2014年03月11日

記憶をつなぐ方法

 東日本大震災から3年。あの1000年に一度の大津波からどのように立ち直るか、様々な議論が続いています。特に、海岸線をぐるりと囲む防潮堤の計画に対しては、地元の住民からも反対があります。政府は防潮堤の整備一辺倒だったんですが、最近は安倍総理も国会答弁で、柔軟な姿勢を見せています。

 

『首相「景観も重要」 巨大防潮堤見直しも』(日本経済新聞 3月10日)http://s.nikkei.com/1i2wx17
<安倍晋三首相は10日午前の参院予算委員会で、東日本大震災の被災地での巨大な防潮堤の建設計画について「景観も重要で、被災直後から住民の意識も変わってきた。今後、見直しを自治体と相談しながらやっていく必要がある」と表明した。景観や漁業への悪影響など住民らの懸念を踏まえ、自治体と協議して見直す可能性を示した。>

 

 防潮堤を作れば、土木作業の需要は生み出せてもますが、それは一時的なもの。陸地から海が全く見えなくなれば、今まで売りにしていた「景観」がなくなり、観光客は来なくなる。そう考えると、防潮堤を作るよりも地震が来たら逃げるという文化の継承こそが大事なのではないか?と言われています。

 しかし、そこでまた、「記憶の継承」という難問が立ちはだかるわけです。この東日本大震災はスマホや携帯といったものを使って、動画記録が膨大な数残る初めての災害となりました。こういったデジタルアーカイブスを使えば、今までとは違って相当な伝承が可能ではないかと様々な試みがなされています。国立国会図書館が運営する、東日本大震災に関するあらゆる記録・教訓を次の世代へ伝えることを目的としたポータルサイト、『ひなぎく』が代表的です。

 

『ひなぎく』http://kn.ndl.go.jp/

 

 とはいえ、動画や画像ではともすればヴァーチャルなものと受け取られかねません。津波の圧倒的な被害の規模を実感してもらうために手触りのあるもの、震災遺構を残そうという動きもあります。が、一方で地震を思い出したくないという気持ちもあり、震災遺構の保存については各地で意見が分かれています。宮古の「たろう観光ホテル」や陸前高田の「奇跡の一本松」など3市8件の保存が決定。大船渡の「茶々丸パークの時計塔」や大槌の「旧役場庁舎」など5市町村8件が保存の方向で検討。一方、女川の「江島共済会館」や南三陸の「防災対策庁舎」など2町3件は解体が決定。また仙台、岩沼、山元、浪江の4市町5件は対応が決まっていないそうです。

 

『保存意向も維持費厳しく 国の新方針で解体できず』(産経新聞 3月7日)http://on-msn.com/1dLptF2

 

 また、すでに解体されてしまったものも多数あります。気仙沼市街地には津波によって漁船・第18共徳丸が打ち上げられていました。この共徳丸を、気仙沼市は津波の脅威を伝える『震災遺構』として保存しようとしましたが、「見たくない」という住民の声が多く、去年解体されました。これに関して、気仙沼の仮設店舗で飲食店を営む女性に取材をすると、興味深い話を聞けました。漁船の解体以降、客足が半減してしまったというのです。皮肉なことに、震災遺構が結果として被災地に観光客を引きつけるシンボルのように作用していた例もあるわけですね。

 

 地震の記憶をどう保存するべきか...この問題についてヒントを探ろうと、1995年に発生した「阪神・淡路大震災」の記憶と教訓を伝えるために作られた、神戸にある『人と防災未来センター』に伺いました。

 センターを見学すると、最初に「1.17シアター」という、地震発生を再現した7分間の映像を見ることができます。大きな音と光で地震の大きさを表現しています。シアターを出ると、震災直後の街並みを実物大で再現したジオラマ、震災での人々と町の様子を再現したドラマを見て、その後は震災の資料や教訓の展示に進みます。私はこの「1.17シアター」を体験して、正直その迫力に圧倒されました。それゆえ、震災を体験した神戸の方々にとってはつらい記憶を呼び覚ますことにならないのか?抗議などは来なかったのか?疑問が様々に浮かんできました。見学後話を伺った、『人と防災未来センター』の広報・松村嘉奈子さんは、
「恐がらせるための物だと取られると困るんですが、当時はそう取られる方もいた。しかし、こうした都市災害の中では大規模なものだったので、こうしたことが起こり得るのだということを知ってもらうためには必要なものだと訴え続けた。賛否両論であったのは確か。ただ、抗議はだんだんと減っていった。」
 今は、阪神大震災をリアルタイムでは体験していない修学旅行生が数多く訪れるそうですが、東日本大震災以降は特に、災害の様子がより立体感を持って伝わっている実感があるそうで、こうした展示をクレームを乗り越えて残してきたことに意味があるとおっしゃっていました。
 この『人と防災未来センター』に集められている震災関連の資料は16万点~18万点。その中には、地震の後に起こった火災で燃えてしまった自宅の瓦であるとか、溶けてしまった一円硬貨など、19年経っても生々しく当時を伝えるものが数多くあります。そうした資料は、展示の方法などを考えず、とにかく集めたそうです。というのも、震災の記憶が生々しいうちは「忘れたい」という気持ちが先行しますが、時が経つにつれ、だんだんと「この経験を生かしてほしい」という気持ちに変わって行くそうで、それゆえ被災地から視察に来た人には、「とりあえず取っておく」というのも選択肢ですよとアドバイスするそうです。つまりは保留を勧めるというわけですね。

 

 これだけデジタルアーカイブスが充実しているわけですから、震災遺構とアーカイブスの組み合わせでより立体的に記憶を継承できる可能性があります。それゆえ私は残せる遺構は残した方がいいという立場です。しかし、今はまだ動き出すべきタイミングではない。復興がもう少し進んだ時に、議論の機が熟すでしょう。議論をするときに、少しでも多くの選択肢が残っているように、拙速に結論を出さず、保留にすることも必要なのではないでしょうか。

プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

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