ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回

2024.02.03

2月3日 放送後記

今週のアッコさん。

 

今週は北斗晶さん佐々木健介さんご夫妻が7年2ヶ月ぶりに3回目の出演(=^・^=)

アッコさんはお二人のことを「人がいい小太りのおばちゃん」と「人がいい小太りのおじちゃん」と表現し、

また「見てるだけでほっこりする」と、おっしゃっていましたが、

スタジオで会うと「笑顔がいいんだよね~」とお二人の印象を語っていました(=^・^=)

健介さんは「僕たちは顔が似てるんですよね」とおっしゃってました!(^^)!

 

北斗さんはこう見えて怖がりなんだそうで、

北斗さんの眼瞼下垂の手術の際には健介さんはついていってあげたそうです。

 

昨年、お孫さんが生まれたそうで、デレデレのお二人。

仕事を頑張る理由は、「お孫さんに会いたいから」だそうです!

(今は日本にいるそうですが)カナダに行くのはお金がかかるけど、孫に会えるためなら頑張れると話していました。

また、お孫さんがカナダに帰るときは寂しくなるので、

ベビーベッドなどを「泣いてしまうから片づけてから帰ってくれ」と言っているんだそうです。

「片づけるという作業が耐えられない」と明かしていました(*_*;

 

息子さんの奥さんである凛さんの出産のお話。

奥さんは英語ができなく、またカナダでの出産から24時間で退院しなければいけないという心配からおばあちゃん休暇”おば休”を取得されたそうです。

生まれすぐの赤ちゃんをチャイルドシートに乗せることが怖かったそうです。

北斗さん・健介さんは、息子さんご自宅の近くにアパートを借りて、いつ来てもいいようにご飯の準備をしてあげて待っていたそうです。

息子さんのマンションはワンルームだったそうで、気を使わないようにそのような配慮をされたそうで、

アッコさんは「ほんとにプロレスラーだったの??」

と、お二人の優しさに驚いていました!(^^)!

 

2011年2月、小学6年生だった健之介さん、小学2年生だった誠之介さんが、歌手デビューされた時の曲

『すてきなパパ』をかけさせていただきました。

今は声変わりして、すっかり違う声になっていても、今もこの曲をスマホに入れて聞いているんだそうです。

曲を聞いてあの頃を思い出すとおっしゃっていました健介さん。

かわいい息子さんたちの声が聴きたくて

上手に歌えているのに「もう一回練習してみようか」と言っていたんだそうですよ。

 

北斗さんは、はじめてアッコさんに会ったのは、女性芸能人だけが出演するクイズ番組だったそうで、

”レスラーとしての先輩”とは思わずに(笑)、テレビでよく観るアッコさんにビビりながらも丁寧に挨拶すると

「よろしくね~」と気さくに話しかけてくれたそうです。

 

アッコさんが出演されたTBSドラマ『輝きたいの』を北斗さんもご覧になっていたそうです。

アッコさんのコーチ役のモデルとなったのは柳みゆきサンという方で、

その方が、北斗晶さんをオーディションで選んでくださったんだそうで、とてもご縁を感じると北斗さんは話されていました。

 

北斗さんはメイクをしてヒールレスラーとして活躍されていましたが、

北斗さんは、メイクを何にもしないで「嫌われるのはすごい」と尊敬されているそうです。

北斗さんは汗をかいてメイクが落ちると優しい顔がバレてしまうので、

「早く片付けないと!」と焦っていたんだそうです。

 

北斗さんはのひいおばあちゃんがプロレスファンで、家ではテレビはよくプロレスがやっていたそうです、

また、高校で一番仲良くなったお友達がプロレスファンだったそうで、

そのお友達に誘われて休みの日に、新日本プロレスの道場に見学に行くと、レスラーの方に

「いい体してるね、レスラーになったら?」

と勧められた北斗さん。

当時、体育の教師になろうと思っていた北斗さんは悩みながら帰宅すると

テレビに、今年デビューしたレスラーの方が放送されていて

それを見た北斗さんは「私のほうが強い」と感じてレスラーになろうと決意したんだそうです!

しかし、そんな甘い世界ではなく

オーディションで3500人から10人に選ばれた北斗さんですが、

自分のほうが強いと感じた先輩たちの強さに驚いたそうです。

 

健介さんは、北斗さんと同期(昭和60年)で、

高校卒業後、進路に悩んでいた健介さんはテレビをつけると、長州力さんと藤波辰爾さんとの試合を見て、レスラーになると決意。

それから自主的に体作りをして体重を86キロから98キロまで増やして入門したそうです。

健介さんは自主トレをしてある程度自信をつけてレスラーになったはずが、

2ヶ月の厳しいトレーニングの影響であっという間に20キロ痩せしまったんだそうです・・・。

お二人ともプロの厳しさを痛感したとお話しされていました。

 

