スポーツ伝説

2023.01.20

2023年1月16日~20日の放送内容

【サッカー日本代表 浅野拓磨選手】

 昨年11月に開幕した、サッカーワールドカップ・カタール大会。日本の初戦の相手は、過去4度の優勝経験があるドイツでした。日本は前半、ドイツに先制点を許しますが、後半に切り札として投入された選手たちが躍動します。その一人が、浅野選手です。ピッチに立つ瞬間、浅野選手は森保一監督から、こんな指示を受けました。「途中から出る選手が決めてやれ、チームのために全力で走ってやれ」その言葉通り全力疾走を見せた浅野選手。堂安律選手が同点ゴールを決めた直後の後半38分、今度は浅野選手に見せ場がやって来ます。右サイドで板倉滉選手がフリーキックを蹴ろうとボールを置いた瞬間、前線にいた浅野選手は、パスが来ると直感。自慢のスピードと絶妙なトラップで右サイドを抜け出すと、角度がほとんどない状況からゴール隅へシュート。これが見事に決まり、日本は逆転でドイツを撃破しました。
 前回のロシア大会では最終登録メンバー入りを逃し、トレーニングメンバーとしてチームに帯同した浅野選手。次のカタール大会出場を目標に掲げ、4年間を過ごしてきました。しかしワールドカップ開幕のおよそ2カ月前、右ヒザのじん帯を負傷するアクシデントに見舞われます。2ヵ月間、懸命のリハビリを続けた結果、本番では無事に代表入りを果たしました。この時、同じタイミングで負傷し、同じ施設でリハビリに励んだのが板倉選手でした。2ヵ月間毎日顔を合わせ、励まし合ってきたからこそ意思疎通が深くできるようになったと言う浅野選手。ドイツ戦での決勝ゴールは、そんな2人のホットラインから生み出されたのです。
  

   
【サッカー日本代表 三笘薫選手】

 サッカーワールドカップ・アジア最終予選突破を決めた試合で2ゴールを挙げるなど“日本の切り札”と呼ばれてきた三笘選手。三笘にばかり頼って、チームとしての戦術が足りないのではないかという意見に対し、森保一監督は「彼自体が戦術です」と反論。ここから「戦術・三笘」という言葉が生まれました。その言葉通り三笘選手は、ワールドカップ本番で抜群の存在感を示しました。まずはグループリーグ初戦のドイツ戦、1点をリードされた日本は、後半12分に三笘選手を投入。すると前半は防戦一方だった日本にチャンスが生まれます。後半30分、三笘選手が左サイドでドリブルを仕掛け相手2人を引きつけると、南野拓実選手へ絶妙なスルーパスを通します。それが堂安律選手の同点ゴールにつながりました。勢いに乗った日本はその後、浅野拓磨選手が決勝ゴールを決め、優勝経験国を破るという歴史的な1勝を掴んだのです。
 決勝トーナメント進出を懸けたグループリーグ最終戦、スペインとの大一番では、1対1の同点で迎えた後半6分、三苫選手は堂安選手からの右クロスに走り込み、目一杯足を伸ばして折り返します。ゴール前にいた田中碧選手がこれを押し込み、日本は逆転に成功しました。この時、ボールの接地面はラインから出ていましたが、ルールでは地面に接していないボールの上部がラインに1ミリでも掛かっていればプレー続行となります。ビデオ・アシスタント・レフェリーによる検証の後、三笘選手の折り返しは有効と判定され、田中選手のゴールも認められました。このゴールが決勝点となって日本は優勝候補のスペインを撃破し、決勝トーナメント進出を決めたのです。このプレーは「三笘の1ミリ」と呼ばれ、三笘選手の世界的評価を高めることにもなりました。

  
       
【サッカー日本代表 田中碧選手】

 昨年のサッカーワールドカップ・カタール大会。グループリーグの最終戦で、日本は決勝トーナメント進出を懸けて、優勝候補のスペインと対戦しました。この試合に特別な意味を感じていたのが田中選手です。2021年に開催された東京オリンピックの準決勝で、田中選手はオリンピック代表のメンバーとしてスペインと対戦。勝てばメダルが確定でしたが延長戦の末に敗れ、最終的に日本はメダルも逃しました。そのリベンジをしたい、というのが一つ。もう一つは、ドイツリーグに移籍してから生活面をサポートしてくれた母親に感謝を示すためでした。ワールドカップ期間中、会場に足を運んでいた母親に、少しでも長く試合を見てほしいと願っていた田中選手。そのためにもグループリーグを突破したい、と必勝を誓ってスペイン戦のピッチに立ちました。試合は、同点で迎えた後半6分、三笘薫選手の左からの折り返しをゴール前にいた田中選手が押し込み、日本は勝利。決勝ゴールを決めた田中選手は“マン・オブ・ザ・マッチ”に選ばれ、スペインへのリベンジとともに最高の親孝行を果たしました。
 スペイン戦で勝利のホイッスルが鳴った後、田中選手は絶好のアシストを送ってくれた三笘選手と抱き合いました。学年は田中選手がひとつ下ですが、二人は小学生の頃から神奈川県川崎市の同じサッカークラブに所属していた幼なじみ同士。その後は、Jリーグ・川崎フロンターレのユースチームでプレーしてきた盟友でもあるのです。そんな二人だからこそ、奇跡的につながったパスであり、決勝ゴールでした。
  

