当時、ニッポン放送報道部のニュースデスクだった上村貢聖さんは、東日本大震災の取材の過程で、会津若松の小学校で被災をし、その後福島市の視覚支援学校に進んだ小椋汐里さんと出会いました。
当時は中学1年生でしたが、上村さんのインタビューに答える汐里さんは5歳から全盲になったもののその声は非常に明るく、
また自分の思いを的確な言葉で伝えることのできるお嬢さんだと思ったものでした。
上村さんは事あるごとに汐里さんを訪ね取材を続け、そのドキュメンタリー番組は多くの賞を受賞しました。
私はナレーションを担当してきましたが、年を追うごとに汐里さんの人生の道筋がしっかりしていく様を聴いてきました。
幼き頃はお母さんから料理を作るために包丁を持たされるなど、ありとあらゆる経験を重ねてきました。
中学から高校時代には英語に興味を持ち通訳や英語教師になりたいと語りました。
そして東北学院大学英文科に進み、たしか海外留学も経験し、とうとう夢をかなえ公立中学の英語教師となったのでした。
上村さんは全盲の先生から英語を学ぶことに対する気持ちを生徒たちに丹念に聴きました。
もちろん戸惑いの言葉も多々あったのですが、汐里さんは生徒の声と席の位置と名前を覚えて授業に臨み、そしてその明るい声と美しい英語の発音で、生徒たちの信頼をどんどんと得てみんなから汐里先生と慕われるようになって行きました。
そして気が付けば教師生活も5年になり、先日上村さんに「あさぼらけ」で汐里先生が道徳の授業を行った模様をリポートしてもらいました。
せっかくと言っては何ですが、12月25日5時台の「ラジオチャリティーミュージックソン」に電話でご出演いただき、サンドウィッチマンのお二人と話をしてもらおうと考えています。
今はミヤギテレビで汐里さんが特集された模様をYouTubeで観ることが出来ます。検索をしてみてください。
私にとっては中学生だったあの子がこんなに立派になってねぇという親戚の叔父さんのような気分でいます。
学生時代に福島の猪苗代湖の近くの村を勉強合宿のために尋ねた神田青年が、地域の方の名前が「小椋」さんばかりなのに驚き、そこに後に奥様となる佳穂里さんが突然訪ねてきたことから、
音楽活動の際の名前を小椋佳にとしたと聞きましたが、小椋汐里さんも福島会津若松のご出身。
何かのご縁を感じざるをえません・・・

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