2016年5月

  • 2016年05月30日

    米オバマ大統領広島訪問取材報告

     現職のアメリカ大統領として歴史上初めて被爆地・広島を訪問したオバマ大統領。謝罪の言葉はありませんでしたが、世論はおおむね前向きに受け止めたようです。

    『内閣支持率55%に上昇 米大統領広島訪問98%評価 共同通信世論調査』(5月30日 産経新聞)http://goo.gl/l7Garn
    <共同通信社が28、29両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は55・3%で、4月の前回調査48・3%から7・0ポイント上昇した。不支持率は33・0%だった。オバマ米大統領の広島訪問について「よかった」との回答は98・0%に達した。オバマ氏が広島訪問で「謝罪するべきだった」は18・3%。「謝罪する必要はなかった」が74・7%を占めた。>

    『オバマ氏広島訪問「評価」92% 本社世論調査』(5月29日 日本経済新聞)http://goo.gl/1iNEpr
    <世論調査で27日にオバマ米大統領が被爆地、広島を訪れたことについて聞いたところ「評価する」が92%に上り「評価しない」は4%にとどまった。内閣不支持層でも88%が評価しており、米国の現職大統領として初の広島訪問は圧倒的な支持を集める結果となった。>

     私も前日木曜日の夜から広島に入り、当日は朝から平和記念公園周辺を取材しました。昼12時を境に規制線が張られ、公園への入場が禁止されるということで、午前中、慰霊碑前は地元の人や外国人のツアー、修学旅行生たち、それに多数の報道陣でごった返していました。
     地元の方々にお話を伺おうと声を掛けてみると、皆さん被曝2世、3世で、お年寄りの中には被曝された1世も多数いらっしゃいました。原爆投下というのは決してはるか昔ではない。71年という年月は長いとも言えますが、決してはるか昔ではない。
    当たり前のことなんですが、まずはこのことを実感しました。
     0歳の時に被爆したという男性にお話を伺ったんですが、
    「謝罪までは求めない。ここ広島に来ることで、何がしか感じるものがあるはずだから」
    と話してくれました。

     事前に東京でも様々な会見等がありましたが、そこでもオバマ広島訪問について批判的な向きは少なかったように感じます。日本原水爆被害者団体協議会事務局長の田中煕巳氏は日本記者クラブでの会見で、
    「今回のオバマ訪問は歓迎とまでは言わないが、来て資料館に行き、直接被爆者と会って直に感じてほしいとずっと訴えてきた」
    と話し、謝罪については、
    「原爆は何十万人という罪のない人々を一挙に殺した。被爆者の被害は持続している。少なくとも被爆者には謝罪をしてほしい。だが、それを強く求めることで、(オバマ氏の動きを縛り)核兵器廃絶の障害になるのであれば、ぐっとこらえて謝罪は口にしない」
    として、謝罪を求めない意向を示しています。

    『会見リポート 日本原水爆被害者団体協議会事務局長 田中煕巳氏』(日本記者クラブ)http://goo.gl/aCR6Mq

     このように考え方の右左はあまり関係なく、オバマ大統領の広島訪問を暖かく迎えようという雰囲気が市内にはあったように感じました。
     そして行われた金曜夕方の広島訪問。10分という短い滞在ではありましたが、原爆資料館を訪問し、慰霊碑に献花。そして、予想をはるかに上回る17分間にわたる演説を行いました。滞在時間や演説の文言については様々な評価がありますし、新聞などのメディアや個人のブログに至るまでいろいろなところで詳細に検討されていますから、ここでは触れません。ただ、行事の終了直後、オバマ大統領と安倍総理が平和記念公園を離れた直後に何が起こったのかを見れば、当日の広島の雰囲気が分かります。

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    オバマ大統領と安倍総理が手向けた花を写真に収めようと、規制が解除された直後から大行列ができ、それが夜遅くになっても途切れませんでした。反対が多数を占める中での訪問なら、こうはならなかったでしょう。

     翌朝早く、献花が片づけられた慰霊碑にもたくさんの方が集まり、祈りを捧げていました。アメリカ・カリフォルニアから旅行で訪れていたご婦人がつぶやきました。
    「今回のオバマ訪問とあの演説で、日本とアメリカが真の友人になれたと思う。私はそう、信じている」
    この絆は、両国の指導者が代わっても続くでしょうか?11月のアメリカ大統領選本選で、早速問われることになります。
  • 2016年05月23日

    今度は別の風が...