【サッカー日本代表 堂安律選手】

 昨年のサッカーワールドカップ・カタール大会。日本はグループリーグで優勝候補のドイツ・スペインと同じ組になり、突破は厳しいとみられていました。その強敵相手の2試合でいずれもゴールを決めたのが、ワールドカップ初出場の堂安選手です。チーム内でも人一倍気持ちが強くビッグマウスでも知られる堂安選手は、大会前から「目標は優勝」と豪語。まず初戦のドイツ戦は、1点リードされた後半途中に切り札として投入されます。ピッチに入ってわずか4分後の後半30分、南野拓実選手が放ったシュートは、キーパーに弾かれましたが、ゴール前に詰めていた堂安選手が“黄金の左足”で同点ゴールを叩き込みました。これで反撃のノロシを上げた日本はその8分後、浅野拓磨選手が決勝ゴールを決めてドイツに逆転勝ち。試合後、堂安選手はこうコメントしました。「俺が決める!という気持ちで入った。俺しかいないと思っていた」
 ドイツに勝った後、コスタリカに敗れ、迎えたグループリーグ最後の試合スペイン戦。勝てば決勝トーナメント進出、負ければ敗退が決まる大一番です。ドイツ戦と同様、前半に1点を失った日本は、森保一監督が後半開始から堂安選手を投入。ドイツ戦の勝利を奇跡でなく必然だったと思わせたいと宣言していた堂安選手は、またしてもすぐに仕事をしてみせます。右サイドで浮き球を巧みに拾い、目の前にスペースができているのを見ると、すかさず左足を振り抜きました。堂安選手のシュートは、相手ゴールキーパーの腕を弾き飛ばし同点ゴールに。その3分後の後半6分、堂安選手は再び右サイドでボールを受けると、ゴール前に右クロスを送ります。それを三笘薫選手がラインギリギリで折り返し、田中碧選手が決勝ゴール。堂安選手の活躍で日本は再び逆転勝ちし、決勝トーナメント進出を決めたのです。

  
【サッカー日本代表 吉田麻也選手】

 昨年のサッカーワールドカップ・カタール大会で日本代表のキャプテンを務めた吉田選手。ワールドカップには、3大会連続の出場で、センターバックとして守備の要を担うとともに、キャプテンとしてチームをまとめました。グループリーグ初戦は優勝候補のドイツ。キックオフ直前のコイントスでドイツ側がコートかボールを選ぶ権利を得た瞬間、食い気味にボールと言ったのを聞いて、吉田選手は何かたくらんでるなと察知。試合直前の円陣で「相手は裏をかいたプレーをやってくるぞ」と声を掛けます。その読み通り、ドイツはキックオフ直後、後ろに蹴ると見せかけて前線にロングパスを放り込んできました。しかし吉田選手の声掛けのお陰で、日本は慌てることなくこれをクリア。最初から試合を相手のペースにしなかったことが、後半の逆転劇に繋がったのです。
 コスタリカ戦に敗れ、負けたらグループリーグ敗退が決まる3戦目の相手は、優勝候補のスペイン。日本は前半11分に先制点を許し、その後もボールを支配される苦しい展開が続きます。しかし吉田選手はチームを鼓舞し続け、スペインの攻撃に懸命に立ちはだかりました。この粘りが実り、日本は後半3分と6分、連続ゴールを決めて逆転します。終盤、日本の大ピンチは後半44分。スペインのシュートをゴールキーパー・権田修一選手がはじき、そこに相手が詰めてきたところを吉田選手が間一髪、左足を延ばしてクリア。この窮地を脱した日本は、みごと決勝トーナメント進出を決めたのです。2度の奇跡を演出したのは、試合では体を張り、言葉でもメンバーを鼓舞。日本代表を一つにした吉田選手の存在があったからでした。

 

来週のスポーツ伝説は……

1/23(月) プロ野球 野村勇選手
1/24(火) プロ野球 大関友久投手
1/25(水) プロ野球 上川畑大悟選手
1/26(木) プロ野球 木澤尚文投手
1/27(金) プロ野球 長岡秀樹選手

お楽しみに!!

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    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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