スポーツ伝説

2024.05.31

2024年5月27日~5月31日の放送内容

【バドミントン 奈良岡功大選手】
 少年時代から注目を集め、全国大会の男子シングルスでさまざまな“史上初”や“最年少記録”を打ち立ててきた奈良岡選手。5歳の時、元選手の父・浩さんが監督を務めていた地元・青森のクラブで初めてラケットを握ると、2014年、中学1年生にして全日本選手権に初出場。初戦で19歳の社会人選手を破ります。この大会で中学生の男子が勝ったのは史上初の快挙。もちろん最年少記録でした。高校2年生だった18年には、ユースオリンピックで銅メダル。世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得と、世界の舞台でも結果を残していきます。 目標にしていた21年の東京オリンピック出場こそ叶いませんでしたが、翌22年には格付けの高い国際大会を転戦する日本A代表に昇格。パリオリンピックを目指すことになりました。
 奈良岡選手の得意技は、通称・奈良岡クロス。少年時代からしゃもじで鍛えてきた手首の強さと柔らかさを生かし、シャトルが地面に落ちるギリギリまでコースを見極め、相手が対応できない所へ打つというオリジナルのクロスショットです。この奈良岡クロスを武器に、23年の世界選手権では強敵を次々破って決勝進出の快進撃を演じます。決勝戦は、18年の世界ジュニア決勝で敗れた因縁の相手。フルゲームの大熱戦の末に敗れて銀メダルとなりましたが、世界選手権の男子シングルスで日本の選手が表彰台に立ったのは史上2人目の快挙でした。この世界選手権の3ヶ月後には、中国マスターズ・シングルスでワールドツアー初優勝。世界ランキングも最高2位まで駆け上がり、パリオリンピックでは日本男子バドミントン史上初のメダルを狙います。

  
 
【バドミントン 志田千陽選手・松山奈未選手ペア】
 “シダマツペア”こと、バドミントン女子ダブルスの志田選手と松山選手。2人が初めてペアを組んだのは、10年前の2014年です。高校生だった2人はジュニアナショナルチームで出会い、翌15年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。将来を期待されていましたが、東京オリンピックでは2つの代表枠には届かず。日本勢3番手で涙を飲みました。そんな2人にとって転機となったのは、21年東京オリンピック直後の10月、志田選手のケガでした。志田選手の休養中、松山選手はリオ・オリンピックの金メダリスト・松友美佐紀選手とペアを組んで国際大会に出場する機会を得ます。シダマツペアでは松山選手が前衛を務めますが、松友選手も前衛のスペシャリスト。そこで松山選手が後衛に回って試合に臨んだところ、後衛でもカバー力を発揮するなど、潜在能力の高さと新たな発見を手に入れることができたのです。1か月ほどで志田選手が復帰すると、シダマツペアは3つの国際大会で決勝に進み、そのうち2大会で優勝。この年の世界上位8組の選手で争うワールドツアーファイナルズでも、見事準優勝という結果を納めました。
 新生シダマツペアが真価を発揮したのが、ワールドツアーの中でも特に格式の高いビッグタイトル、22年3月の全英オープンです。前衛後衛を変幻自在に入れ替える新フォーメーションを武器に連戦連勝。準々決勝では、東京オリンピックの銅メダリストで、これまで3戦全敗と苦手にしていた韓国のペアをストレートで下し、勢いそのまま優勝を飾りました。戦術でも関係性でもたくましく成長した2人は、その後の選考レースでも安定した力を発揮。今年に入ってからはフランスオープンと全英オープン、ふたつの大きな大会で連続準優勝という成績を残しました。特にフランスオープンでは、オリンピック本番の会場で世界ランキング1位の中国ペアと決勝戦で互角の戦いを演じるなど、貴重な経験を積んだシダマツペア。目指すはもちろん、オリンピックでのメダルです。

     
 
