上柳昌彦 ラジオの人

2024.09.22

あれから一週間後に

9月15日土曜日の朝は能登半島の七尾のビジネスホテルで迎えました。 

前日の夜、勇気を振り絞って七尾駅から少し離れた小さな飲食店街でポツンと空いていたスナックの扉を勇気を出してあけた結果、地元の方々に震災後のお話を様々伺うことが出来た興奮のようなものもあり、6時過ぎには目が覚めました。 

輪島に入るために早めに食事をとろうと6時半の朝食開始に一番乗りのつもりでバイキングが用意された場所に降りると、席は満席で20名ほどの人が黙々と食事をとっていました。 

まさかこんな早い時間にと驚いたのですが、よく見ればほとんどの人が作業着的な格好をしていて、復興現場の作業やボランティアに向かう方々が泊まっていたのだと気づきました。 

奥能登にはまだ大勢が宿泊できる地区がないために、七尾などを宿泊拠点にして現場に早い時間に向かう人々が朝食をとっていたのです。 

その一週間後、能登半島は豪雨に見舞われ私が廻った能登町や輪島市市にも大きな被害に見舞われてしまいました。 

地震で倒壊した建物がいまだにそここに見られた輪島市内は広い範囲が浸水したようです。 

北陸放送の谷川恵一アナウンサーからも「仮設住宅も床上浸水。安全な場所はないものかと改めて思いました」と悲痛なラインがとどきました。 

なぜまた能登なのか。神も仏もあったものではないと思わざるを得ません。 

あの時、輪島の海沿いの輪島マリンタウン催事会場で行われた「輪島朝市カムバックイベント」で勇壮な高洲太鼓を聞かせてくれた高校生たちや朝市でお店を出していた方々の無事を心より願うばかりです。