おもカジ いっぱい

2022.06.28

平成30年7月豪雨 写真で振り返る被災地の今

内田雄基のおもかじいっぱい

このブログを開いて頂いた方、本当にありがとうございます。

 

ニッポン放送アナウンサーの内田(うちた)雄基です。

 

ニッポン放送報道部の記者が週替わりで担当するPodcast番組「ニッポン放送報道記者レポート2022」。

6/16(木)配信の回で、「平成30年7月豪雨から4年 被災地の今」というテーマを私内田が担当しました。

 

平成30年7月豪雨(西日本豪雨)とは、

2018年の6月末から7月上旬にかけて、西日本を中心として広い範囲で記録的な大雨が降り、その影響によって各地で次々に河川が氾濫し、土砂災害などが発生しました。

中国地方の広島県・岡山県、四国の愛媛県を中心に全国で死者・行方不明者236人の甚大な被害をもたらした豪雨災害の名前です。

岡山県倉敷市真備町の町全体が水に浸かっている映像を覚えている方も多いと思います。

 

平成30年7月豪雨は、西日本各地に甚大な被害をもたらした豪雨ですが、中でも被害の大きかった地域がありました。

坂町小屋浦地区です。

坂町は、北側は広島市、南側を港町呉市に隣接しています。

3つのJRの駅があり、JR広島駅に近い北側からJR坂駅、JR水尻駅、JR小屋浦駅。

 

そのうちJR小屋浦駅を中心に広がっている地区が小屋浦地区です。

町は三方を山に囲まれ南西を瀬戸内海に面しています。山から海にそそぐ天地川という川が中心を流れています。緑豊かな静かな町です。

 

この人口1500人ほどの小屋浦の町を大雨が襲いました。

 

4年前2018年 小屋浦は7月6日の昼頃から7日の朝にかけて、経験した事のない豪雨に襲われ、町の中心を流れる天地川が氾濫。山側から土石流が発生し、町を飲み込みました。

 

死者15名、行方不明者1名。全半壊家屋653棟に及ぶなど甚大な被害を受けました。

 

雨がやんでも、影響は続き、ライフラインは寸断。山の崩落で道路、電車がつながらなくなり、小屋浦は陸の孤島と化しました。

 

災害発生当時、私は大学生でした。

被害の中心にあった広島県は、私の生まれた地であり、現在も祖父母、そして曾祖母の3人が住んでいる大切な第2の故郷です。

小屋浦の状況を知り、いてもたってもいられず、私は、ボランティアとして小屋浦でその夏2週間ほど活動しました。

 

そして今年の梅雨を前に、私が、再び坂町小屋浦に取材に行った様子をPodcastにて配信しました。

 

(PodcastのURLはコチラ!!)

https://podcast.1242.com/show/hodo-report/

 

このブログではPodcast内で伝えきれなかったこと、被災地の様子を収めた写真などをお伝えしていきます。

 

広島県は私の祖父母、曾祖母が住んでいます。そして、私の生まれ故郷です。

私の生まれた町は被害があまり出ませんでしたが、近くの街でこのような災害が起きている以上、何か被災地の力になりたいと考えました。

災害発生から2週間後、当時大学生の私は災害ボランティアとして広島県に足を運びました。

 

私が当時訪れた坂町の様子です。

歩道にとりあえず集められた土砂 2018坂

置き場のなくなった土嚢で埋め尽くされる公園 2018坂

被災したクルマ 2018坂

私の背よりも高い位置まで壁に土がついています。 2018坂

 

ボランティアとして私は、土砂カキや土嚢詰め、がれき撤去、汚れた家の掃除等、力仕事を中心にお手伝いをしました。

 

参加して、人手はいくつあっても良いなと感じました。

 

正直な所、7月、8月の真夏のボランティア活動はかなりきついものでした。

どれだけ掘っても減らない土砂。掻き出せば掻き出す程、水気を含んで重たくなっていき、周囲に湿気と酸っぱい独特な匂いをまき散らします。

土砂の粉塵を吸わないように付けていたマスクの中は汗と砂まみれ、足を怪我しないように履いている長靴の中は、サウナのように時間が経てば経つほど、温度と湿度が上がっていきます。

 

このような環境での作業なので、どんどんと進めたい気持ちがあってもこまめに休みを取り、水分やミネラルを補給しなくては倒れてしまいます。

ひとりが、頑張るのではなく、大人数で分担して作業を進める事が現場では求められました。

だからこそ人手がいくつあっても多いことはないと感じました。

 

 

土砂の山になっていたバス停、ボランティアによって綺麗に 2018坂

 

綺麗になっていく町を見ることや、町の方々が「ありがとう」と声をかけて下さる事は、ボランティアをしてよかったと心から思う瞬間でした。

 

一方で、被災者の方が、時々ふと見せる、疲れた様な気力の抜けた様な表情が私の脳裏に焼き付いて離れませんでした。

 

