スポーツ伝説

2024.08.16

2024年8月12日~16日の放送内容

【高校野球 吉田正男投手】
 この夏、開場100周年を迎えた甲子園球場では現在、全国高等学校選手権大会、通称・夏の甲子園が開催中です。夏の甲子園の長い歴史において、たった一校しか成しえていない大記録が、中京商業による大会3連覇です。戦前、まだ大会名が全国中等学校優勝野球大会だった時に達成されたこの偉業の立役者が、エースの吉田投手でした。中京商業が初めて夏の甲子園にやってきたのは1931年。初戦で名門・早稲田実業を9回サヨナラ勝ちで下した中京商業は、勢いに乗って決勝戦に進出。台湾の嘉義農林を相手に吉田投手は見事な完封勝利を収め、夏の甲子園初出場・初優勝を成し遂げます。そして翌年の夏、大会連覇を目指した中京商業は、吉田投手が初戦から1安打完封勝利。その後も順調に勝ち上がり、決勝戦ではこの年の春のセンバツで優勝した松山商業と激突。鉄腕エース・吉田投手は最後まで一人で投げ抜き、延長11回サヨナラ勝ちで史上3校目の夏の甲子園・2年連続制覇を成し遂げました。
 史上初の大会3連覇を目指し、翌33年の夏の甲子園に戻ってきた吉田投手は、初戦からノーヒットノーランの快投を見せます。2回戦では打球が顔に当たり、まぶたを縫うアクシデントにも見舞われますが、続く準々決勝にも登板して勝利。準決勝では、この年のセンバツで敗れた因縁の相手・明石中学対戦します。この事実上の決勝戦で吉田投手は好投しますが、明石中学も得点を与えず、試合は延長戦へ。この時はまだ延長再試合の規定がなく、決着がつくまで試合は行われました。そして延長25回ウラ、中京商業は満塁のチャンスで内野ゴロの間にランナーが生還。ついに1点が入り、みごとサヨナラ勝ちを収めたのです。吉田投手は336球を投げ、19奪三振の完封勝利。甲子園春・夏通算23勝3敗で、歴代最多勝投手としてもその名を球史に刻んでいます。

 

 
【高校野球 木村進一選手・監督】
 春のセンバツと夏の選手権大会に過去もっとも多く出場したのは、京都の龍谷大平安高校です。昨年の時点で、甲子園出場回数は春・夏合わせて76回。前身の学校名は平安高校、戦前は平安中学の名前で甲子園を賑わせ、2018年には史上2校目の甲子園通算100勝を達成した伝統校です。その栄光の歴史の中で、選手としても監督としても優勝を果たしたのが、戦前の1938年、夏の甲子園で平安中学の初優勝に貢献した木村選手です。1回戦では、嶋清一投手を擁する優勝候補の海草中学と対戦。木村選手のタイムリーなどもあって、9回ウラに逆転サヨナラ勝利という番狂せを起こします。これで勢いに乗った平安中学は、岐阜商業との決勝戦でも9回ウラの土壇場で2点を返す逆転サヨナラ勝利。悲願の初優勝を果たしたのです。木村選手はこの大会で、守ってはショートの守備で名手と呼ばれ、打っては3番としてチームに貢献しました。
 その後、立命館大学に進学し、プロ野球・名古屋軍でも活躍した木村選手。しかし太平洋戦争の戦地で右手首から先を失い、選手生命を絶たれてしまいます。それでも野球への情熱を失うことはなく、48年に今度は監督として母校の平安高校へ。右手にはめた義手にボールを乗せ、左手一本でノックをする姿は“隻腕のノッカー”と呼ばれ、選手たちを勇気づけました。木村監督率いる平安高校は51年、夏の選手権大会に優勝候補の一角として出場を果たします。この大会で語り草となっているのが、怪童と呼ばれたスラッガー・中西太選手を擁する高松一高との準決勝です。平安は9回表まで4点リードしながら、中西選手の二塁打を皮切りに猛反撃に遭い、1点差に迫られます。なおもツーアウト満塁のピンチでしたが、なんとか後続を抑え勝利。この激闘を制した平安高校は決勝戦も制して、木村監督は選手時代以来13年ぶりに全国制覇の喜びを味わったのです。選手・監督の両方で全国制覇を果たしたのは、史上初の快挙でした。

     
 
