観音温泉 るんるんタイム

2024.02.08

【第155回】観音温泉・鈴木会長とお父様

伊豆・奥下田「観音温泉」の魅力をお伝えしている「観音温泉るんるんタイム」。観音温泉・鈴木和江会長と上柳昌彦アナウンサーが一緒に観音温泉ゆかりの人や場所を訪ねてお送りしています。今回は観音温泉のウッドデッキで、観音温泉・鈴木会長と昔の写真を見ながらお父様の思い出をお話しいただきました。

―去年、昔の観音温泉の写真を見せていただきましたが、今回もまた、新たに“発掘(?)”された写真をお持ち下さったそうです。1枚ずつ見ていきましょう。

滝野川タクシー時代(昭和20年代)

―白黒の相当古い写真が出てきましたね。後ろに停まっている車のボディの古さから考えますと、昭和20~30年代ではありませんか?

鈴木:そうです、父がやっていた滝野川タクシーの写真です。昔は木炭タクシーもいましたからね。私は生まれて間もない頃で、写真には入っていないでしょう?写っているのは、父と従業員です。柔道六段、合気道も有段者でしたから、ガッチリした体をしているでしょう。(少し時代が下った1枚もあって・・・)こちらは父、母、妹、兄貴と撮った写真です。母は几帳面でしたから、裏に「昭和29~30年頃 練馬区大泉池の畔」と書いてありますでしょ。

小林家の家族写真(昭和29~30年ごろ、練馬区大泉にて)

―本当にお父様は、恰幅のいい方でいらしたんですね。写真にもちゃんと、「和江」の名前があります。“土屋ボーヤ”と記された方も写っていますね。

鈴木:(ランニングシャツを着て半ズボンをはいた、いわゆる“昭和の子”である)“土屋ボーヤ”は、当時の従業員だった土屋さんのお子さんですね。残念ながらもうお亡くなりになってしまいました。

東京・池袋に出していたとんかつ店(1973年9月ごろ)

―このお店は、何のお店ですか?

鈴木:東京・池袋東口に「サンシャイン通り」ってありますでしょ。(かつての)豊島公会堂にも近かった辺りですが、ここで父は「とんかつ」のお店をやった時期がありました。上ちゃんは立教でしょ?(ある程度、土地勘はあるかもしれませんが)だから、父は「学生はみんなお金が無くて、悲鳴を上げているんだから、いくら食べてもタダにしてやれ」とやっていました。(食習慣の欧米化で、)これからは「肉の時代」だと踏んで、群馬に養豚場を作って3000頭以上肥育していたんです。でも、伝染病の流行で養豚場を、最終的にはお店もクローズすることになりました。

鈴木会長の結婚式でのお父様

―そういった事業を展開されていたこともあったんですか!写真には「フジカラー 1973年9月」とありますね。お父様はモータリゼーションが進むのを見越して「タクシー」、一方で高度経済成長が進んでくると、「これから癒しの時代」と、伊豆へ進出されたわけですよね、

鈴木:父は「死」をも見越していたんじゃないかなと思っています。タクシーもお客様が乗ってくれてナンボの世界です。そのお客様へお返しをするんだと始めたのが「観音温泉」でした。最初は間違えて(?)買った土地だったみたいね。伊豆だから海があると思って、いざやって来てみたら、こんな山の中だったと(笑)。でも、父は「“凶”を転じて福となす」を合言葉としていました。“驚人”ですよ。五黄の寅ですしね。そんな父でも、私の結婚式では最後の最後まで泣きっぱなしだったんです。

上柳:あらら、白いウェディングドレスじゃないですか! 念のためにお伝えしておきます。カラー写真です(笑)。

(鈴木会長×上柳アナのトーク、おわり)

ガラティア観音温泉

伊豆・奥下田の地に湧き出す超軟水・ph9.5の天然温泉「観音温泉」。お聴きのアナタからは、引き続き、鈴木会長への“人生相談”も、「上柳昌彦 あさぼらけ」の番組メール(ue@1242. com)で受け付けています。ユニークな発想力で、様々な苦難を乗り越えている鈴木会長。癒しのお声で語る、その“哲学”に、アナタも“生きるヒント”を感じてみませんか?

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パーソナリティ
  • 上柳 昌彦
    上柳 昌彦
    上柳 昌彦

    上柳 昌彦

    ■生年月日:1957年8月1日
    ■星座:しし座
    ■血液型:B型
    ■出身地:生まれは大阪、以降父の仕事の関係で各地を転々。
    ■最終学歴:立教大学 法学部
    ■趣味:
    ジョギング、ジム、トレッキングの後の一杯。
    鶴瓶さんの番組におじゃましてさりげなく出演すること。
    「ブラタモリ」を観ながら「そうなんだ」「そうなんですよ」と相槌を打つこと。
    商品開発担当者の方に開発秘話を伺うこと。