上柳昌彦 ラジオの人

2015.11.26

国境線

「中東」という言葉は「極東」と同じく、ヨーロッパからの視点で出来たものです。極東とヨーロッパの間という意味です。

その中東からのニュースは、日に日に複雑なことになっています。

トルコとロシア。そしてフランスとアメリカ。シリアの内紛。そして過激派組織のIS。これらの国や組織の利害が絡み合っています。

第一次世界大戦後に、中東の大部分を占めていた「オスマントルコ」が崩壊し、その後にイギリス、フランスが勝手に線引きをして新たな国境を決めてしまいました。

その土地に住む人々の宗教や民族や歴史は無視して、植民地支配をしやすいという、効率だけを考えた国境線でした。

「アラビアのロレンス」はアラブ人とともにオスマン帝国と戦いましたが、その目的は決してその土地をアラブ人に開放するためではなかったのです。

100年前の出来事が、いまだに尾を引き問題を複雑化していると改めて感じます。中東の国境の多くが、そしてアフリカの国境の多くが直線です。

問題の根はとてつもなく深く、絡み合った糸は簡単にはほどけそうにありません。