「八月や六日九日十五日」。いつの頃からかこの時期になるとふと口をついて出てくる俳句です。
永六輔さんのラジオで初めて聴いた記憶があるので、永さんの句なのだろうと漠然と思っていましたが、ネットで調べたところ長崎市諫早市出身で海軍兵学校時代に江田島から原爆のきのこ雲を目撃した医師、故諌見勝則さんが平成4年に診察室のカレンダーを見ながら詠んだ作品であることがわかりました。
8月6日、「75年は草木も生えない」と当時言われた広島で75年目の「原爆の日」を迎えましたが、コロナ禍の中での式典は参列者の密集を避けるため参列者も少なくし、白い鳩を放つ恒例の行事も中止になりました。
なんとなく鳩が新型コロナのウイルスをまき散らすから??と想像していたのですが、7日の産経新聞に「鳩が飛び立った後に巣箱に帰る訓練が十分にできなかったから」と載っているではないですか。
ボランティアで500羽のハトを提供している飼い主の皆さんが、新型コロナの影響で例年のような活動ができなかったという理由でした。
ハトを疑ってしまい申し訳ありませんでした…
さて8月15日(土)午前6時30分から7時30分まで『戦後75年「私の八月十五日」~俳優高倉健の想いがつないだ人々の証言』という特別番組を担当することになりました。
高倉健さんにゆかりのある方々が、終戦の日をどのように迎えたかという証言の数々を私が朗読いたします。
また高倉健さんが亡くなる3カ月前に自ら朗読したご自身の体験「日本が戦争に負けたらしいばい」もご紹介いたします。
2000年代初頭、「サプライズ」と言う朝の番組で高倉健さんのエッセイをご紹介したところ、なんと健さんご自身からご丁寧にもお礼状をいただき、その後数回手紙のやり取りをさせて頂いたことがあります。
また、私の父は高倉健さんと同じく、勤労学徒動員で毎日腹を空かせて工場で働いている時に終戦を迎えました。
母は証言された方と同じように、神戸の大空襲で幼い妹の手を引いて降り注ぐ焼夷弾の中を逃げ回る経験をしています。
高倉健さんとのご縁と、戦争を体験した方々の証言を後世に語り継ぐ責任を感じつつ、心を込めて朗読をさせて頂きます。
ちなみに手紙のやり取りをしていた頃、高倉健さんが時折「サプライズ」をお聴きになっていたことを最近関係者の方から聞きました。
一度お話を伺ってみたかったです…
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