     先週末、どこからともなく強い解散風が吹きました。いよいよサミットを控え、国会も最終盤。様々な憶測が飛び交う中ですが、今度は意外なところから正反対の風が吹きました。

     一地方の首長選挙が東京・永田町の空気に微妙な波紋を投げかけています。それが、和歌山県・御坊市長選挙です。結果からご紹介しますと、現職で無所属の柏木征夫氏が7選を果たしました。しかし、この選挙の核心は勝った柏木氏ではありません。負けた方が問題で、各社それを見出しに取っています。

    『二階氏長男が敗れる 現職7選 和歌山・御坊市長選』(5月22日 朝日新聞)http://goo.gl/7RXW1n
    <和歌山県御坊市長選が22日投開票され、現職で無所属の柏木征夫(いくお)氏(75)が、自民党総務会長の二階俊博氏(77)の長男で元秘書の俊樹氏(51)=無所属、自・公推薦=を破り、現役市長では全国最多の7選を果たした。>

     二階総務会長の長男、俊樹氏が負けたというだけでなく、その負け方も衝撃を与えました。柏木氏9375票に対し、二階氏は5886票にとどまったのです。
     首長選挙は実績をアピールしやすい現職有利とも言われますが、一方で今まで6期24年という多選批判も一定の支持を得やすい中での選挙でした。二階氏は若さと変革をアピールしたんですが、それも及ばなかったわけですね。さらに、永田町を驚かせたのは、この選挙がただの首長選挙ではなく、二階陣営が国政選挙張りの応援体制を敷いたからです。

    <俊樹氏は父親の政界人脈も使った国政並みの組織戦で臨み、千人規模の集会を重ねた。告示前後から自民党の稲田朋美政調会長や森山裕農林水産相、小泉進次郎氏、漆原良夫・公明党中央幹事会長ら国会議員が次々と御坊入り。当初は静観していた父の二階氏も告示後は御坊市に詰めてマイクを握るなど精力的に長男を支援した。>

     市長選は告示からの選挙期間は1週間。たった1週間の間に現職の閣僚や自民・公明両党の幹部、さらに今人気No.1の小泉進次郎氏まで選挙区入り。これだけの顔が選挙区に入れば人もたくさん集まるわけですし、人が集まれば目立たないながらも候補者の顔と名前も覚えてもらえる。となれば勝つことが出来るだろうと考えるのが普通です。負けるにしても、これだけ大差で負けてしまうとは思わないわけですね。

     ある政界関係者はこう分析しています。
    「これだけカンフル剤を打てるだけ打ったのに惨敗というのは、与党への消極的支持が案外脆かったことを示している。選挙区が都道府県単位の参院選に対して、衆院選は市区町村単位に近い。当初の楽勝ムードから一転、非常に苦戦した北海道5区補選と併せて、衆院小選挙区では厳しいという結論になるよね」
    また、与党担当記者は、
    「もともとダブル選挙に消極的な官房長官と、積極的な総理や総務会長で綱引きが行われ続けてきたと言われている。このバランスに微妙に影響を及ぼす可能性がある」
    と指摘しました。
     ダブル選挙に踏み出した時に、衆議院でも議席を減らすようなことがあれば解散のメリットはありません。まして、改憲を目指す現政権はその発議を行うのに必要な議員総数の3分の2獲得を最終的な目標としています。議席を減らすことが分かっているのに解散はなかなか打ちづらいわけですね。

     さて、2つの風が正面からぶつかると、風は四方八方に散らばるそうです。果たして永田町の風はどこへ向かうのか?ダブルかシングル(参院選のみ)か、はたまた都知事選まで絡むのか?会期末まであと10日。読みづらくなってきました。
  • 2016年05月16日

    止まぬ解散風の背景

     通常国会もいよいよ押し迫ってきました。会期は6月1日までとなっていますが、閉会直前の5月26日、27日に伊勢志摩サミットがありますから、実質的には来週末で終了ということになります。ということで、いったいいくつの法律が成立するのか、どの法律が廃案になり、継続審議になるのかが報道されていますが、一方で消えないのが解散風。衆議院の解散は国会の会期中でしかできませんから、会期末が近づくにつれて話題に上るものです。が、今回は総理が再三再四否定しているにも関わらず風は止みません。総理は今日の衆議院予算委員会でも解散を否定しています。

    『安倍首相「解散の『か』の字も考えていない」』(5月16日 産経新聞)http://goo.gl/lWXm5n
    <安倍晋三首相は16日午前の衆院予算委員会で、夏の参院選に合わせて衆院選を行う同日選に関し「解散については、今まで一度も言っていないし、解散の『か』の字も考えていない」と重ねて強調した。>

