【サッカー 長谷部誠選手】
サッカー日本代表のキャプテンとして、2010年の南アフリカ大会、14年のブラジル大会、18年のロシア大会と3大会連続ワールドカップに出場。ドイツ1部リーグ・ブンデスリーガのフランクフルトで、およそ10年間にわたりプレーしてきた長谷部選手が、22年間のプロサッカー選手生活にピリオドを打ちました。最後の雄姿は5月18日、ホームで行われたリーグ最終節のライプチヒ戦。後半アディショナルタイムにサポーターのスタンディングオベーションで迎えられ、最後のピッチに立ちます。ブンデスリーガで自身のアジア選手歴代最多記録をさらに更新する、通算384試合出場を果たした長谷部選手。ボールに絡むことはほとんどありませんでしたが、試合終了の笛が鳴ると清々しい表情で現役生活に別れを告げました。
それから6日後の5月24日、都内で開かれた引退会見で、現役時代で印象に残る試合として挙げた中に、11年のアジアカップがありました。長谷部選手が日本代表キャプテンの時に獲ったタイトルの1つで、特に準々決勝・カタール戦の激闘はいまも語り草になっています。この試合、日本は後半に退場者が出て数的不利になった上に、カタールに勝ち越しゴールを許し、絶体絶命のピンチに陥りました。しかし香川真司選手の同点ゴールで追い付くと、試合終了間際に長谷部選手のスルーパスを起点に、伊野波雅彦選手がゴールを挙げ、日本が3対2で逆転勝利。そのまま勢いに乗って優勝へと突き進みました。現役時代に身につけた経験を、今度は次の世代に伝える番。長谷部選手は今後フランクフルトに残り、指導者の道を目指します。
【サッカー 岡崎慎司選手】
今年2月、2023-24シーズン限りでの引退を表明したのが、ベルギーのシント=トロイデンでプレーしていた元日本代表のフォワード・岡崎選手です。岡崎選手は05年、神戸市の名門・滝川第二高校から、当時J1リーグの清水エスパルスに入団。08年にA代表デビューを果たすと、代表戦119試合に出場して歴代3位の通算50得点をマークします。ワールドカップには、10年・南アフリカ大会と14年・ブラジル大会で2大会連続ゴールを記録。18年・ロシア大会にも3大会連続で出場しました。岡崎選手の魅力は、持ち前の明るいキャラクターと献身的なプレースタイルです。特に代名詞となったダイビングヘッドは、日本サッカー協会の公式SNSで、「利き足の頭でのゴールに期待」と紹介されたほど。本人の座右の銘は「一生ダイビングヘッド」です。
岡崎選手はJ1リーグで通算121試合に出場。42得点の成績を残した後、11年にドイツ1部リーグ・ブンデスリーガのシュツットガルトに移籍。13年には同じブンデスリーガのマインツに移籍し、2シーズン連続で2ケタ得点を挙げる活躍を見せました。そして15年からは、イングランド・プレミアリーグのレスターへ。当時のレスターは、プレミアリーグの中でも弱小でした。岡崎選手はレギュラーを勝ち取るため、チーム内で誰もやっていなかった「前線からの積極的な守備」を実行します。積極的な守備は、守備を重視するイタリア人のラニエリ監督の戦術とうまくはまり、守備が安定したことで、弱小チームだったレスターは勝てるチームへと変貌。創設133年目にして初のプレミアリーグ制覇を果たしたのです。岡崎選手はこのシーズン5得点と、フォワードとしては物足りない数字ですが前線でチームを支えた〝奇跡の立役者”として讃えられました。プレミアリーグでも日本人選手が活躍できることを実証した岡崎選手はその後、スペインリーグでもプレー。欧州5大リーグのうち3つでゴールを記録した “突破力”は、後に続く日本人選手たちに道を開きました。
【ラグビー 田中史朗選手】
身長166㎝、体重75㎏の小さな体で日本のラグビーを支えてきた田中選手が、現役引退の時を迎えました。パスの職人・スクラムハーフとして積み上げた日本代表での75試合出場は、歴代7位。このポジションでは歴代1位を誇るレジェンドです。2007年にトップリーグの、三洋電機ワイルドナイツへ入団。リーグ新人王に輝く活躍を見せ、1年目から日本選手権優勝に貢献しました。11年のニュージーランド大会で自身初のワールドカップに出場しますが、当時の日本代表は世界の強豪と戦う力がまだなく、3敗1分けと1勝もできずに終わります。田中選手自身も圧倒的な差を見せつけられ、帰国した空港では出迎えも閑散としていました。このままでは、日本ラグビーが終わってしまうと危機感を抱いた田中選手は、世界最高峰のリーグ・スーパーラグビーへの挑戦を決め、ニュージーランドのハイランダーズに加入。13年に日本人選手として初めて、スーパーラグビーの公式戦に出場します。田中選手は小さな体で屈強な選手たち相手にタックルでぶつかり、得意のパスワークで翻弄。15年にはチームの初優勝にも貢献して存在感を示しました。
スーパーラグビーで培った経験値をもとに、世界のラグビーファンを驚かせたのが15年のワールドカップ・イングランド大会です。初戦で優勝候補の南アフリカから、試合終了間際の逆転劇で日本が大金星を挙げ、世界を驚かせます。この開催地にちなみ〝ブライトンの奇跡”と呼ばれた歴史的な大番狂わせで、田中選手はスクラムハーフとして66分間出場し勝利に貢献しました。そして4年後、日本で開催されたワールドカップでは、ベテランの控えとしてチームを支え、史上初のベスト8進出に陰で貢献した田中選手。小さな巨人は、日本中にラグビーブームが起きるほどの熱狂を生み出したのです。そんな奮闘の日々を経て、39歳で迎えた今年4月、田中選手は現役引退を表明。引退会見の席で田中選手は、次なる夢を高らかに宣言しました。「将来的には日本代表のヘッドコーチを目指したい。家族のように何でも話せるような指導者になりたい」
