【プロ野球 松田宣浩選手】
2004年のオフに球団名を改めて、今年20周年を迎えた福岡ソフトバンクホークス。05年の大学生・社会人ドラフト希望入団枠から生え抜きとして活躍し、チームの顔となったのが松田選手です。プロ3年目の08年には10本の三塁打を記録するなど、走れる長距離砲として活躍し、サードのレギュラーに定着。4年目の09年は相次ぐ故障に見舞われ、出場試合が激減するなどの苦労も味わいましたが、30代になって以降は鉄人ぶりを発揮します。当時31歳だった14年8月から20年9月まで、6年以上に渡って休まず試合に出場し、815試合連続出場を記録。また当初は苦手だった守備も克服し、ゴールデングラブ賞は三塁手部門で歴代最多の8度受賞。三塁手で1832試合出場はパ・リーグ歴代最多記録です。
福岡ソフトバンクは2010年代に5度リーグ優勝を果たし、日本シリーズに6度出場。セ・リーグ6球団すべてに勝利して、セ・リーグ完全制覇を達成しました。この6度の日本一で牽引役となった松田選手は、快挙達成に大きく貢献しています。福岡ソフトバンクに在籍した17年間で、通算1831安打、301本塁打、991打点。ホームランを打ってベンチ前に戻った後、「熱男」と叫ぶパフォーマンスでもおなじみでした。これは15年から2年間使われたチームスローガンでしたが、ホームランのたびに叫び続けた結果、チームのスローガンがいつの間にか松田選手自身の代名詞になったのです。
【プロ野球 本多雄一選手】
本多選手は俊足を期待されて2005年の大学生・社会人ドラフト5位で福岡ソフトバンクホークスに入団。母親もソフトボールで全国制覇を果たした名選手で、本多選手を身ごもった時もグラウンドに立ち続け、俊足を武器にダイヤモンドを駆け回ったというエピソードの持ち主です。そんな母親譲りの俊足で、入団2年目の07年には早くも34盗塁をマーク。翌08年には球団タイ記録となる8打数連続安打を記録します。シュアで粘り強いバッティングでも評価を高めると、プロ5年目の10年にはシーズン59盗塁を記録し、ホークスでは史上8人目、福岡ソフトバンクになってからは史上初となるシーズン50盗塁以上の快挙を達成。埼玉西武ライオンズの片岡易之選手と並んで、自身初めての盗塁王のタイトルを獲得します。さらに当時の球団記録となるシーズン50犠打もマーク。7年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。続く11年は自己記録をさらに伸ばして、シーズン60盗塁で2年連続盗塁王。リーグトップの53犠打をマークして、リーグ連覇に大きく貢献したのです。
その後は、タイトル獲得こそありませんでしたが、毎年コンスタントに盗塁を重ねていった本多選手。“鷹のスピードスター”と呼ばれ、シーズン20盗塁以上は通算9回。18年に引退するまで、342盗塁を積み重ねました。この数字は、ソフトバンク20年の歴史で今も歴代1位の記録です。19年に引退すると、すぐに福岡ソフトバンクの一軍内野守備走塁コーチに就任。その年に1軍デビューを果たした教え子が、新たな鷹のスピードスター・周東佑京選手です。本多コーチは周東選手へ、自身のスタートやスライディングなどの走塁技術を惜しみなく伝授しながら、野球への取り組みまで徹底指導したのです。
【プロ野球 大隣憲司投手】
2006年の大学生・社会人ドラフト希望入団枠で福岡ソフトバンクホークスに入団した大隣投手。近畿大学時代にノーヒットノーランや大学選手権での1試合19奪三振など、圧巻のピッチングで大学ナンバーワン左腕と呼ばれました。プロ2年目に先発ローテーションの一角を務め、11勝8敗と2ケタ勝利をマークします。翌年も8勝を挙げましたが、その後は思うような結果を残せず、11年オフに一念発起してドミニカ共和国のウインターリーグに参加。その経験が功を奏して、12年はリーグトップの3完封を含む12勝8敗、防御率2.03と活躍します。侍ジャパンにも選ばれ、翌13年の開幕前に行われたWBCにも出場。先発登板した第2ラウンドのオランダ戦では4者連続空振り三振を奪いました。
勢いに乗って臨んだ13年シーズン、大隣投手を病魔が襲います。国指定の難病・黄色靱帯骨化症は、神経を圧迫して足などに麻痺を起こす病気です。術後のリハビリの甲斐あって、14年7月に大隣投手は中継ぎで408日ぶりに1軍復帰。その2週間後には先発のマウンドに立ち、7回を1失点の好投で422日ぶりの勝利を挙げました。この難病を経験した投手が復帰して白星を挙げたのは史上初のことです。大隣投手の奮闘はその後も続き、優勝を争う9月に2年ぶりの完封勝利を挙げると、10月2日には2位・オリックスとの首位攻防戦に先発登板。勝敗こそつきませんでしたが、6回を無失点に抑えた大隣投手の好投に打線が応え、サヨナラ勝ちで優勝決定という劇的なシーンが生まれました。さらには、北海道日本ハムとのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ初戦に登板すると、中4日で第6戦にも登板。7回を無失点に抑えて勝ち投手となり、チームは日本シリーズへ駒を進めます。阪神との日本シリーズでは第3戦に先発して7回3安打無失点の好投を演じ、シリーズ初登板・初勝利。チームの日本一に大きく貢献したのです。
