【プロ野球 藤田一也選手】
2004年のドラフト4位で横浜ベイスターズに入団した藤田選手。守備の名手で知られた横浜OBの仁志敏久さんが日本一守備がうまい選手と評価するほどの鉄壁さと、見せる華麗な身のこなしから”ハマの牛若丸”のニックネームが付いたほどでした。そんな藤田選手が、12年のシーズン途中に東北楽天ゴールデンイーグルスへと電撃トレード。藤田選手にとってはこの移籍が転機となります。当時、東北楽天を指揮していた星野仙一監督は藤田選手の守備力を高く評価。移籍2年目の13年はセカンドのレギュラーに定着して、球団初のリーグ優勝と日本一に貢献します。この年藤田選手はベストナインとゴールデングラブ賞をダブル受賞。翌14年には選手会長に就任してチームリーダーとなり、初めて全試合フル出場。2年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、名実ともに楽天の中心選手として活躍を続けました。
22年、藤田選手は10年ぶりにベイスターズに復帰。しかしシーズン最後に悔しい思いを味わいます。阪神タイガースとのクライマックスシリーズで1点を追いかける9回、ワンナウト満塁というチャンスで藤田選手は代打に起用されますが、ダブルプレーでゲームセット。一塁へヘッドスライディングした後、悔しさから倒れ込んだまましばらく動くことができませんでした。あの悪夢を払拭すべく、今シーズンは代打の切り札として活躍を見せます。その一方で、大きな武器だった鉄壁の守備で納得できるものが見せられなくなったと判断し、今シーズン限りでの引退を決意したのです。
【プロ野球 木村文紀選手】
今シーズン限りで引退した、北海道日本ハムファイターズ・木村選手。埼玉栄高校時代はスラッガーとして鳴らし、投げては最速148キロのストレートと、切れ味鋭いスライダーが武器の本格派として、2006年に高校生ドラフト1位の高い評価で埼玉西武ライオンズに入団します。待望の初勝利をプロ5年目の11年に挙げましたが、その翌年、ドラフト当時から評価の高かった打撃を生かすべく野手転向を決断しました。木村選手がバッターとして注目を浴びたのは18年7月、ホームで行われた東北楽天戦です。同点に追いつかれた9回ウラ、ツーアウトで打席に立った木村選手は、150キロのストレートをフルスイングすると、バックスクリーンに運ぶプロ初のサヨナラホームランを放ちます。これで自信を深めたのか、翌19年にはライトのレギュラーをつかみ、シーズン2ケタのホームラン10本を放って西武のリーグ連覇に大きく貢献しました。
木村選手は21年のシーズン途中にトレードで移籍した北海道日本ハムファイターズでも、勝負強いバッティングで活躍を続けます。しかし今年9月、引退を宣言。9月20日、ベルーナドームで行われた古巣・埼玉西武戦が、木村選手の引退試合となりました。4番・ライトで先発出場しましたが、新庄剛志監督の計らいで3回の守備はレフトに回り、ライオンズファンにも最後の雄姿を見せました。そして直後の4回、現役最後の打席でツーベースヒットを放ち、有終の美を飾った木村選手は、そのウラ一度守備についてから交代を告げられます。引きあげる際には西武ナイン全員と握手。最後は新庄監督と熱い抱擁を交わし、木村選手はグラウンドに別れを告げたのでした。
【プロ野球 谷内亮太選手】
2012年のドラフト6位で、東京ヤクルトスワローズに入団した谷内選手。中学・高校・大学とキャプテンを務め、堅実な守備を誇ることから、当時のヤクルトのチームリーダーで守備の名手だった宮本慎也選手の後継者として注目されました。2軍暮らしが長く続きましたが、努力を怠らなかった結果、内野の全ポジションを高いレベルで守れるようになった谷内選手。その特徴をいかんなく発揮したのは、北海道日本ハムに移籍してからです。特に21年は自身最多の106試合に出場。そのほとんどが守備固めの出場でしたが、試合状況に応じて、ファースト・セカンド・サード・ショートと、内野の4ポジション全てで10試合以上に出場する、まさに”内野守備のスペシャリスト”として活躍。当時の指揮官・栗山英樹監督も高く評価しました。
