戦前に有楽町に建てられた糖業会館の4階から上を借りて1954年にニッポン放送は産声をあげました。
90年代にお台場に移転した時期を除いて今でも、2階と3階には糖業協会の施設があり、4階から9階にニッポン放送と私の所属するミックスゾーンが入っています。
そのようなご縁もあって糖業協会が主催する「食育・知識・教養セミナー」の司会を年に2回担当しています。
先日は八重洲のホールにマラソンの瀬古利彦さんをお招きして70分間の講演をして頂きました。
瀬古さんは私より一つ年上の1956年生まれ。早大陸上部で箱根駅伝の花の2区を走り、マラソンでは数々の数々の記録を打ち立てた伝説の方です。
しかしモスクワオリンピックを西側諸国がボイコットして(ソ連がアフガニスタンを侵攻したため)ピーク時に走れず、その後のロスやソウルオリンピックでは残念ながらメダルには手が届来ませんでした。
当時、そのような苦労を一身に背負ってしまった印象から「走る修行僧」とも呼ばれ、私の印象ではいつも思いつめた表情をした無口な悲劇のヒーローという存在でした。
しかし現役を引退し、マラソンの解説を始めるとその印象がガラリと変わり、大変に能弁でおしゃべりがとても楽しい方であることがわかり、バラエティー番組でもそのトーク力はいかんなく発揮されたのでした。
ですから今回の講演も現役時代の苦労話からマラソン強化の責任者として臨んだ東京オリンピックでの信じられないような話まで、大変に興味深く伺う事が出来ました。
またオリンピックのマラソンで勝てずに失意のうちに帰宅した瀬古さんを出迎えたご家族の話には目頭が熱くなりました。
講演後、私からもマラソン時の給水や、いまはやりの厚底シューズの事などを質問しましたが、どの答えもなるほどというものでした。
機会があれば番組でも改めてお話を伺いたいと思った次第です。
瀬古さん、その節は貴重なお話の数々どうもありがとうございました!


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