【バドミントン 保木卓朗選手・小林優吾選手ペア】
 日本のバドミントン男子ダブルスを牽引する、保木選手と小林選手の“ホキコバペア”。共に28歳の2人が初めてペアを組んだのは、中学生の時でした。高校ではインターハイで優勝し、卒業後も同じ社会人チームに入ってペアを継続。前衛の保木選手がネットプレーで相手を翻弄し、後衛の小林選手が日本一速いと言われるスマッシュを決める。超攻撃的なバドミントンが、ホキコバペアのプレースタイルです。その持ち味を武器に、2019年の世界選手権では銀メダルを獲得して話題となりました。しかし当時のホキコバペアは好不調の波が激しく、日本勢の3番手止まりで東京オリンピックの出場は叶わず。2人は弱点の強化に取り組み、その成果は21年のワールドツアーですぐに発揮されました。
 技術的にも精神的にもたくましくなったホキコバペアは、21年10月、最もグレードが高いデンマークオープンで東京オリンピックの金メダリストを倒すなどしてワールドツアー初優勝。さらに、この年のツアー上位者で争うワールドツアーファイナルズと世界選手権、2つのビッグタイトルを制覇。男子ダブルスで両タイトルを手にしたのは、日本勢初の快挙でした。翌22年には、日本の男子ダブルスで初めて世界ランキング1位に上り詰め、国際大会で上位の成績をキープしてパリオリンピック出場を決めたホキコバペア。パリではもちろん、金メダルを目指します。

 
【7人制ラグビー 林大成選手】
 7人制ラグビー・男子日本代表のキャプテンを務める林選手。ラグビーの名門・東海大仰星高校から、東海大学ではキャプテンとして活躍し、大学卒業後の2015年、トップリーグのキヤノンイーグルスに加入しました。学生時代から日本代表になるのがの夢だった林選手。当時、日本ではあまり知られていなかった7人制ラグビーの日本代表に選ばれます。16年のリオオリンピックから7人制ラグビーが正式種目に採用されると、林選手は次の東京オリンピックで金メダルを目指すと決意。トップリーグの15人制ラグビーと、7人制ラグビーを掛け持ちするのは性に合わないと、18年に所属チームのキヤノンを退団。日本で唯一「所属チームを持たない7人制ラグビー専門の選手」となりました。ところが、目標にしていた東京オリンピックでは日本代表から落選。一時は失意のどん底に沈みましたが、ファンの励ましの声で立ち上がり、パリを目指そうと決意したのです。
 林選手が競技を7人制1本に絞ってから6年、昨年11月に行われたアジア地区予選は、林選手の地元・大阪で行われました。優勝チームにパリへの切符が与えられるこの大会で、日本は準決勝でアラブ首長国連邦を下し、決勝は香港と対戦します。この試合、日本は序盤に先制トライを許し、前半を7対14とリードされて終えます。後半も得点が奪えず苦しい展開でしたが、キャプテンの林選手曰く、ここで生きたのが「負けた試合での経験」でした。負け試合を通じて、何がチームに足りなかったのかをみんなでしっかり自覚して、足りない部分を補うトレーニングを積んできた日本。後半6分に、トライとコンバージョンキックで同点に追い付くと、試合終了間際に丸尾崇真選手が劇的なトライを決めて、日本は21対14で逆転勝ち。パリへの切符をつかみました。林選手は初のオリンピックをラグビー人生の集大成と位置付け、メダル獲得を目指します。

 

【7人制ラグビー 中村知春選手】
 中村選手は7人制ラグビーの女子日本代表、通称「サクラセブンズ」の精神的柱。小学校から大学までバスケットボールに打ち込んでいましたが、ラグビーを始めてからわずか1年で女子7人制の日本代表に選ばれました。フィールドを縦横無尽に動くスタミナやスピードが求められる7人制ラグビー。中村選手はバスケットボールで培った豊富な運動能力と、パスの出し所を瞬時に判断する空間把握能力を買われ、2012年には日本代表のキャプテンに就任しました。7人制ラグビーが正式種目になった16年のリオオリンピックでは日本代表として出場しますが、結果は1勝4敗の10位。21年の東京オリンピックでは代表落ちを経験し、悔し涙を流しました。
 最下位に終わった東京オリンピックからチームを立て直すため、日本代表に復帰した中村選手。昨年11月、パリオリンピック出場が懸かるアジア地区予選に出場した女子日本代表は、決勝に進出。相手は、アジア競技大会で1点差に敗れた最強のライバル・中国でした。日本は中国に先制を許しましたが、すぐに反撃。計3つのトライを決めて21対14で快勝し、パリ行きの切符をつかみました。世界を転戦するワールドシリーズのシンガポール大会でも、サクラセブンズは今シーズン最高の6位に入り、ベストセブンに選ばれた中村選手。プレーヤーとして、精神的柱として、パリにラグビー人生のすべてをぶつけます。

 

来週のスポーツ伝説は……

6/3(月) サッカー 細谷真大選手
6/4(火) サッカー 小久保ブライアン選手  
6/5(水) サッカー 山田楓喜選手
6/6(木) 大相撲  曙太郎関
6/7(金) スキージャンプ 笠谷幸生選手

お楽しみに!!

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    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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