実は谷内選手、日本ハムに移籍した19年から丸々3シーズン、全ての内野のポジションを任されながらノーエラー。4年目の22年、173試合目での初エラーがニュースになったほどの安定感を誇りました。そんなユーティリティプレーヤーも、プロ11年目の今シーズン限りで引退を決意。谷内選手の引退試合で、日本ハムの新庄剛志監督は粋な演出をします。7番・サードで谷内選手を先発起用すると、ファースト・セカンド・ショートと内野のすべてを守らせ、最後はファイターズファンが陣取るライトへ。計5つのポジションに就く、まさに守備職人・谷内選手ならではの引退試合になったのです。
【プロ野球 堂上直倫選手】
2006年の高校生ドラフトで中日・巨人・阪神の3球団に1巡目指名を受け、愛工大名電高校から中日ドラゴンズに入団した堂上選手。父親・照さんは中日のOB、兄・剛裕さんも当時中日の選手で、本人の希望が叶う形になりました。強肩を活かした高い守備力を武器に、10年には82試合に出場しリーグ優勝に貢献した堂上選手。この年の8月には、兄・剛裕選手と一緒にお立ち台に上がる夢も叶えます。12年には116試合に出場しますが、セカンドの名手・荒木雅博選手らレギュラー陣の壁は厚く、大半が途中出場で終わりました。しかしどんな状況でも決して練習を怠らず、16年には131試合に出場し、自身初の規定打席に到達します。19年にはプロ入り初のふたケタ・ホームラン12本を放ち、そのうち6月のソフトバンク戦で放った一本によって、プロ野球史上初の兄弟で代打満塁ホームランを達成しました。
代打や試合終盤の守備固めで存在感を示してきた堂上選手ですが、チームの若返り方針もあって次第に出番が減り、今シーズン限りでの引退を決意します。10月3日、巨人との最終戦が引退試合となり、8番・セカンドで先発出場しました。3回先頭の第1打席では、レフト線を破る二塁打。8回の打席では、打球がドラフト同期のライバル・坂本勇人選手のグラブを抜けるレフト前ヒットを放つと、球場は大きな拍手と歓声に包まれました。引退セレモニーでは、兄の剛裕さんから花束を受け取り、涙が止まらなかった堂上選手。秋からは、中日の内野守備走塁コーチとしてチームを支えていきます。
【プロ野球 谷元圭介投手】
2008年のドラフト7位で北海道日本ハムに入団した、谷元投手。身長167㎝と小柄な体格ながら主に中継ぎ投手として活躍し、14年から3年連続で50試合以上に登板しました。16年にはキャリアハイの28ホールドを記録し、リーグ優勝に貢献。広島カープとの日本シリーズでは第6戦の9回に登板して、日本一の胴上げ投手にもなります。ところが翌17年のシーズン途中に、トレードで中日ドラゴンズへ移籍することに。前年の日本シリーズ胴上げ投手で、この年も36試合に登板していた主力投手が、シーズン中に他球団へ移籍するのは極めて異例のことでした。
当時、頼れる中継ぎ不足に悩んでいた中日に請われる形で移籍した谷元投手は、19年から4年連続で30試合以上に登板。ランナーのいる状況や、ピンチの場面での登板が多かったにもかかわらず、無失点で切り抜けチームを救いました。22年には通算500試合登板を達成しましたが、今年9月、今シーズン限りでの現役引退を表明。15年間のプロ生活に別れを告げることになりました。10月3日に行われた中日のシーズン最終戦が、谷元投手の引退試合になりました。6回に、同じく引退を発表していたキャッチャーの大野奨太選手とバッテリーを組み、巨人・吉川尚輝選手をレフトフライに打ち取って現役最後の登板を終えました。引退セレモニーには、日本ハム時代の恩師・栗山英樹さんも駆け付け、谷元投手に花束を贈呈。プロ15年間で524試合に登板し、28勝7セーブ。154ホールドを積み重ねた”小さな大投手”の花道を飾りました。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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