久米宏さんの訃報には、ただただ呆然とするのみでした。そして仕事仲間に久米さんの想い出を語っているうちに目頭が熱くなってしまい、それを悟られないようにフッと横を向いてごまかしました。
中2のころに久米さんの存在を知り、中3の時に永六輔さんのラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO」内で久米さんが歩きながら情景描写をし、そこはどこの街かを当てさせる「東京の街ここはどこでしょう」というコーナーを聴きました。
私の脳内スクリーンに行ったことのない街並みが広がる経験をし、ラジオって面白いなぁと思ったものでした。(この辺りは拙著「定年ラジオ」で書きました。)」
以来ラジオからテレビ、テレビからラジオと久米さんを追い続けました。
そして2004年9月に「ニュースステーション」に幕を下ろしたばかりの久米さんを有楽町にお迎えし、朝の6時から夕方5時20分まで「久米宏と1日まるごと有楽町放送局」をお送りしました。
私の番組では久米さんに昔のようにリポーター役で有楽町界隈を歩いて頂きました。
「定食屋の『岩崎』にいる久米さ~ん!」と呼びかけている自分がなんだか信じられませんでした。
夕方5時からはニッポン放送5階のベランダに出て久米さんと並んで座りエンディングを放送。
目の前のペニンシュラホテルはまだ更地で、JRのガードや日比谷の交差点、日比谷公園を見渡しながら二人で放送していることを中学時代の自分に教えてやりたいと思ったものです。
そんな思い出が脳裏を次々とよぎり、胸に熱いものがこみ上げてきてしまう。
翌朝の放送でこのような精神状態になってはいけないと思えば思うほど感情のコントロールが出来なくなりました。
そんな時に、番組本「居場所は心(ここ)にある」を一緒に作ったニッポン放送の長濱さんから、明日のニュース等で使う2004年の久米さんの特番のオープニングとエンディングの音源の一部が送られてきました。
夕飯を食べながら、事前に聴いておくべきかそれともスタジオで初めて聴いてその時に感じた事を話すかずっと考えました。
結局、やはり少し聴いておこうと思い再生しました。酒も入っていたせいもあったのでしょう。当時60才の久米さんが丸ノ内仲通りを歩いてマイクに向かってくる靴音を聴いただけで(私は現場でそれを観ていました)あふれ出る涙を止めることが出来ず、エンディングの二人のトークでは、家族に気づかれないように声を押し殺して泣いてしまいました。
しかし、前日にこの経験をしておいたおかげで、放送は過度に感情的にならずになんとか終えることが出来ました。
私が60才になり「定年ラジオ」を出した際に久米さんの「ラジオなんですけど」に呼んでいただきました。
久米さんは「2004年の11時間20分の放送をCDにしたものをニッポン放送さんからもらったけれど、これは上柳君が持っていた方がいいと思う」と言って私に下さいました。
いつか時間が出来たらゆっくりと聴きなおしてみたいと思っています。
私にとって久米宏さんはラジオの世界にいざなってくれた大切な恩人であり、そして「ラジオの人」なのでありました。kume

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