上柳昌彦 ラジオの人

2026.03.08

15年目の取材報告

あれから何周年と区切りをつけたがるのは私たちマスコミにありがちな習性です。
しかし当事者の方々にとっては毎日つながっていることで、
これで区切りだとかこれで次の扉を開けてさらなる未来にと進んでと伝えることは、
あくまでもこちらの都合なのだと思います。
またここまで復興が進んだというところか、
まだこのように何も進んでいないということに視点を当てるかによって、
受け手の方々にとって見えてくる光景はまったく異なります。
毎回災害に関することを伝える際に思い悩むことであります。
正解はなんなのか、この仕事を続ける限りいつまでも考え続けなけれなならない、
私に課せられた大きな命題であります。
それでもあれから15年。15年前のあの時に自分は何をしていたのかと、
やはり考えてしまいますし、あの時の状況がいつ何時起こるかもしれない。
その時自分はどのように行動できるのかと考えていただくきっかけになればと思っています。
15年前の3月11日午後2時46分に生放送を担当していたということもあり、
東北各地をコロナ渦と私の手術入院の時を除いて十数回訪ねさせていただきました。
今年も3月6日㈮の放送終わりに東北新幹線で一関から陸前高田~「あけの語りびと」でご紹介した、
大船渡の津波被害の跡地をかさ上げした土地に再開した商店街、
思い出横丁の「天使の森」という地元のお菓子「なべやき」とコーヒーとラーメンのお店に伺いました。

(被災しなかった後ろめたさが様々なボランティアにつながっていくお話と、
娘さんの緒さんのラーメンとお母さんの初子さんの「なべやき」を頂きました。)
その後、大船渡の森林火災のその後を取材後、あわびの養殖の北日本水産の古木社長に取材、
そしてカレー南蛮の「百樹屋」のご夫妻、当時大船渡の中学の教頭先生だった方にお話を伺いました。

(大船渡に住む方々が減少している悩ましい問題を教えて頂きました。)

翌日土曜日は3時間かけて大船渡から南相馬に南下しラジオ福島のパーソナリティー、
敬愛しる大和田新さんのご案内で原発事故の影響を受けた小高の理容店の加藤さんのお話を聴き、
請戸小学校の震災遺構を取材させていただきました。
大和田さんからは一瞬の判断が生死を分けた話やご遺体をご遺族に引き渡す際の、
想像を絶するやりとりのお話を伺いました。
そして原発の事故発生で国からの全員避難となったがゆえに、
まだご存命だった被災者の方々を置き去りにして4月まで現地に入れなかったことで、
救えなかった命を救えなかったことに関する苦しみの話には胸が詰まる思いがいたしました。

(請戸小学校を襲った津波では生徒先生は全員無事でした。

それは地元の漁師の方々の適切な判断があったからこそ。

しかし原発事故で全員退避で救えない命を失った痛恨の言葉が石碑に刻まれていました。)

このように現場で感じたことを9日の週から折を見て語らせていただければと思います。

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