上柳昌彦 ラジオの人

2016.01.13

ブログ再見

先日の「オトパラ!」で、もうずいぶん長くこういったブログを書いているが、過去の文章は残っているのだろうかという話になりました。

少なくともニッポン放送としては保存していないのではないかという結論になったのですが、なんとラジオをお聴きの方から2000年の1月から3月にかけてのブログをネット上で探し出してくれた人がいました。

そのサイトによると1999年12月13日から始まった私の番組ブログの中から印象深い作品をピックアップしてお届けします的なことが書いてありました。

書き始めて3ヶ月もしないうちに本人によるベストセレクションを読んでくれとは、随分大胆な企画だと思いますが、当人まったく覚えていません。
かなりの本数でしたが読み返してみました。結論から言いうと本人が意気込むほどの文章ではありませんでした……

それでもへぇこんなことがあったのかと思ったこともありました。

2000年1月5日のブログには久米宏さんがニュースステーションに復帰したことが書かれていました。口ひげをはやしてスーツにネクタイではなくマオカラーのジャケットをラフな感じで着こなして登場したことに驚いています。

久米さんが番組を休んでいた理由は記憶がないのですが、そのようなことがあったことをなんとなく覚えています。どのような経緯があったのか覚えていますか?

2000年3月13日には墓参りに行ったことが書かれています。父が無くなって3年たったころですが、
関西の墓に眠っていた祖父祖母の墓を鎌倉に移して、父にはそこに入ってもらいました。父には近くにいて欲しいという母の大奮闘ぶりに驚きました。墓を移すのは手続きが大変なのですが、母はほぼ一人でやってのけたのです。

また、墓に眠る父に話しかけるのはなんだか照れくさいとも書いてありました。生前から面と向かって父に話しかけるのは確かに照れくさかったです。

新年、墓を一人で尋ねましたがひとつ気が付いたことがあります。私は墓の掃除をしながらかなり冗舌に父に語りかけているのですね。「富士山がきれいに見えているねぇ」から始まって子供たちの近況や母の体調の事などを声を出して父に報告しているのです。

墓参りの大切さなどあまり考えたことがなかった私ですが、さすがにこの年になると何かの折に尋ねないとなんだか落ち着かないという人になったという事でしょうか。

私の祖先の誰かひとり欠けたとしても、私はこの世に存在しないことに、気づかせてくれるのも墓参りです。

そして1999年から書き続けているブログの一つが欠けても……いやそれぐらいの事では私の存在は消えませんが、書いたことすら忘れた自分の文章を読み返すのも悪くはありませんでした。