【高校野球 八木沢荘六・加藤斌投手】
 この夏、開場100周年を迎えた甲子園球場。高校野球において、同じ年に春のセンバツと夏の選手権大会をともに制する、甲子園春夏連覇は過去8回あり、達成した高校は7校しかありません。この偉業が初めて達成されたのは、今から62年前、1962年のことでした。球史に名を刻んだのは、栃木県の作新学院高校です。この年、作新学院には絶対的エースがいました。のちにロッテオリオンズで活躍して千葉ロッテの監督も務めた八木沢投手です。抜群のコントロールを武器に、春のセンバツでチームを優勝へ導きます。そして夏の選手権も、八木沢投手を中心に史上初の春夏連覇を目指すはずでしたが、開会式当日に赤痢と診断され、隔離されることになってしまったのです。突然エースを欠き、窮地に陥った作新学院。この危機を救ったのが加藤投手です。春のセンバツでは、延長16回の激闘になった準決勝の松山商業戦で八木沢投手を途中からリリーフし、7イニングを4安打無失点に抑えて勝利に貢献。そんな加藤投手が、八木沢投手に代わって初戦のマウンドに立つことになったのです。
 作新学院は1回戦、初出場の気仙沼高校に5回以降をわずか1安打に抑えられ、同点のまま延長戦に突入します。しかし辛抱強く投げ続けた加藤投手の好投が実って、延長11回に勝ち越した作新学院が勝利を収めます。2回戦の慶應高校戦からは、回復した八木沢投手がベンチ入り。マウンドには立ちませんでしたが、エースの存在が作新学院ナインにとって何より励みになりました。試合は打線が奮起して快勝し、続く準々決勝を突破した作新学院は、準決勝で愛知県の強豪・中京商業と対戦します。加藤投手と剛球左腕・林俊彦投手の優勝候補同士の対決は、加藤投手の3安打完封。決勝の相手は、福岡の久留米商業でした。加藤投手はサイドスローから繰り出すキレのある速球が冴えて、7回に作新学院が待望の先取点を挙げると、このリードを守り切り1対0で完封勝利。史上初の春夏連覇が、ついに達成されたのです。

 
【高校野球 佐藤由規投手】
 トレーニング技術の進化で、最近は150キロ台の剛速球を投げる高校生のピッチャーは珍しくありません。今から17年前、2007年の夏の甲子園で当時大会史上最速となる155キロをマークしたのが、のちに東京ヤクルトスワローズで活躍した、仙台育英高校の佐藤投手です。高校入学当初は球速130キロ前後で、ポジションは控えの三塁手だった佐藤投手。1年秋には球速が140キロまで伸び、3年生になると150キロ台半ばまでアップ。1日100球は当たり前。夏の大会前は暑い中200球ぐらい。毎日ひたすら投げ込みを行い、監督から休みを作れと言われるほど練習に打ち込んだ成果でした。甲子園デビューは、2年生の夏の選手権。初戦で徳島商業から11三振を奪い、2回戦の日大山形戦で145キロをマークして一躍注目の的になります。ただそれ以降は抑えることよりも球速を出すことに意識が行ってしまい、3年生の夏の大会は調子が上がらないまま本番を迎えることになりました。
 2007年夏の甲子園。仙台育英の初戦の相手は、全国制覇の経験もある強豪・智辯和歌山高校でした。初回に2点の援護をもらった佐藤投手は、三振の山を築き、毎回の17奪三振をマーク。試合は仙台育英が4対2で勝ちました。2回戦の相手は強打の奈良・智辯学園高校。佐藤投手は2回に3者連続三振を奪うなど、立ち上がりから飛ばします。注目の1球は4回、先頭打者への5球目。渾身のストレートを投じると、スコアボードの表示は「155キロ」。04年に宮崎県代表・日南学園高校の寺原隼人投手がマークした154キロを上回る、甲子園最速記録更新の瞬間でした。その後佐藤投手は、東京ヤクルトスワローズに入団。プロ3年目の10年には日本人投手では当時史上最速の161キロをマークし、12勝を挙げています。

 

【高校野球 須江航監督】
 2022年、夏の全国高校野球で宮城県代表・仙台育英高校を初の全国制覇に導いた須江監督。埼玉県出身ですが、高校は名門・仙台育英に進んで野球部に入部。選手としてレギュラーを目指しましたが、2年生からコーチに転向します。学生コーチとして能力を発揮した須江監督は3年生の時、春のセンバツで準優勝に貢献。ただ当時は怒ったり練習を強制することが自分の役割と考えていたため、チームメイトからは煙たがられたそうです。優勝を逃したことで、自分の未熟さを痛感したという高校時代の須江監督。「選手だったときの自分のように、うまくできない子どもたちを導けるような存在になりたい」という考えから、指導者を志すようになりました。
 18年夏、仙台育英が初戦で埼玉県代表の浦和学院高校に0対9で完敗した際のインタビューで、須江監督は「1000日以内に全国制覇する計画を立てて、明日から練習します」と宣言します。名門・仙台育英には、東北中から優秀な才能が集まってきます。優勝は絶対に不可能ではないと信じ、新しく打ち出した方針がデータ重視でした。選手の球速やスイングスピードなどを計測してベンチ入りメンバーはその数値で選出。数字を出せばレギュラーになれるので、選手たちの目の色が変わったと言います。また投手起用も継投策を打ち出し、140キロ以上を出せるピッチャー5人を交代で起用。こうして地道にチーム強化を積み重ねて、就任5年目の22年夏の甲子園でついに「優勝旗の白河越え」を果たしたのです。コロナ禍を乗り越えた選手たちを讃えた際に語った「青春って、すごく密なので」という言葉も大きな共感を呼びました。

来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!

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    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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