上柳昌彦 ラジオの人

2024.09.16

台北と能登

年頃のお子さんとの関係に悩む私の知人が、一家で台湾旅行に行ったらとても良いところで、家族の会話が復活したという話を妙に覚えていたのでした。

だからという訳ではないのですが、私もいつかは家族で台湾にと思っていたのです。

あれから数年、いわゆる台湾有事、そして花蓮という名勝地が被害を受けた地震など台湾を取り巻く情勢も様ありましたが、今回の夏休みでやっと家族で行くことができました。

名所旧跡や食事の話はまたの機会に回しますが、朝の通勤ラッシュはどこから来たのかというほどのバイクが走っているものの、アジアの国にありがちな排気ガスの臭いがなかったことが不思議でした。

新しい大きなビルは有事の際の「防空避難」に指定されていて、古いビルはかなり前に建設されたのだろうという雰囲気。

しかし道路や、夜店が立ち並び大変な人出で盛り上がる台北名物の夜市などは、掃除が行き届いました。

地下鉄は便利で安く治安もよく、いわゆる優先席にはラッシュ時でも座る人はほとんどいないのが印象的でした。

観光地の十分ではランタンを上げ、九分では「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の住まいのモデルになったという場所に行きましたが、撮影ポイントを求めて狭くて急な階段は立錐の余地なしという盛り上がり方でした。

出会う現地の方々は非常にフレンドリーで夜市での食べ歩きも堪能し、家族全員大満足の旅となりました。

帰国し、今度は能登半島へのひとり旅に。

元日の能登半島地震発災を受けて、現地で取材をし夜に北陸放送の谷川恵一アナウンサーと特番をお送りする予定が、喉を傷めて残念ながら行くことが出来ませんでした。

今回ようやく現地に行き、富山の新高岡駅から能登町、のとじま水族館、そして七尾を初日にめぐりました。

7月に対面通行が再開した、のと里山海道や能越自動車道はがけ崩れや崩落を避けるように左右、上下にうねってはいましたが、震災から7か月でここまで復旧させた努力に頭が下がる思いでした。

翌日は七尾から輪島、そして新高岡駅に戻る行程でしたが、二日間で500キロ近い走行距離で能登半島の広さを改めて痛感。

輪島市内はまだ損壊したビルや家屋がそこここに残っていて、輪島朝市は瓦礫を撤去している状況でした。

倒壊しているのは古い日本家屋が多い印象でしたが、繰り返し報道された7階建てのビルが横倒しになっている光景は、なぜここだけがと思わざるをえませんでした。

市内からほど近い白米千枚田も大きな被害を受けましたが、

一部で稲の収穫が行われたことは、関係者の皆様の奮闘努力の賜物と思いました。

七尾ではスナックに飛び込み、棚のお酒がすべて落ちて割れてしまい自費で買いなおしたママさんやチーママさん、自宅が全壊して奥様の実家に避難中でやっと仮設住宅が当選したご常連の方々にお話を聴きました。

一部損壊でもリホームが必要だけど全壊、半壊のようには補助が出ない現実や、断水の数か月は飲み水や風呂に加えて洗濯に本当に苦労したと聞きました。

また七尾市では8月下旬には台湾からの義援金が65歳以上の高齢者に配られたとも聞き、今回の旅がここでつながったと思いました。

「輪島朝市カムバックイベント」では、輪島の高校生の皆さんの「高州太鼓」の熱演に胸熱くなった旅の終わりでありました。

 

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