断定し、師と繋がりのある人物の一掃を狙って圧力を強めています。日本国内の報道も、このギュレン師に連なる一派が主導したというものが多いのですが、果たして本当にそうなのか?内部の情報が流れてこないので外形的な部分から類推するほかないんですが、歴史を紐解いてみると少し違った見方もできるようです。

 そもそも今のトルコ共和国が成立したのは1923年10月29日。初代大統領は、ムスタファ・ケマル・アタテュルクです。オスマン帝国軍人であったムスタファ・ケマルは、オスマン帝国が滅びた原因について「宗教の政治介入」が原因であったと考え、新たな共和国憲法を制定し、その後国を統治していくにあたって「世俗主義」を徹底しました。世俗主義とは、ざっくりといって政教分離と考えておけばいいでしょう。

 この世俗主義を徹底するにあたってムスタファ・ケマルが範としたのは、キリスト教との政教分離を徹底したフランス憲法でした。フランスでは、宗教的な服装や装飾で公の場に出ることが規制されています。最近でも、イスラム教の女性が身に着けるヴェールやスカーフを禁ずるべきかどうかで論争が巻き起こるようなお国柄です。それに範をとったトルコの世俗主義もやはり徹底したものでした。ムスタファ・ケマルの治世後期の1930年代には世俗主義にかかわる憲法条文の改正を発議することすら禁ずるような厳格なものとなりました。宗教的な服装で公の場に出ることはもちろん禁止。ということで、ヴェールやスカーフを公立の大学で着るのも禁止されました。政治に関しては特に厳格で、イスラム政党と名乗るだけで憲法違反となり、法律を厳格に適用すれば解党ということになります。エルドアン大統領が最初に所属したイスラム系政党、福祉党はまさにこの世俗規定の違反で解党の憂き目に遭っています。

 ただし、この厳格な世俗主義が一般民衆に疑いなく受け入れられていたかといえば、それは疑問が残ります。同志社大学大学院の内藤正典教授は当時のトルコ国民の思いについて、
「たとえば、公の場でスカーフの着用が禁じられていると、女性は髪をだして歩くわけですね。イスラムの女性にとって髪をさらすというのは裸をさらすのと同じくらい恥ずかしい行為であったりする。長年の慣習なのに、これを禁じていいのか?次第に窮屈さを感じていった」
と解説しています。
 また、経済が発展してくると貧富の差が生じます。そこで弱者への福祉政策を行おうとするわけですが、そこでも世俗主義との対立が生じていたのです。というのも、イスラム教の教えの中には「喜捨」というものがあります。ザカートとも呼ばれ、ムスリムに課された5つの義務の内の一つ、収入の一部を困窮者に施すことです。弱者への福祉政策は国による喜捨に当たるのではないか?ということが公然と議論され、世俗主義に反するということで違憲だという批判が巻き起こりました。結果、時の政府も表立って福祉政策を打つことができず、ここでも一般市民からは不満が高まっていったわけです。

 そんな一般大衆の支持を集めたのが、エルドアン氏率いる現政権与党、公正発展党(AKP)。低所得者向けの公共住宅を整備し、食い詰めて都会に出てきた人たちの住む不法占拠のバラックからの移住を推し進めました。また、低所得者が利用するバスが慢性的な渋滞でほとんど意味をなさなかったので、バス専用レーンを整備。BRTを走らせて仕事場へのアクセスを容易にしました。今までであれば喜捨だとしてタブーだった福祉政策を推進し、国民の支持を獲得していったんですね。
 ちなみに、こうした福祉政策推進では、エルドアン氏とギュレン師の間に溝はありませんでした。両者の確執が表面化するのは、その後。公共事業を巡るエルドアン政権の腐敗をギュレン師一派が暴こうとした時まで待たなくてはいけません。

 一方、そんなエルドアン氏、AKPの動きに不満を募らせていたのが軍でした。ムスタファ・ケマルがもともと軍人であったことから、軍は世俗主義、ケマル主義の擁護者であると考えられ、軍人たちも擁護者を自任するようになりました。1960年と80年に二度あった軍部によるクーデターも、その大義名分はケマル主義の堅持にありました。すなわち、軍はそのDNAの中に世俗主義というものがあって、それはイスラム主義を進めるエルドアン大統領とぶつかるだけでなく、穏健なイスラム主義を掲げるギュレン師とだって決して肌が合うわけではないんですね。
 いわば、剛腕を発揮するエルドアンよりはギュレンの方がまだ与しやすいといったところでしょうか。たしかにギュレン師はトルコ各地でエリート養成を積極的に行い、今や政・官・軍や財界にもたくさんのシンパがいるようです。ただ、それだけで100年以上にわたる世俗のDNAのある軍があれだけ組織だったクーデターに動けたのか?大いに疑問の残るところです。

 そして、我々西側はIS掃討のためにエルドアン政権と手を組み続ける必要があります。民主主義、法の支配という建前からすればクーデターを許すわけにはいきません。しかし一方で、イスラム主義を独裁に使うエルドアンは警戒しなくてはならない。特に、今回のギュレン一派を根絶やしにしようとする動きは要警戒です。まさに、テーブルの上で握手をしつつ、下では足を蹴りあう展開。この複雑怪奇な動きに我が国は...、どうも「触らぬ神に祟りなし」という諺を思い出してしまいます。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

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