今日で東日本大震災から4年。各メディアが特集を組んでいますが、我々ザ・ボイスも先週末被災地取材に行ってきました。その模様は、今週月曜から3日間、4時半ごろのザ・フォーカスのコーナーでお送りしています。
今週と来週は、ザ・フォーカスのコーナーで言い残したことも含めて、このブログでも報告したいと思います。今週は、10(火)、11(水)に放送した、福島県双葉郡大熊町から。
言わずと知れた福島第一原子力発電所の立地自治体の一つ、大熊町。第一原発のほぼ南半分が大熊町にかかっています。(北半分は双葉町)震災、その後の原発事故により全町避難を余儀なくされ、現在も町民の皆さんは避難生活を続けていて、宿泊は許されていません。というのは当然、放射線量が高いからで、その高さに応じて帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域の3つのゾーンに分かれています。
このうち帰還困難地域には、町が発行する通行証がなければ立ち入ることはできません。帰還困難地域に入るルートは限定されていて、入り口のゲートには必ず警備員がいて身元のチェックをします。事前に申請した人間以外が車に乗っていないか?申請した車に間違いはないか?一人一人の身分証明書をチェックし、通行証とナンバープレートを照合していて、少し時間がかかりました。以前、旧警戒区域が避難指示解除準備区域に再編されたタイミングで浪江町の取材に行きましたが、その時と比べて厳しくチェックしている印象でしたね。
また、基本的には防護服を着て立ち入ることになります。今回は我々も町から許可を頂いて、街の中を取材してきました。
今回の取材は東京から常磐道を通って行ったわけですが、最寄りの常磐富岡ICが近づいてくると、高速の車窓からも黒い袋が目に飛び込んできます。現在行われている除染作業。その作業で取り除かれた土砂や草などの『除染土』が中に入っています。東北・関東8県でこの『除染土』の総量は577万立方メートル。(環境省発表)東京ドーム5杯分に上り、そのうちの95%が福島県に集中しています。現在は、福島県内の7万5000か所以上に仮置きされている状況です。ただ、仮置きといっても、休耕中の水田に並べられていたり、使われなくなった工場の駐車場に積まれていたり。最終処分場は決まっていませんし、中間貯蔵施設もまだ出来ていないので、とりあえず置いておくしかないというのが現状です。
それを打開する意味もあって、大熊町、双葉町は中間貯蔵施設の町内での建設を受け入れました。もちろん、30年以内に県外に汚染土を運びだし、最終処分することや、十分な補償というものも受け入れの条件に挙げられているのは言うまでもありません。大熊町の渡辺利綱町長も「苦渋の決断だが、やむを得ない」と語っています。
中間貯蔵施設の予定地の高台からは、福島第一原発が遠望できました。福島第一原発と中間貯蔵施設。大熊町を全町避難に追いやり、苦渋の決断を迫ったこの2つの施設ですが、皮肉にも町の復興ビジョンにはこの2施設がカギとなっています。追って後ほど、ご紹介しましょう。
さて、帰還困難区域に入ると、時計が4年前で止まったよう。生活している人がいないわけで、人工的な音が全く聞こえません。沿岸の津波の被害を受けたあたりはまだまだ爪痕が残っているんですが、内陸部、JR常磐線の大野駅周辺などは地震に耐えた新しい建物など見た目には全く傷がありません。町役場、図書館、県立病院...。お話を伺った町民の方は、
「除染さえ終われば、こうした施設は無傷なんだから使えるはずなんだ...」
と話します。
そもそも原発事故が起こる前は原発マネーを原資に子育て支援にも積極的で、福島県の中でも珍しく若年人口が増えつつあった大熊町。町が長年整備してきたインフラは原発事故で台無しになってしまったわけではなく、使える可能性のあるものも少なくないようです。
一方で、福島第一原発の廃炉は向こう30年、40年という長期に渡ります。廃炉作業に携わる人は日を追って増えて、現状一日7000人弱が働いています。町の経済活性化という観点で見れば、この7000人という数字は非常にインパクトが大きい。今はこの人たちは南相馬だとか広野、いわきといった浜通りの周辺から原発に通ってきているわけですが、除染が済んで大熊に住むようになれば相当な経済効果をもたらします。
また、世界最先端の廃炉の現場では、原子力に関する様々な知見が新たに生まれてきます。大熊が除染されればそうした研究機関の立地も期待できるのです。さらに、今年の春には、福島第一原発の作業員のための給食センターも稼働します。
原発廃炉と中間貯蔵施設を抱える大熊町。原発と併走しながら街づくりをするしかないと腹をくくって前を向こうとしています。
「原発をむしろ前向きに捉えるしかない」
という考え方は、部外者からはなかなか言えないことです。利用できるものは最大限利用できるだけ利用して、とにかく第一歩を踏み出そうという話には、力強い意志がありました。
もちろん、それが町民の総意ではありません。話を伺った町民の方も、
「何代にも渡って住んできた人と、最近移住してきた人では帰ろうという意志に濃淡があるのは確か。平時ならそうした一つ一つの意見を集約して最大公約数を探ろうとするけれど、こうした非常時はまず行政がビジョンを出して、町民を引っ張っていかなくちゃいけないと思うんだ。今は、町としては一つの答案を出したという段階」
と話しました。
この復興計画の前提となっているのが、除染です。最終的には全町を除染するのに越したことはないですが、まずは計画にある町の一部でいいから除染してほしいというのが、お話を伺った町民の方の願いです。そうしてまずは廃炉関係の作業員に大熊への定住を促し、人が集まってくればそれを目当てに商売する人たちが集まるだろう。この流れの中で町が活性化してくれば、もともといた住民たちも戻ってくることを選択肢に挙げてくれるようになるだろうと話してくれました。住民の皆さんは力強い意志を持って具体的な町の未来を描いている。そう感じました。