13年前のソフトボール金メダルの瞬間は北京で観ていました。
当時朝のニュース番組を担当していて、2日間ほど現地から生放送とをという事になり現地に向かいました。
北京の空港から荷物をガラガラ引っ張りながら小雨が降るスタジアムに入り、3塁側内野席の上段で観戦しそして上野投手の熱投と劇的な日本の勝利に立ち会うことが出来ました。
試合終了からメダルの授与までこの目に収め、興奮が冷めやらぬまま荷物をガラガラしながら外に出るとなんと地下鉄の終電時間を過ぎていたのです。
暗い沿道はいつ来るとはわからないタクシーを探す日本人で溢れかえっていました。
タクシー待ちの人を避けてずいぶんと球場から離れた場所までトボトボと歩いたところで奇跡的に現れたタクシーに乗り宿舎に着いたのはもう真夜中でした。
時差があるので午前6時からの番組は北京では5時からなので、ほとんど寝ないで準備をし放送後はまた一日競技の取材をし、またあっという間に次の日の放送となったものでした。
若くて体力があったものだと、我ながらなかなか感慨深いものがあります。
あれから幾星霜、再び上野投手がオリンピックのマウンドに上がるまで13年と言う月日が流れました。
有楽町駅前の広場で「あなたにとってこの13年はどのようなものでしたか?」とテレビ局のクルーにインタビューされたら「いやぁもう50代になって担当番組がコロコロ変わってしまって情けないやら申し訳ないやらの日々が続きましたねぇ。でもそのおかげで松本秀夫さんと番組が出来たことは嬉しかったですよぉ!あっ今は早朝の番組をやっていましてね。4時台は深夜放送の感覚で5時台は朝のワイド番組的気分なんですよ。なんですか一粒で2度おいしい!みたいな感じです!まぁあとは還暦になったらいきなり前立腺がんになりましてね…」とペラペラと聞かれもしないことをしゃべり続けて、オンエアーを見たら全面的にカットされていたぁ!という事になること間違いなしですね。
さてあなたにとってこの13年はどのような13年間だったでしょうか。
この13年。オリンピック競技からソフトボールが外れるという先行きが見えない日々を過ごし、またボールを顔面に受けて顎の骨折という大変な状況を経験してもなお、モチベーションと体力を維持しながら金メダルの栄冠を勝ち取った上野由紀子さんの努力に心から敬意を表する次第であります。

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