スポーツ伝説

2023.08.25

2023年8月21日~25日の放送内容

【バスケットボール 馬場雄大選手】
 NBAで活躍する渡邊雄太選手に注目が集まるバスケットボール日本代表ですが、海外組は他にもいます。NBA入りを目指して2019年から海外挑戦を続ける馬場選手もその1人です。大学在学中にBリーグのアルバルク東京に加入した馬場選手は、2017-18シーズン、新人ながらチームの初優勝に貢献し、新人賞も受賞します。2年目は連覇を目指すエースとしてチームを牽引し、チャンピオンシップファイナルに進出。天皇杯との2冠を目指す強豪・千葉ジェッツと、Bリーグ王者決定戦にふさわしい熱戦を繰り広げます。その大一番で馬場選手は、持ち味である跳躍力と豊富な運動量を生かして、長身の外国人センターを上回るチーム最多の12リバウンド。攻撃でも勝負どころでしっかりシュートを決め、12得点。大車輪の活躍でリーグ連覇の立役者となった馬場選手は、チャンピオンシップMVPを獲得しました。
 その後、馬場選手は長年の目標だった海外挑戦に踏みだし、NBAの下部組織やオーストラリアのチームで経験を重ねてきました。もともと、ゴール下にドリブルで切り込む「ドライブ」が馬場選手の得意技ですが、究極の目標であるNBA入りのため、スリーポイントシュートを改善。その努力の成果が実り、NBAの下部組織でプレーした2022-23年シーズンはスリーポイント成功率が40%の大台に到達し、平均得点も2ケタに乗るなど着実にステップアップしています。シーズンを終えて4月に帰国してからは、日本代表のトム・ホーバス ヘッドコーチとマンツーマンで練習を重ねるなど、さらなる改良に努めました。世界の高みを目指して進化し続けるその姿勢は、日本代表の大きな武器になるはずです。

 

【バスケットボール 比江島慎選手】
 今週から開催されるバスケットボールのワールドカップに向け招集された15人の日本代表・最終候補の中で最年長なのが、33歳の比江島選手です。のちに代名詞となる”比江島ステップ”は小学生の頃にマスターしました。ボールをもらうと横に回ると見せかけて逆方向にターン。シュートを打つと見せかけ、相手が跳ぶとドリブルで抜く。この比江島ステップの切れ味はプロでも通用し、シーホース三河でプレーしていた2017-18シーズンにはBリーグMVPを受賞します。現在プレーする宇都宮ブレックスでも主力として活躍し、2021-22シーズンにはファイナルの舞台で得点を量産。特に勝負どころの最終クォーターでは、ベテランエースらしい勝負強さで勝利をもたらし、悲願の年間優勝を達成しました。チャンピオンシップ6試合を通して平均18.7得点、リバウンドやアシストでも安定感のある数字を残し、チャンピオンシップMVPにも選出されたのです。
 比江島選手の魅力を語る上で、世界の舞台で長年に渡って活躍してきた点も見逃せません。19年のワールドカップでは5戦全敗と世界の壁の高さを痛感しましたが、その悔しい経験を武器に、改めて日本代表の中心選手としてチームを牽引。2年前、東京オリンピックの直前に対戦した、前回のワールドカップ3位の強豪・フランスとの試合では、八村塁選手・渡邊雄太選手というNBAで活躍する2大エースに続く15得点を決め、大金星の立役者に。東京オリンピック本番では結果的に3戦全敗と勝利を挙げることはできませんでしたが、かつてのようになす術なく敗れ去ったのとは違う、確かな手応えをつかみました。

      
【バスケットボール 富永啓生選手】
 日本バスケットボール界・期待のシューター・富永選手。その名が世にとどろいたのは2018年、高校3年生の時に出場した全国大会ウインターカップです。愛知の強豪・桜丘高校のエースとして出場した富永選手は、3回戦で優勝候補の第1シード校を破る原動力となり、優勝にこそ届きませんでしたが、3位決定戦で46得点を挙げてチームにメダルをもたらしたのです。このウインターカップで、富永選手は1試合平均39.8点を挙げ、大会得点王に輝きました。21年には3人制バスケットボールの日本代表として、東京オリンピックに出場。準々決勝で敗退しますが、富永選手の決定力は世界で通用すると証明した大会になりました。
 富永選手は高校卒業後、もうひとつの目標であるNBA選手になるため、アメリカ留学を選びます。レンジャー・カレッジを経て、21年秋から名門ネブラスカ大学に編入。1年目は平均5.7得点、スリーポイント成功率33%と、スリーポイントを武器にする富永選手にとっては決して満足のいく数字を残すことができませんでした。しかし昨シーズンは試合を重ねるごとにチームメイトとの連携を深めてスタメン出場の機会を増やすと、今年2月5日の試合では30得点の大爆発。ここから5試合連続で20点以上をマークし、シーズン全体でも平均13.1得点と前年から大きく成績を伸ばします。スリーポイント成功率も40%に乗せ、本来の得点力を開花させたのです。