     今までも国会答弁で解散について何度も否定している安倍総理ですが、永田町の空気を変えるまでには至りません。特に野党幹部からはあからさまな警戒感が表されています。

    『民進 岡田代表 衆参同日選も視野に選挙準備急ぐ』(5月15日 NHK)http://goo.gl/IwPuH3
    <民進党の岡田代表は、来年4月の消費税率の引き上げに関連して、「私は、安倍総理大臣が『消費税の引き上げを先送りする』と言って、衆参同日選挙に打って出る可能性が非常に高いと思っている。同日選挙をしないのであれば、秋に先送りを言って、衆議院を解散する選択もあると思う」と述べました。>

    『衆参ダブル選「あると思う」=野田前首相』(5月14日 時事通信)http://goo.gl/kLbtFK
    <民進党の野田佳彦前首相は14日、神奈川県大和市で開かれた党会合で、「こんな時期に衆院選をやる人は人でなしだが、私はダブル選挙はあると思う」と述べ、安倍晋三首相が衆院を解散し、夏の参院選との同日選挙に持ち込む可能性があるとの認識を強調した。>

     新聞各紙は、読売新聞を除いて1面トップで「ダブル選挙なし」をすでに打っています。ゴールデンウィークが明けてもう解散風は止むのではと思っていたんですが、そうはならなかった。なぜか?

     様々な角度から理由を説明する人がいますが、まずは総理の解散権というものの効力から説き起こす向き。ある与党議員は、
    「解散の効力は2年」
    と言います。
     衆議院議員の任期は4年。ということで2年というのはちょうど任期の折り返し点になります。折り返し点を過ぎればある程度仕事をしたということでいつ解散してもおかしくないと思われます。その分、伝家の宝刀としての解散権は切れ味を落とすことになるわけです。
    「みんな、最初の2年はまさか解散を打つとは思わない。それだけに、解散するぞとなった時のサプライズは凄まじい。これが、2年を過ぎると急激に薄れる」
     たしかに、麻生政権時代の衆院解散は任期の直前でした。麻生総理は就任当初から「いつ解散するんだ?」というのがメインテーマのような政権でしたから、解散権の怖さは全くありませんでした。今の衆議院議員の任期は2014年12月にスタートしていますから、今年末が折り返し点。今なら十分にサプライズになります。

     もう一つ別の視点は、連立与党公明党の事情から説き起こす向き。もともと公明党は強固な支持基盤を持っているのが強みですが、衆参同日選ではなかなか候補者の知名度が浸透しないのでダブル選挙には否定的と見られてきました。
     しかし、ある与党担当記者は、
    「どうも公明党はダブル選挙も容認姿勢に転じてきている。その根底には、今の執行部、山口代表・井上幹事長体制を維持したいという思惑があるようだ。井上幹事長は議員任期を満了すると公明党の内規に引っかかって公認されない。山口・井上体制の次がまだ定まっていないだけに、この体制で引っ張るためにはダブル選挙しかないのだ」
    と明かしてくれました。
     ただでさえ、公明党は前回選挙の時に井上幹事長の続投のために内規を変更しています。

    『公明、定年制69歳に上げ 第1次公認34人発表』(2014年11月19日 日本経済新聞)http://goo.gl/xJ9eaP
    <同党(筆者注:公明党)は昨年末、定年制を定める内規を「任期中に66歳を超える場合は原則公認しない」から「69歳を超える場合」に変更。漆原良夫中央幹事会会長(70)、太田昭宏国土交通相(69)、井上義久幹事長(67)はこの内規に抵触するが、来春の統一地方選に備えて有力幹部の続投は不可欠と判断し、例外扱いとした。>

     そして、井上幹事長はある意味絶妙な日に生まれています。
    『井上 義久(いのうえ よしひさ)』(公明党HP)https://goo.gl/18NfCs
    <生年月日(年齢) 1947年7月24日(68歳)>

     参院選が行われると言われている7月10日にダブル選であれば、何とか68歳の内に投票日を迎えることになります。もちろん、任期中に69歳を超えるわけで、内規に引っかかることに変わりありません。ですが、支持者を説得するにしても69歳のボーダーを選挙前から踏み越えるか、一応選挙後に超えるかは説得力が違ってくる。その辺のせめぎ合いから、ダブル選挙も容認に傾いてきたというのです。公明党が容認に傾けば、決断は下しやすくなる。まだまだダブル選挙の線が消えない一つの要因になっているようです。

