スポーツ伝説

2024.11.01

2024年10月28日~11月1日の放送内容

【パラ水泳 鈴木孝幸選手】
 今年のパリ・パラリンピックで6大会連続出場を果たしたレジェンド、パラ水泳・運動機能障害クラスの鈴木選手。15歳から本格的に水泳の世界に飛び込むと、2度目のパラリンピックとなった2008年の北京大会の50m平泳ぎで初の金メダルを獲得します。ただ、その後のパラリンピックでは50m平泳ぎはメダルに届いても銅止まり。北京大会で出した記録を超えることはできませんでした。そこで鈴木選手は、フォームの改造に着手。それまでは2回かいて1回呼吸していたところを、4回に1回呼吸するスタイルに変え、息継ぎのタイムロスを減らしたのです。さらにパリ大会では、残り5mを息継ぎなしで泳ぎ切るというレースプランを立てて本番に臨みました。スタートからトップに立った鈴木選手は、無駄を省いた呼吸法でリードを守ると、プラン通りの「息継ぎなし」でラストスパートを決め、1位でフィニッシュ。21歳だった北京大会でマークした自己ベストを37歳にして0秒45更新して、この種目では実に16年ぶりの金メダルを獲得しました。
 鈴木選手の50m平泳ぎのメダルは、パリ・パラリンピックの日本勢第1号の金メダルでもありました。さらに今大会、鈴木選手は平泳ぎ以外にエントリーした50m・100m・200m自由形でも納得の泳ぎを披露。ベテランらしい駆け引きを駆使して、アジア新記録をマークした50mと100m自由形で銀メダル、200m自由形では銅メダルを獲得し、出場した個人種目4つ全てでメダルを手にしたのです。16年前の自分を超え、パラリンピック6大会の通算メダルが14個に達したレジェンド・鈴木選手の泳ぎは、これからも進化を続けます。

 

【パラバドミントン 里見紗李奈選手】
 2016年、高校3年生の時に交通事故に遭い脊髄を損傷。翌年からパラバドミントンを本格的に始めると、持ち前のセンスでたちまち世界のトッププレーヤーとなった里見選手。21年の東京パラリンピックと22年の世界選手権で女子シングルス・女子ダブルスを制して2冠を達成し、絶対女王として君臨します。しかし今年2月の世界選手権、シングルス準決勝で中国の選手にまさかのストレート負けを喫し、東京パラリンピックから続いていた連勝記録が59でストップしてしまいました。勝ち続けたがゆえに世界中の選手から徹底マークされ、これまで通りでは通用しないことを痛感した里見選手。自分のバドミントンを見直す決意をした里見選手。ライバルたちを超えるため、さらなる努力を心に誓いました。
 その成果を示したのが、今年のパリ・パラリンピックです。女子シングルスの1次リーグでは、連勝記録を止められた中国選手にまたしても敗れてしまいますが、準決勝で再びその選手と対戦すると、磨き直したチェアワークで相手のショットを拾い続け、見事にストレート勝ち。続く決勝戦では過去に敗れたことのあるタイ選手と対戦し、逆転勝利でパラリンピック連覇を果たしました。

      
【パラバドミントン 梶原大暉選手】
 パラバドミントン・車いす部門の比較的障がいが軽いクラスで無敵の強さを誇り、2021年の東京パラリンピック・男子シングルスで、金メダルを獲得した梶原選手。そこから国際大会では3年間負け知らずで、連勝記録を伸ばしながら今年のパリ・パラリンピックを迎えました。梶原選手が世界のトップに立つことができた理由は、その圧倒的な練習量です。誰よりも練習していることが、メンタルの強さにつながっています。技術を磨くことも忘れません。これまではネットの手前にシャトルを落とす、カットという技を得意にしてきましたが、相手に警戒されるようになったため、新たにカットスマッシュをマスター。打つ寸前までは一見カットと同じですが、シャトルを打つときに手首を効かせることで、スマッシュに近いスピードでシャトルをコートの奥まで飛ばすことができます。これにより相手は前に出にくくなり、カットをより有効に使えるようになりました。
 連覇が懸かるパリ・パラリンピックでは東京大会とは違ったプレッシャーがありましたが、男子シングルスでは予選から1ゲームも落とすことなくストレート勝ちを続けて決勝戦に進出します。相手は東京大会の銅メダリスト・香港の陳浩源選手。第1ゲームは、試合開始から7連続でポイントを奪い梶原選手が圧倒します。第2ゲームも相手に隙を与えず、最後は4連続ポイントを奪って勝利。全試合ストレート勝ちという完璧な強さで、パラリンピック連覇を果たした梶原選手は、国際大会の連勝記録を125に伸ばしました。目指すは4年後のロサンゼルス・パラリンピックでのシングルス3連覇と、今回、銅メダルに終わったダブルスでの金メダルです。