 

【車いすテニス  小田凱人選手】
 車いすテニス界期待の若きエース、弱冠17歳の小田選手。9歳の時、左股関節に骨肉腫を発症して車いす生活になります。闘病中、小田選手の人生を大きく変えたのが、車いすテニスの第一人者・国枝慎吾選手でした。入院中に12年のロンドンパラリンピック・男子シングルス決勝を戦う国枝選手の映像を観て刺激を受け、10歳で車いすテニスを始めると、たちまち才能が開花します。競技を始めた時から、目標は国枝選手のように「4大大会の優勝」と、「世界ランキング1位」でした。必ず叶うと信じてトレーニングに励んだ小田選手は21年、史上最年少の14歳11カ月でジュニア世界ランク1位に輝くと、昨年4月に15歳でプロ転向を宣言し、4大大会挑戦を始めます。今年1月、全豪オープン出場のためオーストラリアに発とうとした時、小田選手は尊敬する国枝選手から電話で引退の意思を伝えられます。「これからの車いすテニスを引っ張ってくれ」という国枝選手の言葉を胸に、小田選手は全豪オープンで準優勝を果たしました。
 4大大会制覇にあと一歩に迫った小田選手。6月の全仏オープンを前に、クレーコートで戦うノウハウを教わろうと、国枝さんに頼み込んで練習パートナーを務めてもらいました。その成果もあって決勝に勝ち進んだ小田選手は、世界ランキング1位、イギリスのアルフィー・ヒューエット選手をストレートで撃破。17歳33日での4大大会優勝は、男子シングルスで史上最年少の快挙でした。小田選手は翌7月のウィンブルドンでも決勝でヒューエット選手をストレートで下し、4大大会連続制覇の偉業を達成。もはや名実ともに国枝選手の後継者です。

 

【車いすラグビー 日本代表】
 今年の6月末から東京体育館で開催された、車いすラグビーのアジア・オセアニア チャンピオンシップ。日本・韓国・オーストラリア・ニュージーランドの4ヵ国が出場し、優勝チームが来年行われるパリ・パラリンピックへの出場権を獲得できるという重要な大会でした。世界一を目指すためにもいち早く出場を決めておきたい日本にとって、最大のライバルはオーストラリアです。リオでは準決勝で敗れ、東京では3位決定戦で相まみえた宿敵を倒し、パリ行きの切符をつかむことが至上命題でした。そしてこの大会にはもう一つ、日本には勝たなければならない理由がありました。2017年から日本代表の指揮をとった世界的名将ケビン・オアー監督が、体力面の理由からこの大会を最後に勇退することが決まっていたからです。
 自身も障害を持つオアー監督は、日本代表監督に就任して以来、自宅があるアメリカと日本を車いすで往復。自分とチームの力を信じようという信念を込め、「ビリーブ」を合言葉に18年には初の世界選手権制覇を果たしました。今回出場した代表12人は、ダブルエースの池透暢選手、池崎大輔選手をはじめ、東京パラリンピックと同じメンバー。監督に報いるためにも、絶対に優勝すると選手たちは心に誓いました。オアー監督が重視したのは、選手同士のコミュニケーションです。選手交代が何回でも可能で、コート上の4人が何度も入れ替わる車いすラグビー。東京パラリンピックから2年が経ち、選手同士のコミュニケーションがより密になった結果、コート上の4人の組み合わせは倍以上に増えました。多彩な攻撃パターンが可能になり、12人全員で戦える集団になった日本代表は決勝でオーストラリアに快勝。7戦全勝の圧倒的な強さでパリ行きを決め、名将の勇退に花を添えました。

  
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!

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    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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