2013年04月10日

決められる政治とは(浪江町を取材して)

 4月1日、福島県の浪江町の避難指示区域と警戒区域が再編されました。その中の「避難指示解除準備区域」に指定されたところへ4月5日に取材に行きました。避難指示解除準備区域は日中の立ち入りは基本自由・宿泊は不可、という制限です。とはいえ、治安の問題もありますので、浪江町は許可証がないと入れず、
時間も夕方4時までと決まっています。


 平日でしたが、再編直後だったので、ある程度は住民の方が片づけに来ていると思ったのですが...、まるで人がいません。まさに、「無音の街」。全く音がしない町の中で、剥がれ落ちた看板が風に揺れてきしむ音が鳴っている、小鳥の鳴き声が妙に大きく聞こえるのが印象的でした。そして、街中は至るところで建物が崩れて、地震直後そのままという印象。震災直後に避難指示が出され、その後片づけることも立て直すことも許されないまま2年が経ったわけですから当然と言えば当然なんですが、余りにそのままなのに驚きました。

 

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 そんな中、住民の方の何人かにお話を伺いましたが、
「線量を気にして、若い人はほとんど来ない。今後も来ないだろう」
「2年間放置されてきた家屋はダメージが激しい(雨漏り、床が抜ける、ネズミ害、野良牛が侵入したという報告も)」
「家の中を整理しようと思っても、可燃ごみ以外は持って行ってもらえない。」
「バラバラに避難しているので、すでに地域コミュニティが分断されている。周りが帰ってこないのに、自分だけ帰ってきても意味がない」
「医療機関や公共サービスがどこまで戻るのかわからない」

 どの方も、「元の街に戻るのは無理」と言います。実際、浪江町の隣にあって一年前に避難指示解除準備区域になった南相馬市小高区にも人は全くおらず、復興が進んでいるとはとても言えません。

 また浪江町の海側、請戸地区にも行きました。請戸地区は福島県で最も津波の被害が大きかった場所です。さらに原発事故の影響で人が入れなかったことから、広大な湿地のようなところに車や船の残骸が転がっているという状況です。ここからは福島第一原発の排気筒が見えるほど原発が近いので、ちょうど冷却装置が停止したというニュースが入ってギョッとしましたが・・・。

 

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 というように、浪江とは別の場所での生活が定着しつつある人が多いようです。3月の岩手での取材の時にも感じたことですが、ここでも震災前からの問題が復興の際に大きな問題として持ち上がっていると思います。すなわち、過疎化。この問題を抜きにして多額の税金を投入して原状復帰させても、20、30年後には限界集落化していくでしょう。さらに、福島には放射能汚染というさらに重い問題も抱えています。除染に莫大な費用をかけ、限界集落を次々と作るというのが、果たして政策と言えるのか?今のようにだらだらと現状維持を決め込むよりも、非常に残酷な結論なんですが「ここは住めない地域です」と宣言するのが政治の決断なのではないか?あくまで私が取材した印象ですが、被災者の方がはるかに冷静に考えていて、「住めない」という現実を受け入れつつあるように感じました。

 

 さて、取材から帰ってから、政治の側にも少しずつ動きがあることがわかりました。これは偶然ですが、私が取材していた5日の衆議院予算委員会で、
日本維新の会の中田宏議員が質問に立ち、被災された方々へのお見舞いを述べた後、

「福島県民のこれから、当該地域の人たちの人生設計を私たち政治家はしっかりとサポートしなければいけないと先程申し上げましたけれども、このことを考えたら、戻れるかのような言い方で、ずっと引っ張っても、これは不誠実だと思います。もはや、戻れない。いや、政治においては戻るべきではないところという風に、どこかで決断をしないと、この人たちの人生はね、ずっと今の状態のままで5年10年20年と過ごしていくことになりますよ。(中略)私は、ここはどこかで政治の決断が必要だと、いう風に思っておりますが、安倍総理、いかがですか?」と質問したのです。


http://bit.ly/10Sxspj (5:21:40付近から中田議員質問、発言は5:51:00頃)


 その上で、ここに放射性廃棄物の処分場を造るより仕方がないのではないか?という提言も行っていました。
 政権側としては、ここで明言することはできませんでしたが、私は非常に有意義な問題提起であったと思います。高度成長時代の政治の役割は富の分配を決めるということでしたが、今のような低成長時代の政治の役割は、むしろ負担をどう分かち合うかを決断するということです。ポピュリズムに陥らず、有権者にとって耳の痛い話を職を賭けてしていくのが真の政治家ではないでしょうか。


 被災地は、政治の決断を待っています。

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書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

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