2016年01月18日

日銀のDNA

 年初からの株価の下落が続いています。週明け18日の東京株式市場・日経平均株価も続落し、終値で1万7千円を割り込みました。

『東証続落、終値1万7千円割れ 原油安、米景気懸念で』(1月18日 共同通信)http://goo.gl/v4U3OD
<週明け18日の東京株式市場の日経平均株価(225種)は続落し、終値は前週末比191円54銭安の1万6955円57銭となった。1万7000円を割り込んだのは、中国経済への不安が強まった昨年9月29日以来、約4カ月ぶり。>

 こうなってくると、市場は日銀の追加緩和への期待が高まります。国会の予算委員会でも、連日、日銀の黒田総裁を参考人として召致し、追加緩和、今後の金融政策について質問しています。

『黒田日銀総裁「現時点で追加緩和をする考えはない」 参院予算委』(1月15日 日本経済新聞)http://goo.gl/fxLyoO
<金融政策については「現時点で追加緩和をする考えはない」としたが「物価の基調に変化が生じたら、ちゅうちょなく政策を調整する用意はある」とも述べた。民主党の石橋通宏委員への答弁。>
『物価目標の実現めざし、持続に必要な時点まで緩和継続=黒田総裁』(1月18日 ロイター)http://goo.gl/gc5Pv7
<日銀の黒田東彦総裁は、18日の参院予算委員会で、2%の物価安定目標に関し、「物価目標の実現めざし、持続に必要な時点まで緩和を継続する」との認識をあらためて示した。藤巻健史委員(お維)への答弁。>

 ただ、金融緩和に対しては以前から批判的な声も少なくありません。さらに、去年12月に金融緩和の補完策が発表されてからは、「やっぱり無理な政策。金融緩和は限界を迎えた!」「これ以上無理をすると破たんする!」といった論調も目立つようになってきました。

『日銀緩和補強策「サプライズ」不発 先行き不安視広がる』(12月19日 毎日新聞)http://goo.gl/KL0Mft
<(補強策は)保有する国債の償還までの平均期間を「7〜10年程度」から「7〜12年程度」に延長する。より長い金利の低下を促し、設備投資などお金を使いやすい環境にする狙い。さらに、上場投資信託(ETF)の買い入れペースを、現在の年3兆円から3000億円増額する。>
<金融市場では補強措置をいったん好感しつつも、直後に「日銀の金融政策の限界を感じた」との失望が広がり、株価、為替相場とも乱高下した。>
<市場からは「短期決戦だったはずの政策の長期化に備えた措置だが、泥沼化してきたとの印象が拭えない」(BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミスト)と冷めた見方も出ている。
黒田総裁が打ち出す政策に、市場は「円安・株高」で応え、デフレ脱却を後押ししてきたが、緩和効果の行き詰まりとともに、日銀と市場とのコミュニケーションにも陰りが見え始めた>

 この補強策は、金融政策決定会合の中でも賛否の別れたものであったことが、年明けに出された出席者の「主な意見」でわかっています。

『「緩和の限界意識」と反対意見も 日銀「主な意見」初公表 昨年12月17~18日の金融政策決定会合』(1月8日 産経新聞)http://goo.gl/Ilys9n
<賛成が多かったが、反対意見には、「国債管理政策への関与を強め、金融政策の正常化に要する時間を長期化させる」「大規模緩和を長期化させる可能性が出てくる」などがあった。>

 デフレ脱却よりもはるか前から、すでに出口戦略を議論しています。これは注目すべきポイントで、こうした日銀の体質がデフレ脱却のチャンスをみすみす逃したというのが、最近出てきた過去の金融政策決定会合の議事録から見ることが出来ます。

『バブル警戒で緩和解除機運 日銀決定会合05年7~12月議事録』(1月15日 日本経済新聞)http://goo.gl/FxzNJG
<日銀は15日、2005年7~12月の金融政策決定会合の議事録を公表した。当時は消費者物価指数(CPI)の上昇が視野に入り、日銀が06年3月に決める量的緩和政策の解除に向けて動き始めた時期。バブル再燃への警戒から緩和解除に前のめりになっていく様子が浮かび上がった。>
<福井俊彦総裁がバブルの兆しに言及したのは10月12日の会合。地価や株価の過熱に対し、他の委員も「1980年代後半のバブル期に発生した現象に似てきている」(12月16日、福間年勝委員)と同調。解除待ったなしの空気が高まった。>
<緩和解除を急いだ裏には米国が利上げを進めるなど「世界全体で金融政策をノーマライゼーション(正常化)しようとしている」(同日、水野温氏委員)状況もあった。>

 今とウリ二つだと思いませんか?アメリカが金融緩和をやめて利上げに転じているから、日本もそろそろ出口戦略を考えなければいけない。金融緩和というのは異常事態であって、機会を見つけて可及的速やかにやめなくてはならない。10年後の今もまったく同じ議論をしています。

 さらにこの議事録の中では、福井総裁が「(量的緩和は)異例な政策、ないし異常な政策」と表現(11月会合)。これに対して「『異例』にしていただけないか。『異常な政策』という言葉はかなりショッキングな響きを持つ」(中原眞委員)と批判され、「つい極端な表現を使ってしまうのだが。異例な政策だな」(福井総裁)と返答しています。

 そもそも、金融緩和を止めることを『正常化』と表現するあたりから、日銀が伝統的に金融緩和を異端視していることが良く分かるわけですが、本当にこの当時は金融緩和を止められるほど物価が上昇していたのでしょうか?この当時の物価の変動を見てみると、総合指数も、生鮮食品を除く総合(コア指数)も、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合(コアコア指数)も、前年同期比で見ると良くてゼロ、マイナスもザラです。

『消費者物価指数(CPI)』(総務省統計局HP)http://goo.gl/lrjKXw

 数字を見ると、都心では急激な不動産価格の動きなどがあったかもしれませんが、少なくとも全国で見ればバブルのかけらもないわけです。バブル期は都心のみならず郊外、地方部でも不動産価格の急激な上昇があったからバブルだったわけで、今考えると当時の日銀の判断は「羹に懲りてなますを吹く」という諺を地で行っていたことがよくわかります。バブル期の反省なのか何なのか、バブルの芽とも言えないほど小さな物価上昇のサインであっても見逃さず、捉えて潰すというのが日銀の本能のようです。

 そして問題は、現在の日銀法には、日銀がこのような本能をむき出しにしたとき、政府の側にも国民にも止める術が一つもないということ。現在の日銀法というのは、2005年当時のものと同じ。では10年前どうだったのかというと、当時の福井日銀は政府の反対を振り切って金融緩和解除に突っ走りました。意見すること以外に何もできない政府も与党も全くの無力でした。早すぎる緩和解除は物価の足を引っ張り、特にコアコアCPIは2年以上マイナスから顔を出すことすらありませんでした。デフレ脱却に失敗したわけです。

 さあ、同じ轍を踏まずに今年を乗り切ることができるのか?そういえば、与党は今国会に日銀法改正案を出したいと言っていましたが、その後どうなったのでしょう?
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

■会員制ファンクラブ(CAMPFIREファンクラブ)
「飯田浩司そこまで言うか!ONLINE」

最新の記事
アーカイブ

トップページ