高倉健さんの「負けるかこのやろう」という言葉は、過酷な撮影現場に向かうときに自分を鼓舞するために発した言葉だそうです。
もちろん北極と南極で撮影が行われた「南極物語」の時も「負けるかこのやろう」の気持ちで臨んだことでしょう。
フジテレビの大塚隆弘記者は学生時代は山岳部で現在は30代の大柄でがっちりとした体格の人…ではありません。
大学ではサークルに入ってテニスをちょこっとの、山登りもテントでキャンプの経験もない高校生と中学生の息子さんがいる小柄な50代のおじさんです。
そんな(どんなだぁ!)大塚さんがテント張りやロープ結びの訓練を受け南極地域観測隊に同行取材をしました。
5月13日(土)午後4時05分からその取材をまとめた番組「地球最後の秘境 南極大陸 観測隊が見た神秘の世界」がフジテレビで放送です。
空中と水中のドローンを駆使した映像はまさに神秘としか言いようがありません。
また南緯40度から60度の暴風圏を超える観測船「しらせ」の阿鼻叫喚の船内の映像も必見です。
また土曜日の朝8時30分からは、大塚さんの体験談をあれやこれやと私が伺った「フジテレビ取材班・南極レポート~どうなる?地球のミライ」がニッポン放送で放送です。
反省点があるとすれば「どうする?地球のミライ」というよりは「どうする?大塚さん!」という内容になってしまったことです。
私が生まれる1年前の(昭和31年)に南極観測隊第1次越冬隊が南極観測船「宗谷」に乗り南極大陸へ向かい、1年以上にわたる南極生活を体験しました。
後に隊員たちが南極で手書きで書いた「南極新聞」的な記録が1冊の本にまとめられたものを、父が「お前が生まれた時の話だ」と買ってきたのです。
小学生のころでしたが、時間があるとページをめくっていた記憶が私の南極の原体験になっています。
かつては一度は行ってみたいと思っていましたが、暴風圏では観測船が30度以上揺れる話しや、トイレの苦労などを聞くと今の私の体力気力ではとてもとてもという情けない男に成り下がってしまいました。
では大塚さんのように50代で行けたかというと…うーん。
ちなみに私の50代はマラソンを2回走り、富士山に4回登っていた頃ですが、さて「負けるかこのやろう」の気持ちでチャレンジできたでしょうか…うーん。

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