上柳昌彦 ラジオの人

2024.08.16

さてこの場合の口調は・・・

16日金曜日の午前9時。台風7号の進路と雨風の影響をチェックしつつ、被害が広がらないことを祈りつつこれを書いています。

そのような中番組でも紹介した「劇場版『アナウンサーたちの戦争』」(昨年の夏にNHK総合で放送されたTVドラマの映画化)が金曜日から公開です。

和田信賢というNHK伝説のアナウンサーを森田剛さんが演じていますが、しゃべり手の端くれにいる私にとって思わずメモに書き残した言葉が多々ありました。

有名なのは「虫眼鏡で調べて望遠鏡でしゃべる」です。事前の取材を怠らず資料を読み込んで徹底的に準備をして、いざ本番では広い視野でわかりやすく語れという意味なのでしょう。

また戦争状態になった際、アナウンサーたちが議論する中での「ラジオは読み方ひとつで伝わり方が変わる。淡々とした読み方では伝わらない。プロパガンダはヒトラーの演説を見習え」という言葉では、戦時中のアナウンサーのしゃべり方が国威高揚に利用されていく様がわかります。

和田信賢アナウンサーは大本営発表の前に何かが足りないと考え、とっさに「軍艦マーチ」のレコードをかけることを思いつくシーンも印象的でした。

しかし戦局が悪化していく中で和田氏は「自分の言葉には強烈な力がある。その使い方を間違えてしまった」と自らの言葉で若人を戦地に送り込んだことを悔いるようになります。

そして昭和18年10月21日、雨の明治神宮外苑競技場雨での学徒出陣壮行会の日、実況担当の和田氏はその直前に・・・

和田氏は8月15日正午からの玉音放送の前にアナウンスを入れ、また昭和天皇の詔書読み上げが終わるとポツダム宣言受諾から玉音放送への流れをかみ砕いて説明しました。

戦後はラジオクイズ番組「話の泉」で人気アナウンサーに上り詰めたものの1952年、ヘルシンキオリンピックの実況を終え帰路途中でなくなります。

戦前戦中戦後と信じられないような濃厚な体験をしたものの、念願のオリンピック実況をヘルシンキで終えた帰路途中、40才という若さでアナウンサー人生に幕を閉じました。

伝えるとはなにか。何をどう伝えるべきなのか。それはどのような言葉や口調で語るべきなのか。

台風7号や南海トラフ地震の巨大地震注意の情報なども含め、どのような口調がよいのかなど様々考えさせら、またこれからも考え続けなければならないテーマを数多く与えられた映画でした。