【プロ野球 斉藤和巳投手】
150キロを超えるストレートと、抜群のキレを誇るフォークを武器に、福岡ソフトバンクホークスのエースとして活躍した斉藤投手。高校時代は甲子園経験こそなかったものの、190cmを超える長身と潜在能力の高さを買われて、1995年のドラフト1位で当時の福岡ダイエーホークスに入団。プロ入り後は肩の故障などもあり、5年目の2000年にプロ初勝利を含む5勝を挙げます。本格的に活躍を始めたのは、8年目の03年。開幕投手に抜擢されてみごと開幕戦白星を飾ると、それを皮切りに当時のプロ野球記録となる先発登板16連勝という快挙を成し遂げます。この年は最終的に20勝3敗、防御率2.83をマーク。最多勝・最優秀防御率のタイトルを獲得して、チームの日本一にも貢献しました。斉藤投手はその2年後、05年にも開幕から15連勝を記録。開幕15連勝以上を2度も達成したピッチャーは、長いプロ野球の歴史の中でも斉藤投手しかいません。05年の最終的な成績は16勝1敗で、勝率は驚異の9割4分1厘。“負けないエース”と呼ばれるようになりました。
レギュラーシーズンは無敵を誇る一方、ポストシーズンでは好投してもなぜか白星が付かなかった斉藤投手。ポストシーズンでの通算成績は0勝6敗。“悲劇のヒーロー”と呼ばれた斉藤投手ですが、レギュラーシーズンでは通算79勝23敗、7割7分5厘という高い勝率を誇ったことを、ホークスファンは忘れていません。
【プロ野球 中村晃選手】
今年18年目の中村選手は、2007年の高校生ドラフト3巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。持ち前の勝負強いバッティングと堅実な守備で、チームに大きく貢献しました。プロ6年目の13年から1軍に定着。初めて規定打席に達して打率3割7厘を記録すると、翌14年には176安打を放ち、最多安打のタイトル初めて獲得します。3年ぶりのリーグ優勝にも貢献しますが、ポストシーズンに入ると不振に陥り、北海道日本ハムとのクライマックスシリーズは19打数2安打。続く阪神との日本シリーズは、第3戦まで11打数1安打とスランプが続いていました。そんな中、福岡ソフトバンクの2勝1敗で迎えた第4戦。延長10回、ツーアウト一・二塁のチャンスで、中村選手は劇的なサヨナラホームラン。この1発で勢いづいた福岡ソフトバンクは、続く第5戦にも勝利して3年ぶりの日本一を決めたのです。
中村選手は20年、千葉ロッテとのクライマックスシリーズ=CS第2戦でも、3点を先制されながら2回と4回に2打席連続でツーランを放って試合を逆転。これで中村選手は、16年から5年連続CSでホームランを放ったことになり、短期決戦での強さを見せつけてクライマックスシリーズのMVPに輝きました。この年から選手会長に就任した中村選手は、シーズン中に55歳の若さで亡くなった川村隆史3軍コンディショニング担当のユニホームをベンチに飾ることを提案してチームを1つにまとめ、この年のCS突破と、4年連続日本一につなげたのです。
来週のスポーツ伝説は……
2/24(月) プロ野球 遠井吾郎選手
2/25(火) プロ野球 中西清起投手
2/26(水) プロ野球 真弓明信選手
2/27(木) プロ野球 井川慶投手
2/28(金) プロ野球 藪恵壹投手
お楽しみに!!
2025.03.27
2025年3月24日~27日の放送内容
【プロ野球 浅野翔吾選手】 大型補強のもと、2年連続のリーグ優勝を目指す読売ジャイアンツ。選手の層が厚いため、高卒の生え抜き野手がチャンスを掴むのは並大抵のことではあ...
2025.03.21
2025年3月17日~21日の放送内容
【スピードスケート 高木美帆選手】 30歳になった現在も国際大会で圧倒的な強さを見せ、女子スピードスケート第一線で活躍を続けている高木選手。冬季オリンピックでは、20...
2025.03.14
2025年3月10日~14日の放送内容
【プロ野球 田中将大投手】 昨年のオフ、東北楽天ゴールデンイーグルスを退団し、読売ジャイアンツへの入団を発表した田中投手。2006年に高校生ドラフト1位で東北楽天に入...
2025.03.06
2025年3月3日~7日の放送内容
【メジャーリーグ 菊池雄星投手】 岩手県の花巻東高校時代から注目を浴びてきたサウスポー・菊池投手。2019年にアメリカ・メジャーリーグに活躍の場を移すと、5年目の23...
2025.02.28
2025年2月24日~28日の放送内容
【プロ野球 遠井吾郎選手】 今年で球団創立90周年を迎えた阪神タイガース。遠井選手は1950年代~70年代にかけて、阪神ひと筋で20年間プレーした名物選手です。ぽっち...