先週末、沖縄に出張してきました。その目的は、国防の最前線を取材すること。すなわち、海上自衛隊の東シナ海警戒の現場を、P3-C哨戒機に搭乗取材することでした。
沖縄本島には、陸・海・空の自衛隊が集まっています。陸上自衛隊の第15旅団については、去年第101不発弾処理隊を取材し、特番を作りました。一方、東シナ海哨戒を担っているのは、海上自衛隊の第5航空群。その中の第52飛行隊に取材をしました。
かつては対潜哨戒機と呼ばれたP3-C。冷戦当時は北海道に多く配置され、オホーツク海の旧ソ連潜水艦をマークし続けました。旧ソ連の戦略原潜がオホーツク海から外に出ることを許さなかったことで、米ソ冷戦の終結へ一役買ったとも言われています。その当時から海の警備の要であったP3-C。今は波風高い東シナ海の警戒を担うべく、那覇基地に10機以上が集結しています。
那覇基地に並ぶP3-C哨戒機
まず機内に足を踏み入れて感じたのは、意外と狭い。そして、人が多い。フライト前の打ち合わせで横一列に整列するとこんなに人がいるんだと驚いたんですが、それぞれが持ち場に就くとさらに驚きました。10人以上がそれぞれの持ち場についているんですが、レーダーを担当する要員やあらゆる無線通信を担当する要員などが、ある人はじっとモニターを凝視し、ある人はヘッドホンに入ってくる音に耳を澄まし、ある人は電信のやり取りを続けています。それぞれが司々で代わりはなく、一人しかいません。
全員が「ラストマン」。
最後の砦たちが集まって一機の哨戒機を機能させています。一回のフライトで8時間から9時間飛ぶということで、その間彼らの能力そのものが国を守っているわけです。そのプレッシャーたるや、想像するだけで胃が痛くなりそうです。
P3-C哨戒機のコクピット。1960年代の設計のまま、ご覧の通りのアナログさです。
航空機で海上を哨戒するということで、肉眼でじっと監視しているのかと思ったんですが、レーダーやソナーなどを駆使していることが分かります。レーダーで反応を見、ソナーでスクリュー音を聴いて、音の波形でどんな船舶か判断するそうです。私もスクリュー音を聞かせてもらいましたが、素人にはそのわずかなスクリュー音を聴くだけでも一苦労。さらにそれを聞き分けるというのは一朝一夕でできるものではありません。まさに職人芸。そうして潜水艦を発見した時には、「いた!」と、隊長曰くまさしく「吠える」そうです。そして、一度見つけたら二度と逃さない。もし逃してしまったらどうなるか?恥ずかしくて基地に帰れないと隊員は口を揃えます。
中国との間でせめぎあいが続く東シナ海。隊員に対して隊長が口を酸っぱくして言い続けているのは、「国際法を熟知し、遵守せよ」ということ。彼ら中国は国際舞台に出てきたばっかりで立ち振る舞い方を知らない。だから、無茶な膨張をしたり国際法を自分のいいように解釈して行動したりする。それに対して国際法を教えるのであれば、自分たちが国際法に則って行動しなければならない。相手の挑発に乗って事態をエスカレートさせるようなことが万に一つもあってはならない。国際法を知らないのなら、P3-Cに乗るなということを原則としています。
やはり、現場の最前線は非常に自制的。
昨今の安保法制議論の中でも法律が変われば戦争になるという批判がありますが、現場を知らない批判と言わざるを得ません。自衛隊員は好戦的なんてことはなく、むしろ自制的に、非常に忍耐強く対応していることがよくわかりました。
さて、今回の搭乗取材でもう一つ感じたのは、那覇空港の過密さ。一通りの体験搭乗を終えて那覇に帰投したとはお昼12時過ぎ。この時間帯は那覇空港では一番の過密時間帯の一つで、2分に1回以上のペースで離着陸が設定されているそうです。しかも、梅雨時期で空港上空に激しい雷雲が発生。雲の切れ間に離着陸双方の飛行機が殺到していました。
そうなると割を食うのが自衛隊機だそうで、一説によれば民航機は離着陸を待たせたり、着陸をやり直したり他の空港に行き先変更したりすると、燃料代やら乗客への補償やら余分にコストがかかる。それを考えると、自衛隊機が後回しになるケースが多いそうです。我々のP3-Cも、滑走路上に離陸直前の民航機がいて、これがなかなか離陸しなかったので、ギリギリまで粘りましたが結局着陸のやり直しとなりました。やはり、一刻も早い第2滑走路の完成が待たれます。
いずれにせよ、どんな条件でも黙々と任務をこなし続ける海上自衛隊P3-Cと隊員たち。その献身を目の当たりにすれば、右も左もなく自衛隊が国を守っていることを実感できました。