スポーツ伝説

2025.03.14

2025年3月10日~14日の放送内容

【プロ野球 田中将大投手】
 昨年のオフ、東北楽天ゴールデンイーグルスを退団し、読売ジャイアンツへの入団を発表した田中投手。2006年に高校生ドラフト1位で東北楽天に入団。13年に24勝0敗の圧倒的な成績で、チームを初のリーグ優勝と日本一に導きます。それを置き土産に、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍。入団から6年連続でふたケタ勝利を挙げ、21年、8年ぶりに東北楽天へ復帰します。しかし4年間で通算20勝33敗と期待された成績が残せず、昨シーズンはプロ18年目で初めて勝ち星なしという屈辱を味わいました。
 ジャイアンツとは1年契約で、背番号はかつてのエース・斎藤雅樹投手が背負った11番に決まりました。春季キャンプでは、昨シーズン、菅野智之投手のフォーム改良を指導してみごと復活させた久保康生コーチと新しいフォームの習得に取り組みました。これまでよりもリリースポイントが高くなる新フォームで、復活に懸けます。これまでに日米通算197勝を挙げ、200勝まであと3勝に迫っている田中投手。今年こそふたケタ勝利、そしてチームのリーグ連覇と13年ぶりの日本一を目指します。

 

【プロ野球 三森大貴選手】
 今シーズンから横浜DeNAベイスターズでプレーする三森選手。昨年暮れに濱口遥大投手との交換トレードで、8年間プレーした福岡ソフトバンクホークスからの移籍が決まりました。三森選手は青森山田高校から2016年のドラフト4位で福岡ソフトバンクに入団。プロ3年目の19年に1軍デビューを果たすと、21年からセカンドのレギュラーの座をつかみ、翌22年から2年連続で102試合に出場します。しかし昨シーズンは2度にわたって右手の人差し指を骨折し、1軍出場は25試合にとどまりました。選手層の厚いホークスでレギュラーを奪い返すのは並大抵のことではありません。そこに降って湧いたトレード話。横浜DeNAのセカンドには主砲・牧秀悟選手がいますが、ファーストのオースティン選手、サードの宮﨑敏郎選手は古傷を抱えており故障の心配がありました。そこで一塁・二塁・三塁のポジションを守れて、打って走れる三森選手に白羽の矢が立ったのです。
 横浜DeNAには、青森山田高校の先輩・京田陽太選手と、同学年だった堀岡隼人選手がいます。それもあって、三森選手は春季キャンプから「ミモ」と呼ばれて早くもチームに溶け込み、紅白戦でも積極的な走塁を披露したりと早速持ち味を発揮しています。さらに出場機会を増やそうと、外野の守備練習にも取り組んでいる三森選手。新天地で果たしたい夢は、優勝と日本一を主力選手として経験することです。
  
 
    
【高校野球 堂上直倫選手】
 イチロー選手をはじめ、プロ野球を代表する名選手たちを数多く輩出してきた愛知工業大学名電高校、通称・愛工大名電。春夏合わせて25回の甲子園出場を誇る強豪校ですが、優勝旗を手にしたのは1度だけ。それが、2005年に行われた春のセンバツ大会です。前年のセンバツは、愛媛の済美高校に1点差で敗れて準優勝。今度こそ全国制覇と意気込むチームを牽引したのが、2年生ながら4番を務めていた堂上選手でした。実は堂上選手は、高校入学前からプロ野球ファンには名前が知られた存在でした。3つ上の兄は、愛工大名電から中日ドラゴンズに入団した剛裕選手。父の照さんは元中日のピッチャーという背景もあって、特にドラゴンズファンの間で注目されていたのです。堂上選手は2年生秋以降、公式戦で打率4割4分8厘、25打点の勝負強さを見せ、センバツ出場に貢献。センバツ本番でも大会屈指のスラッガーの期待にたがわぬ活躍を見せて、愛工大名電は2年連続で決勝戦へ駒を進めたのです。
 鹿児島の神村学園との対戦となった決勝戦。愛工大名電は初回、犠牲フライで1点を先制すると、ツーアウト・ランナーなしの場面で4番・堂上選手に打席が回ってきます。堂上選手は初球のスライダーをフルスイングすると、打球はレフトスタンドへ飛び込む、大会2本目のホームランを放ちました。初回から2点を奪った愛工大名電はその後も得点を重ね、9対2で快勝。長年の悲願だった、甲子園優勝という栄冠を勝ち取ります。堂上選手はこの大会、16打数8安打、うち7本が長打という爆発力を見せ、名門の主砲にふさわしいスラッガーぶりを見せつけました。センバツ優勝の翌年、06年の高校生ドラフトで1位指名を受けた堂上選手。父と兄と同じ中日に入団し、プロの道に進みました。

