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2025.08.15

大ヒット映画『国宝』監督、李相日さんに聞く、監督がシーンや作品に込めた思い。

映画監督の李相日さんが登場。

李監督が手掛けた公開中の大ヒット映画『国宝』について、

撮影時のエピソード、監督がシーンや作品に込めた思いなどを伺いながら、

映画『国宝』の魅力をたっぷりと伺いました。

 

©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025 映画「国宝」製作委員会

 

『国宝』 全国東宝系にて公開中 公式サイトは、コチラ

 

 

映画『国宝』① ~歌舞伎の世界で生きる人々を描く

映画『国宝』は吉田修一氏の小説を映画化。

主人公の喜久雄が少年時代に歌舞伎の世界に入り、

そこで出会った俊介という御曹司と切磋琢磨していきながら、

その特殊な世界の中で頂点を目指していく。

芸にとらわれた、芸に生きる人たちの生きざまを描いた作品。

主演の吉沢亮さんは踊りの稽古を撮影クランクイン前に

1年3~4か月、そして撮影の合間にも稽古を続け、

トータルで1年半稽古をやっていた。

1年半で、子供の頃からやってらっしゃる歌舞伎役者の方と

肩を並べるというのは、そう簡単なことではないし、

ある程度絞って、瞬間瞬間、例えば「二人道成寺」にしても、

実際は、1時間以上ある演目なので、その中でどうしても見せたい部分

どうしても表現したいところをなるべく抽出して、厳選して、

彼らが集中できるように筋立てていく。

彼らが摺り足からの稽古をする中、自分はその日本舞踊の指導の方に、

ただそう見えるというだけではなくて、精神性含めて、

どうすれば歌舞伎に生きる人を彼らがつかめるかということを、

相談しながらやっていた。

元々10数年前に歌舞伎を題材にしたいと思っていてところに

吉田修一氏が歌舞伎の話を書かれたというところで始まった。

並べればきりがないほどのハードルあり、

自分ひとりの力でどうこうできることでもなく、

やはりこの世界観をきちんと作って、

キャラクターを生み出していただいたので飛び立てた。

 

 

 

映画『国宝』② ~歌舞伎を映画化する

映画『国宝』は映画館で体感してほしい映画。

歌舞伎を映像化したいのではなく、

映画化したいという思いがあった。

吉田修一さんの書かれた原作は非常にボリュームがあって、

いろいろ他にも映画に出てこないキャラクターの人生や裏話が

たくさんエピソードとしてある。

それを忠実に映像化すると、やはり今で言う配信ドラマとか、

全8話とか、そういう形が適している。

しかし、ストーリーを見せると同時に、

舞台での生きざまを見せたいと考えた時に、

やはりこれはどうしてもスクリーンで見せるべきというか、

見せたいという思いで、それに合わせてできる

最大限3時間という約束をなんとかプロデューサーと先に取り付け、

その3時間という時間の中で、

どうやってあれだけのボリュームの情報量を集約していくか

というところから出発した。

 

映画『国宝』 ③  ~脚本づくり~

歌舞伎の演目は意外と死にまつわる演目が多く、

極端なことを言うと、毎回幕が降りるたびに死んでは、

また幕が上がって生き返って、ということを

人生の中でずっと繰り返してるような気もしている。

生と死というのが、日常の中に組み込まれている生き方というか

それをどうにか映画という媒体でイメージとして、

メタファーとして表現できないかなと思っていた。

それが雪という存在。そこには無だし、死というものも入っている。

そして赤。紅の赤もあるが血っていうものに象徴される生。

そういった生と死っていうものが、ビジュアルの中で

どう共存できるかということを探っていた。

脚本作りについては、とにかく情報量が多いので

まずは骨格になる重要なシーンを1つ、2つ、3つ、

きちっと骨組みを作りながら、

でも、素晴らしいエピソードがたくさんあるので、

どうしてもこれも欲しい、あれも欲しいとなり、

やはり出あしはダイジェストっぽくなってしまう。

どうしても駆け足でいろんなことを見せて、

じゃあ何が残るのっていうことになりがち。

ここから1回それを捨てて、大事なものは何かっていうことで、

とにかく喜久雄という人間が見た風景、

見たいと思ってるものは何なのかっていうこと、

それをたどる旅というか、筋にしましょうというところから、

本筋がはっきりしていった。

脚本づくりにはトータルで数年かかっている。

撮影期間は3か月。

 

 

映画監督の道へ

映画監督になったのは、

別に取り立ててものすごい出来事や出会いがあった

ということではなくて、ふらふらっと・・・。

子供の頃の夢は特にないが、

小説であったりとか、何か作ることに気がいってたとは思う。

映画監督ってものすごい特殊な能力を持った人がやる職業

というイメージがあったので、なろうともなりたいとも思ったことがない。

今回の『国宝』の小説の中に「女形というのは、

男が女を真似るのではなくて、男が一旦女に化けて、

その女をも脱ぎ去った後に残る形である。」とある。

自分はどちらかというと、そのさまに匂い、

あるいは何か、これぞ女形なんだ、という、

その輪郭が見えるかどうかを目を凝らして待つ。

それが自分のできることだった。

舞台上の演目の中で、主人公の感情が見えてくるということが、

この作品でしかできない、醍醐味なのかもしれない。

 

 

映画界を目指すクリエイターへ

歌舞伎の世界は芸をずっと伝えて伝授していくという凄い世界。

血筋があるということが一見有利に作用しているようにも見えるが、

考えようによっては、それはそれですごく過酷なこと。

受け継がなければいけないし、

多分間違いなくずっと比較され続ける。

その比較を浴びながら、自分の定めを全うしなければいけない、

ということの辛さみたいなものも、映画の中でも描いている。

その対照的な、血筋がある人物とない人物2人を描いている。

これから映画界を目指す若きクリエイターへのアドバイスとしては、

誰に頼まれてやるわけじゃない。

逆に言うと、いつ辞めてもいいと言われてもおかしくない。

好きしかない。

のめり込める強さが最も才能を勝ると信じている。

それこそが、もしかしたら才能かもしれないので。

のめり込めるかどうかだと思う。

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