【ラグビー 堀江翔太選手】
試合の大事な局面で出場することが多く、相手チームが恐れる勝負強さと圧倒的な存在感から、“ラスボス”の異名で愛された堀江選手。ポジションは、体の大きさと強さが求められる
フォワードの中でも、スクラム最前列の真ん中を務めるフッカー。強い当たりやタックルに加え、パスやキックも高いレベルでこなせる器用さが持ち味です。トップリーグ時代のワイルドナイツでは、2010年度と15年度にリーグMVPを受賞。13年からは日本人フォワードとしては初めて世界最高峰リーグのスーパーラグビーに挑戦し、体格がモノをいうフォワードでも日本人が世界で戦えることを示してみせました。またスーパーラグビーに参戦するため、日本代表候補を中心に構成した特別チーム・サンウルブズでは初代キャプテンに就任するなど、リーダーとしても日本ラグビーを牽引してきた堀江選手。ワールドカップには4大会連続で出場し、15年のワールドカップ・イングランド大会では、優勝候補南アフリカを破る大金星を経験。19年の日本大会は5試合すべてに出場して、史上初のベスト8進出に大きく貢献しました。
長年に亘って第一線で活躍してきた堀江選手ですが、その代償として首を手術するなど大きなケガを何度も経験します。ただ、ケガをきっかけに信頼できるトレーナーと出会えたという堀江選手。体の使い方や姿勢など、ラグビーのプレー以前の体を動かすための土台を鍛え直した結果、30代半ばを過ぎても成長を続け、22年に始まった国内新リーグ・ラグビーリーグワンでは、36歳で初代MVPに輝いたのです。こうした経験からトレーニングの重要性を学んだ堀江選手は、体が元気な内にトレーナーに転身して後進の育成にあたりたいと考え、まだ代表クラスの力を持ちながら38歳での現役引退を決意しました
【競泳 入江陵介選手】
初めて日本代表に選ばれたのは高校2年生の時。以降34歳の今年まで、18年に亘って第一線で泳ぎ続けてきた、競泳背泳ぎの入江選手。体の軸がぶれない美しいフォームが持ち味です。オリンピック初出場となった08年の北京大会では、200m背泳ぎで5位に入賞。翌09年には、100mと200mの2種目で日本新記録を樹立します。当時は高速水着時代ではありましたが、この2つの日本記録は今も破られていません。12年のロンドンオリンピックでは、100mで銅、200mで銀、400mメドレーリレーで銀メダルと、3つのメダルを獲得します。中でも入江選手が思い出深いメダルと語るのは、平泳ぎのレジェンド・北島康介選手たちとともに銀メダルを獲得したメドレーリレーです。ただこのロンドン大会以降、入江選手は苦しい時間が続きます。次のリオ大会ではメダルゼロ。得意の200mで8位に終わると、涙を滲ませながら、「賞味期限が切れた人間かな」と苦しい胸のうちを吐露しました。
辞めてしまった方が楽だったかも、というほどの葛藤があったという入江選手。それでも次の東京大会に向けて泳ぎ続けます。きっかけは、17年からの3年間、アメリカでの単身武者修行で視野が広がったこと。そして自分のためだけでなく、後輩のため、競泳界のためにできることをやろうという未来思考を持てたことでした。31歳で4度目のオリンピックとなった21年の東京大会では、日本競泳陣のキャプテンを担当。メダルには手が届きませんでしたが、後輩のため、競泳界のためにという思いを貫き通しました。そして今年3月、5大会連続出場を目指したパリオリンピック代表選考会は、100mも200mも派遣標準記録に届かず、現役引退を決意。国内ではずっと敵なしだった入江選手を破る若手が出てきたことも、引退の決め手となりました。これからは、自分の壁を破ろうとする後輩たちを陰で支えていきます。
来週のスポーツ伝説は……
7/1(月) M L B ダルビッシュ有投手
7/2(火) プロ野球 戸郷翔征投手
7/3(水) プロ野球 大瀬良大地投手
7/4(木) プロ野球 松本健吾投手
7/5(金) プロ野球 中川虎大投手
お楽しみに!!
2025.03.27
2025年3月24日~27日の放送内容
【プロ野球 浅野翔吾選手】 大型補強のもと、2年連続のリーグ優勝を目指す読売ジャイアンツ。選手の層が厚いため、高卒の生え抜き野手がチャンスを掴むのは並大抵のことではあ...
2025.03.21
2025年3月17日~21日の放送内容
【スピードスケート 高木美帆選手】 30歳になった現在も国際大会で圧倒的な強さを見せ、女子スピードスケート第一線で活躍を続けている高木選手。冬季オリンピックでは、20...
2025.03.14
2025年3月10日~14日の放送内容
【プロ野球 田中将大投手】 昨年のオフ、東北楽天ゴールデンイーグルスを退団し、読売ジャイアンツへの入団を発表した田中投手。2006年に高校生ドラフト1位で東北楽天に入...
2025.03.06
2025年3月3日~7日の放送内容
【メジャーリーグ 菊池雄星投手】 岩手県の花巻東高校時代から注目を浴びてきたサウスポー・菊池投手。2019年にアメリカ・メジャーリーグに活躍の場を移すと、5年目の23...
2025.02.28
2025年2月24日~28日の放送内容
【プロ野球 遠井吾郎選手】 今年で球団創立90周年を迎えた阪神タイガース。遠井選手は1950年代~70年代にかけて、阪神ひと筋で20年間プレーした名物選手です。ぽっち...