  
【高校野球 健大高崎高校】
 群馬県の野球の強豪校、健大高崎高校。2012年春のセンバツ初出場の際は、機動破壊と呼ばれる足を生かした攻撃でベスト4となり注目を浴びます。その後、甲子園の常連校にはなったものの、ベスト4の壁が越えられず。ようやく越えたのが、昨年春のセンバツです。全出場校の中でチーム打率トップを誇る、切れ目のない打線の攻撃力と機動力を組み合わせた、攻撃的機動破壊と呼ばれる野球の中心を担ったのは、キャプテンで4番でキャッチャーというチームの要・箱山遥人選手です。センバツ本番では、秋の関東大会で敗れた因縁の相手・山梨学院高校との準々決勝で、箱山選手が3安打3打点と活躍して快勝。続く準決勝は、優勝候補の石川・星稜高校にリードを許す展開でしたが、7回に箱山選手のタイムリーなどで一挙3点を奪って逆転勝ち。この試合3安打と、プレッシャーがかかるほど力を発揮する箱山選手の活躍で、健大高崎は初の決勝進出を果たしました。
 健大高崎にはエース格の2年生が2人おり、投手力も大きな武器でした。背番号1のサウスポー・佐藤龍月投手と、背番号10の右腕・スピードボールが武器の石垣元気投手です。大会序盤は佐藤投手が先発を務めて19イニング無失点と好投を見せますが、準々決勝の途中で指のマメがつぶれ、それまでリリーフを務めていた石垣投手が準決勝で先発を務め、116球の熱投。最後は佐藤投手のリリーフを仰ぎ、チームを決勝に導きます。迎えた決勝戦も、先発は石垣投手。交代の目安となる100球に到達するも、佐藤投手の状態を思い、志願して続投した石垣投手。7・8回を3者凡退で退け、127球・2失点の力投を見せて降板。9回は佐藤投手が締めて、健大高崎は群馬県勢初となるセンバツ制覇を果たしたのです。

 

【プロ野球 吉田義男選手】
 今年、球団創設90周年の節目を迎えた阪神タイガースの名ショートとして2度のリーグ優勝に貢献し、監督としても初の日本一へと導いた功労者・吉田さんが2月3日、91歳でその生涯に幕を下ろしました。吉田選手は立命館大学を経て、1953年に当時の大阪タイガースに入団。走・攻・守三拍子揃った選手として1年目からショートのレギュラーで活躍します。小柄ながら、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われた軽快で華麗な守備を見せ、“牛若丸”の異名をとりました。打ってはプロ通算17年で1864本のヒットを放ち、盗塁王も2度獲得。ベストナインに9回も輝いた実績から、現役時代の背番号23は阪神の永久欠番になっており、92年には野球殿堂入りを果たしています。引退後は阪神の監督を3度務め、2度目に指揮をとった85年は、この年三冠王に輝いたランディ・バース選手、“ミスター・タイガース”こと掛布雅之選手、さらに岡田彰布選手がクリーンアップに並ぶ強力打線を形成。阪神を21年ぶりのリーグ優勝に導き、日本シリーズでは西武ライオンズを破って球団創設以来初の日本一に導きました。
 吉田さんは阪神だけではなく、89年から7年間、フランス代表の監督も務めました。現地では、“ムッシュ”の愛称で呼ばれた吉田さんによると、当初フランス代表は草野球の集まりのようだったそう。選手も個人プレーに走っていましたが、辛抱強くチームプレーを教え、国際試合であちこちの国へ遠征。野球の基本的な技術と心構えを指導したフランス代表は、吉田さんが退任後も進歩を続け、日本の社会人チームと互角に戦えるまでに成長しました。阪神を愛し、野球を愛し続けた吉田さん。国際野球連盟の委員も務め、野球の海外普及に貢献したことも、忘れてはいけないムッシュの偉大な功績です。

  
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!

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    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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