 

【車いすバスケットボール 橋本勝也選手】
 2016年のリオ、21年の東京大会と、パラリンピック2大会連続で銅メダルを獲得した車いすラグビー日本代表。4位に終わった12年のロンドン大会も含めると、3大会続けて準決勝で涙を飲みました。今年のパリ・パラリンピックで悲願の金メダルを手にするためには、どうしても突破しなければならない準決勝の壁。このぶ厚い壁を打ち破るのに貢献したのが、チーム最年少の22歳・橋本選手です。生まれつき手足に障害を抱え、両手の指は2本しかなく、幼い時に障がいのあった両足を切断した橋本選手。中学2年生で車いすラグビーと出会い、競技を始めてわずか2年で日本代表選手に選出されます。東京大会で初めてパラリンピックの舞台を踏みましたが、出場は2試合。プレー時間はおよそ10分だけに終わり、悔しい思いをしました。このときチームを支えるベテラン・池崎大輔選手から「次は勝也の番だ。この光景を忘れるな。はい上がって来い!」と激励された橋本選手。翌年、地元・福島の三春町役場を退職して競技に専念し、福島と東京を往復して技術を磨きました。
 今年のパリ大会でも代表入りを果たした橋本選手は、予選から全試合で2ケタ得点を挙げる活躍を見せ、準決勝のオーストラリア戦では、14トライをマーク。日本の勝利に貢献し、ついに準決勝の壁を破ることに成功。悲願の金メダルを懸けた決勝戦の相手は、パラリンピックで過去に2度金メダルを獲得している強敵・アメリカでした。日本は第1ピリオドでアメリカに3点リードを許しますが、この嫌な流れを変えたのが橋本選手です。第2ピリオドで同点に追い付いた日本は、残り1分余りの場面で橋本選手が敵陣で相手のパスをカットし、そのままトライにつなげて前半のうちに逆転に成功したのです。後半もアメリカがミスを重ねる一方で、日本は着実に得点を重ね、橋本選手は19得点を挙げる活躍で勝利に貢献。04年にアテネ・パラリンピックで初出場してから20年、車いすラグビー日本代表はついに金メダルを手にしたのです。

 

【パラ陸上 伊藤智也選手】
 今年のパリ・パラリンピックの日本選手団の中で最年長となる61歳で出場したのが、パラ陸上・車いすの部の伊藤選手です。34歳の時に、難病の多発性硬化症を発症し、下半身の麻痺のほか、年々症状が進行する左腕のしびれと闘いながら、パラリンピックは北京で金メダル2個、ロンドンで銀メダル3個を獲得していったん現役から退きます。復帰のきっかけになったのは2017年、「レーサー」と呼ばれる競技用車いすを開発する会社の社長から、最新鋭の専用レーサーを作るから乗って欲しいと頼まれたことでした。東京パラリンピックに最新鋭のレーサーで臨み、金メダルを狙うプロジェクトに参加することを決めた伊藤選手は、ブランクを払しょくする走りを見せ、21年に58歳で東京パラリンピックの舞台に戻ってきたのです。そんな伊藤選手についた愛称は“車いすの鉄人”。国際大会でも活躍し、東京大会でもメダルを期待されていた伊藤選手ですが、大会前のクラス分け判定の結果、従来の病気の進行度の改善により、障害の軽いクラスに突然変更となります。400m予選で出した57秒16は、前のクラスでは銅メダル相当のタイムでしたが、障がいが軽いクラスでは最下位で予選落ちという苦渋を味わいました。
 まさかのクラス変更で、国内でも勝てないと考えた伊藤選手。所属企業からの支援打ち切りも覚悟しましたが、契約を続けてもらえることになり、再び闘志に火がつきます。週5回の走り込みと毎日の筋トレを欠かさず行った伊藤選手は、今年6月、改めて受けたクラス分けで再び元のクラスに戻り、パリ・パラリンピック代表の座をつかみます。還暦を過ぎて戻って来た大舞台。最新のレーサーで本番に臨んだ伊藤選手は、男子400mで決勝に進出します。その決勝で、会心のスタートダッシュを決めるも、レース後半に背中の激痛に見舞われ失速。それでも3位を死守し、銅メダルを獲得。伊藤選手はロンドン大会以来、実に12年ぶりのメダルを手にしました。

  
来週のスポーツ伝説は……

11/4(月) 車いすテニス 小田凱人選手
11/5(火) 車いすテニス 上地結衣選手  
11/6(水) ゴールボール 男子日本代表
11/7(木) 大 相 撲  王鵬幸之介関
11/8(金) 大 相 撲  狼雅外喜義関

お楽しみに!!

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    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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