北斗さんは、猪木さんから北朝鮮で行われる『平和の祭典』に誘われ、参加。

北朝鮮に行かれた方は、女子プロの方は北斗さん含めて4人だったそうです。そこでお二人は出会ったそうです。

当時は男子と女子の間には大きな差があったようで、

健介さんも北斗さんのことをよく知らなかったそうです。

(プロレス雑誌にも北斗さんの記事は扱われていたが、健介さんは「おっかない人だな」とよく見ないでページをめくっていたそうです)

北朝鮮では打ち上げ会場で、取材で遅れて参加した北斗さん。

そしたら、横に座っていたのが健介さんだったそうです。

女性と話すことは苦手で、口下手だった健介さんはラウンジで、小腹が空いたのでみんなでカップ麺を頼んだ時。

お湯を入れてまだ1分しか経っていないのに、

「これ食べられるかな?」と北斗さんに話しかけると、

「まだじゃないんですか?」冷たく言われてしまったそうです。

これが最初の会話だったそうですが、「撃沈した」と健介さん。

これは、健介さん的には軽い冗談で、「食べられるわけないじゃないですか~」などの返しを期待していたんだそうです(#^^#)

 

健介さんは、なんとこのカップ麺の会話の時、

「この人、俺の嫁さんになるな」と直感で感じたんだそうです!

 

打ち上げで女子プロの皆さんが支払いをする時に、お店の人にすでにホテルに帰っていた健介さんがすでに払ってくれていたことを聞かされ、

翌日、空港で「ごちそうさまでした」と挨拶。日本で打ち上げをする約束をして電話番号を交換。

当時、メキシコと日本を行ったり来たりしていた北斗さんは実家の電話番号を教えたそうです。

後日、健介さんが本当に実家に電話が!

健介さんが聞いてきた質問は

「北斗晶って本名ですか?」だったそうです。

「この人、何言ってんだ?バカなんじゃないの?」と思った北斗さん。

また、年齢を聞かれて北斗さんが「27です、いくつなんですか?」と聞くと「いくつだと思いますか?」と言われたそうです( ´艸`)

「めんどくせー」と北斗さん(笑)

 

さらに健介さんは「ドラえもんの中でグッズは何が欲しいですか?」と質問。

これに、北斗さんはメキシコにも行くからどこでもドアと答えると、健介さんも「僕も」と答えたそうです。

これには「どこでもドアがあればにいつでも会えるね」と健介さんなりのアプローチだったそうです。

 

何度もシーン・・・と静かになりながらも、「一生懸命話してくれていること」に好感を持つ北斗さん。

何度か電話を重ね、新人時代の頃の話などで共感しあって、盛り上がったんだそうです!

いつのまにか、つまんない話をする健介さんからの電話を待っている自分に気づいた

北斗さんは、健介さんからかかってくる電話を枕元に置いて待っていたそうです。

(電話の音が響かないようにタオルをかけていたんだそうです)

 

ちなみにアッコさんは、音が聞こえるように電話を金ダライに入れて電話を待っていたと話されていました(#^.^#)

 

北斗さんが健介さんのセコンドについて支えていた時代があったそうで、

ほぼ毎日試合に出ているうちに東京スポーツさんが

『健介の嫁は鬼の形相!』と書かれるようになり、

『鬼嫁』と呼ばれるようになり、

それから『ココリコミラクルタイプ』に健介さんの後ろから北斗さんが出てくるというドッキリがきっかけで、

仕事が急増したんだそうです!

ペンの力、テレビの力に感謝していると話されていました。

 

また、今後の目標についても

「あたたかいごはんを食べて、二人で一緒にいれること、それだけで十分幸せ。これ以上求めたら罰が当たる」と答えられていました。

 

アッコさんが「10年経ったら手をつないで歩いてるんじゃない?」と話すと、

健介さんは照れくさそうに

「(膝が悪いと言うのもありますが、)今日も手をつないで歩いてきました」と答えていました。

それを聞いたアッコさんは

「あなたたちの優しさには10年経っても勝てない」とおっしゃっていました。

 

アッコさんは、今日来てくださったお二人について

「北斗ちゃんは1言ったら3は返ってくるタイプだけど、健介くんは1言って0になる」と総括されました。

 

どうぞ心穏やかにこの週末をお過ごしください。

それではまた来週~

    パーソナリティ
    • 和田アキ子
      和田アキ子
      和田アキ子

      和田アキ子

      1968年に「星空の孤独」でデビュー。以来、”R&Bの女王”として「どしゃぶりの雨の中で」「笑って許して」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「古い日記」「さあ冒険だ」「HEY!(with m-flow)」「YONA YONA DANCE」など、数々のヒットを飛ばす。その後も、抜きんでた存在感で芸能界の”ゴッド姉ちゃん”としてTV、ラジオ、CMと広いフィールドで活躍。

    アシスタント
    • 垣花正
      垣花正
      垣花正

      垣花正

      1972年1月1日、沖縄県宮古島生まれ。大きな体に大きな態度!?もとい!心やさしい日本男児。以前はヤングタイムの人気&問題児パーソナリティであったが、今や「垣花正 あなたとハッピー」のパーソナリティとして主婦のアイドルに!
      姓名判断&人たらし(?)を特技とする。