鶴瓶さんとのお付き合いは長いです。オーバーオールのアフロヘアーの関西の過激な噺家さんらしき人と、というあいまいな認識は70年代後半からありました。
はっきりと鶴瓶さんのトークに引かれたのは「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(ラジオ大阪)をアナウンサーになりたての頃に関東で聴くようになってからでした。
自分の番組にゲストで来ていただいたのは90年代の半ばで、定期的にお会いするようになったのは「日曜日のそれ」が始まった2003年頃からです。
以来、トークライブの「鶴瓶噺」や落語会に伺うようになり、時には舞台でご一緒するような機会もかなりありました。
考えてみれば幸せな事であります。
そのような際にいつも楽屋などで鶴瓶さんをずっと撮影し続けている方がいました。
「山根ちゅうてな、外に出すつもりはないでちゅうてるのにずっと撮り続けてるねん。死ぬまで出したらあかん言うてるのに。変わったやっちゃでぇ」といつも鶴瓶さんは言っていましたし、私にとっても山根さんはいつしか空気のような存在の方になりました。
公開の当てもないのに2004年から撮り続けた鶴瓶さんの映像は1600時間にもなりました。
ちなみに撮影していた山根慎吾さん(62)は日本テレビの「24時間テレビ」やドキュメンタリー作品で様々な賞を受賞している方で、決して暇を持て余して撮っているわけではなかったのです。
そのような中で新型コロナウィルスがエンターテインメントの世界にも多大なる影響を及ぼします。
鶴瓶さんの事務所デンナーシステムズの社長の千佐さんが「コロナ禍のさなか、鶴瓶という芸人でなんかできへんか」
と思い山根さんに相談したところ二人の中で出てきたのが、1600時間の映像を編集して鶴瓶さんのドキュメンタリー映画を作るという事でした。
そして製作も配給も取り分ゼロどころか持ち出しで映画を作り、すべての収益はその作品を上映してくれた映画館のものにしてもらおうという前代未聞のアイディアを思い付きます。
作品は1時間59分と言う大作になりました。笑福亭鶴瓶という芸人の人生を「らくだ」という落語の強烈なドリルでグイグイ掘っていくと、そこからありとあらゆるものが周りに飛びだしてくる様を追いかけているうちに2時間がたってしまう…としか言いようのない大変な作品でありました。
7月1日のスポーツ報知の取材に、社長の千佐さんは鶴瓶さんの初主演映画「ディア・ドクター」は、個人経営の映画館や全国のミニシアターの多大なる応援があって世の中に広まったと語っていました。
その劇場がコロナ禍で苦しんでいる様子を知り「バケモン」という作品は「鶴瓶の恩返し」となったのでした。
試写会には「ディア・ドクター」の西川美和監督もお見えになっていました。
最後に「バケモン」には14年前に大阪松竹座で行われた落語界で鶴瓶さんの葬儀の司会役を仰せつかった中途半端なハゲ姿の私が写っておりました…とさ。
もう一つお知らせです。
7月4日(日)深夜25時30分から放送されるニッポン放送報道特別番組「繰り返すコロナという危機・あなたは誰と乗り越えますか?」でナレーションを担当しています。
ラジコタイムフリーなどを駆使してお聴きいただければ幸いです。
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