上柳昌彦 ラジオの人

2016.03.13

女川さいがいFM

3月11日、東日本大震災の特別番組を東島アナウンサーとともに担当しました。5年前、当時大学2年生だった東島は渋谷の公園通り界隈で揺れを体験したそうです。

ですから彼女には、当時の放送局内部での様々を知らないでマイクの前に立つという心苦しさがあったかもしれません。

私は東京が震度5強というなかで生放送を担当していました。しかし東北3県のコミュニティーFMを含む各放送局の方々が震度6を超える震度の中で放送を送り続けました。ではお前は東北の方々と同じように対応できるのかと問われると、「出来る」と言い切れない心苦しさを常に感じています。

ピアニストの西村由紀江さんは不要になったピアノを集めてすでに40台を超える数のピアノを被災地に自ら運び込んでいます。

このような話を伺うと、自分が何もしていない心苦しさをやはり感じてしまいます。

今回の特別番組では東北3県の臨時災害放送局やコミュニティーFMの関係者の方々にご出演いただきその瞬間のこと、その後の事、首都圏に住む私たちに伝えたいことなど貴重な話を伺いました。

阿部こころさんは「女川さいがいFM」の高校生アナウンサーです。
現在は2年生ですから当時は小学6年生でした。校庭に避難していたところ母親が迎えに来てくれ、祖母、父、妹とも偶然校庭で合流しました。

その後、ここに留まっては危険だという判断しとにかく家族で内陸部の山の上に駆け上がり助かったそうです。

しかしこのことが後にこころさんを苦しめます。多くの友人は津波が襲う光景を目の当たりにし、また肉親を亡くすというつらい体験をしました。

しかしこころさんは、津波を見ていない。街が壊滅する光景を見ていないがゆえに、辛い思いをして深く傷ついた人たちによりそってあげることができないのではないかと悩みます。

すぐに高台に避難するという正しい行動が彼女に「(津波に対する)想像力が働かないんです」と言わせてしまう。

しかし一方で彼女を見守る大人たちが津波に対する的確な判断をしたことや、こころさんが大変に細やかな感性を持った高校生であることが伝わってくるエピソードでもありました。

日本中のそこここで、様々な状況にいる方々がそれぞれの立場で何らかの「心苦しさ」を感じた日が、3月11日だったのかもしれません。

この写真は、2011年7月に元ラジオ福島のアナウンサー大和田新さんに紹介された上野敬幸さんのご自宅の近所の今の光景です。

5年前、津波が襲いご自宅はかろうじて原型をとどめましたがご両親と幼いお子さん二人を失いました。いまだに行方不明の当時3歳の息子さんを探し続ける上野さんですが、当時、マイクを向けることも写真を撮ることも心苦しくてとてもできませんでした。

しかし今回の特別番組で報道部の上村さんの尽力でご出演が予定されていたのですが、残念ながら急きょ出演が出来なくなってしまいましたが、これからも南相馬に通いお話を伺えればと思っています。