私は、ひと夏ボランティアとして携わり、その後ボランティアセンターの閉鎖と共に活動を終了しました。

 

それ以降はコロナ禍もあり、小屋浦を訪ねることがなかなか出来ていませんでしたが

ようやく、今回2022年の梅雨を前に、およそ4年ぶりに足を運びました。

 

それから4年後の坂町は、このように変わりました。

  

坂町小屋浦を流れる天地川側、同じ場所から(上2018、下2022小屋浦)

まだまだ空き地が多い 2022小屋浦

小屋浦の中心を流れる天地川に新しく架けられた橋側面に子供たちの絵が描かれている 2022小屋浦

 

4年ぶりの坂町小屋浦は、いたるところが新しくなっていました。

道、橋、堤防。どれも綺麗なまだ白いコンクリートで作り替えられています。

小屋浦地区の中心を流れる天地川の橋も新しく架けられて、町は未来に向けて一歩づつ歩み始めていました。

 

所どころ、空き地も目立ちますが、少しずつ復興している様子を見ることが出来ました。

 

又、災害に強い町を作るためのインフラとして、砂防堰堤の建設も進められています。

建造中の砂防堰堤 2022小屋浦

 

この砂防堰堤が、とても坂町には大事なのです。

坂町は、広島型花崗岩といわれるものが広く分布しており、花崗岩は外側から風化が進み、脆くなっていきます。

一方、内側は風化が進まず、大きな核のようになって残ります。これをコアストーンといいます。

花崗岩の地層に亀裂が出来ると、その亀裂に沿って風化し脆くて崩れやすくなり、その内側に人よりも大きなコアストーンがバランス悪く居座っている状態の地層が生まれます。

 

この花崗岩の山に、4年前の2018年7月6日の夜から7月7日の朝にかけて、経験したことの無いような豪雨が降り、周りの砂粒は濁流となり町に流れ、コアストーンは、崩落し、転がるように山の上から町に向けて流れていき、木をなぎ倒し、様々なものを巻き込みながら、坂町を襲いました。

 

風化して生まれた土砂が山から町に流れていかないことで、町民の方が安心して暮らしていけるよう建設が進められています。

 

ハード面は整備されていく中で、今、ソフト面も少しずつ進歩しています。

坂町は、4年前の豪雨災害で地区ごとに異なる被害状況を考慮して、「自分達の身は自分たちで守る」事が出来るように、自主防災組織や地域防災リーダーの養成を行っています。

 

そして、平成30年7月豪雨を後世に伝えていくため、坂町の中でも最も被害の大きかった小屋浦地区にある小屋浦公園に、坂町災害伝承ホールを立てました。

坂町災害伝承ホール。いざという時は避難場所になります。 2022小屋浦

 

ホールの中では、当時の坂町の写真を見ることが出来ます。

(全60点)

 

映像資料もあり、一般向け、児童向けの2種類があります。

坂町災害伝承ホールは、開館時間中、自由に見学できます。

 

 

公園内には、4年前の災害で実際に山から流出したコアストーンと共に坂町水害碑が立てられています。

(コアストーンは私の目測で 高さ1.5m以上 幅1.2m以上 奥行き2m以上)

 

詳しい災害伝承ホールの情報は坂町のHPよりご確認ください。

https://www.town.saka.lg.jp/kurashi/shisetsu/post_821.html

 

ただ、甚大な被害があって、これだけ忘れないようにと、していても時間と共に薄れていくのが防災意識です。

 

坂町小屋浦に住む下川さんは、

「4年経つと防災意識は薄れていく。小屋浦の人たちは災害が起こる可能性があっても、だんだんと避難しなくなっている。避難所にいる時間が、床に座れない高齢者にとっては苦しい。自宅に、居たいという気持ちが、危機感を上回ってしまう。今は、その慣れがとても怖い。」

 

防災の基本は早め早めの避難です。最近の災害は私たちの想像や経験を超えてきます。

地域で声を掛け合い、助け合い、常に早く非難するということが重要です。

人的被害を無くす、人の命を守ることが出来るかは一人一人の意識と行動次第です。

 

ハザードマップで見て、家の近くの避難経路を確認できていますか?

非常用持ち出しバッグは準備できていますか?

家族との安否確認方法は決まっていますか?

高齢者の方、障がいを持っている方はすぐには逃げられません。

ご近所同士、声を掛け合いながら逃げることも大切です。

 

災害などが起こりそうな時には、ラジオなどで最新の気象情報をご確認ください。

 

そして台風や大雨の危険が近づいているというニュースや気象情報を見たり聞いたりしましたら、災害への備えをもう一度確認しましょう。

 

平成30年7月豪雨のような人的被害にしない為に、これを機に身の回りの防災を見つめなおして頂きたいと思います。

 

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