2013年06月13日

止んだ解散風

 「6月4日をもって、衆参ダブル選挙はなくなった」と、各メディアでしきりに報道されました。しかしながら、表面上は火が消えていても、関係者の意識の深層には熾火のように解散の可能性がくすぶっています。特に、ベテラン記者や古株の政治家の脳裏には80年代後半の驚きの解散劇が脳裏にこびりついているのです。というのも、現在の政治状況がその当時と非常に似ているのです。
 一票の格差をめぐる裁判で軒並み違憲判決が出て、衆議院議員の正統性に疑問が持たれているという点。さらに、3年に1度の参院選の日程がだいたい出ているという点でも。

 

 1986年(昭和61年)当時の政治状況を振り返ってみましょう。
 前年の1985年7月に最高裁が衆議院の一票の格差に対して違憲判決を出しており、翌86年の通常国会で公職選挙法改正案が成立しました。しかし、ダブル選挙を反対する野党の要求で、改正法には周知期間を30日取るという附則がつけられたのです。これにより、物理的に衆参ダブル選挙は不可能と思われました。また、当時の後藤田官房長官も、「この法改正により総理の解散権が制限される」という趣旨の発言をし、これでダブル選挙はまずないと永田町の誰もが考えました。
 先日番組でご一緒した政治評論家の加藤清隆さんは、当時、時事通信政治部の総理番記者。そのころを振り返って、
「世の中の流れはダブル選挙はないってことだったんだけど、どうしても心配になって記者懇談の時に官房長官に「ウルトラCもないんですね?」って聞いたんだけど、はっきり「ない」って言ってたから安心したんだよ」
と言っていました。
 ところが。
「ウルトラCはなかったけれども、ウルトラDがあった」(加藤さん)。

 

 公選法改正案採決の5月22日をもってつつがなく通常国会を閉会させた中曽根総理は、突如6月2日に臨時国会を召集。その日の閣議で衆議院の解散を決めました。当然、野党は猛反発。本会議の召集が叶わず、議長応接室に各会派の代表を呼び、議長が解散詔書を朗読しての衆議院解散となりました。恒例の「バンザ~イ」のない、異例の衆議院解散だったというわけですね。
 これが、世にいう『死んだふり解散』です。
 そして、このときの衆参ダブル選挙は、高い内閣支持率や周到な選挙準備により与党自民党の圧勝に終わりました。ちなみに、この時の初当選組に、ダブル選挙へ鍵を握る現自民党幹事長の石破茂氏がいるわけで、歴史の巡り合わせとは不思議なものです。

 

 さて、先日このブログに書いたとおり、参院選は伸ばそうと思えば8月末まで持っていけるわけで、1986年のように突如臨時国会を開いて衆参ダブル選挙に持っていくのは物理的には可能。後は安倍総理の腹一つです。ただ、最近聞こえてくるのは「総理は弱気だ」という噂ばかり。大将があきらめてしまっては何も動きませんが、さりとて何の準備もしないのも気持ちが悪い。衆議院議員も、せめて、参院選や都議選の応援にかこつけて週末は地元帰り。会期末を控え、国会周辺は何となくそわそわしています。

書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
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