     ただ、熊本で地震があっただけに今ダブル選挙は無理だろうというのが相場観です。これについては、「歴史は繰り返す」という視点で説き起こす向きもあります。
     ある政界関係者は、
    「2011年の東日本大震災のときだって、発災当時はこの国難に与党も野党もないという雰囲気だったが、ゴールデンウィークを超えると当時の菅総理の内閣不信任案を出す出さないの話になった。結局、政局の思惑は災害を越えてしまうんだよ」
    と話してくれました。

     さて、総理はどのような判断をするんでしょうか?「火のないところに煙は立たず」という諺もあります。何となくの疑心暗鬼の空気があと2週間続きそうです。
  • 2016年05月09日

    熊本が前に進むために

     地震のショックから、熊本は立ち上がって前へ踏み出そうとしています。その復興の全体のデザインをどうするか、ゴールデンウィーク中に有識者会議の設置が発表されました。

    『熊本県、復興策定へ有識者会議...五百旗頭氏ら』(5月5日 読売新聞)http://goo.gl/0nhgd6
    <熊本県は4日、熊本地震の災害復興計画策定のため、東日本大震災復興構想会議の議長を務めた五百旗頭(いおきべ)真・同県立大理事長ら5人を招いた有識者会議を設置すると発表した。
     同会議は10、11日に会合を開き、緊急提言をまとめる予定。
     メンバーは五百旗頭氏のほか、東日本大震災復興構想会議の議長代理だった御厨(みくりや)貴・東大名誉教授、「人と防災未来センター」(神戸市)の河田恵昭センター長、経済政策に詳しい金本良嗣・政策研究大学院大特別教授、政治学者の谷口将紀・東大教授。(後略)>

     東日本大震災の復興構想を練った方々が再び結集。日本の英知を結集し一日も早い復興を目指すそうですが、東北の被災地は5年が経っていまだ復興半ばという印象です。熊本の被災地も同じようになってしまうのでしょうか?参考までに彼らが東日本大震災の復興構想会議でどのような議論をしていたのかを見ておくことは有益です。

     東日本大震災復興構想会議では、平成23年6月25日に~悲惨のなかの希望~という提言を発表しています。

    『復興への提言~悲惨のなかの希望~』(平成23年6月23日 内閣官房HP)http://goo.gl/WYtXu

     この提言の目次よりもさらに前に、「復興構想7原則」が示されています。ポイントは原則5。ここには、<被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す。>と書かれています。
     さらっと読むと、経済の浮揚と被災地の復興はセットだと思うでしょう。しかし、そう書かれているのは2文目までで、3文目で「復興」と「日本再生」という別の組み合わせが同時進行することを目指すとされました。
     「日本経済の再生」と、「日本再生」は似ているようで全く違います。「日本経済の再生」ならば、基本的に景気を良くするべく努力するのだと分かりますが、「日本再生」となると曖昧模糊としていて、人によってイメージするものが違います。当事者たちはどういったイメージだったのか?この会議の議長代理を務めた御厨貴氏は東日本大震災5年のインタビューに答えてこのように語っています。

    『「戦後」から「災後」の日本を憂う 御厨東大名誉教授に聞く 再生への闘い(5)』(3月10日 日本経済新聞)http://goo.gl/lQUwcD
    <もともと東北は過疎問題を抱えていた。そのまま復興してもしょうがなく創造的復興が必要になる。東北を日本の先端に変えることで日本が変わるというのが『災後』の言葉に託した意味だ>
    <ショックだったのは、被災地各地から出てきた復興計画が、もともと過疎化が進んでいたのに人口が増える前提にたったものが多かったことだ>
    <僕ら(=復興構想会議)の思いと違う『明るい未来』を描いていた。被災地の過疎問題への対応は全国レベルの解決策に持っていくべきだったが、そこまでの発展性は現時点でみられない>

     このインタビューの中でこの復興計画の目指すところを端的に表していたのが、「もともと過疎問題を抱えていた東北はそのまま復興してもしょうがない」という一文。そして、「創造的復興」、「日本の先端に変える」といった言葉を並べている一方で、後段では人口が増える前提の地元の復興計画を「僕ら(=復興構想会議)の思いと違う『明るい未来』を描いていた」と評しています。
     となると、復興構想会議の計画とは『明るい未来』ではないということになります。穿った見方かもしれませんが、「過疎を抱えた被災地はそのまま復興しても仕方がなく、明るい未来は描きようがない」とも読めます。これのどこが「日本再生」なのか...。

     なぜ、「日本経済の再生」が「日本再生」にすり替えられていたのか?その理由を、この提言書を読み進めていくと見つけることができました。
     このPDFファイルの45ページ目、冊子では37ページに書いてある、<(8)復興のための財源確保>の項です。ここでは、日本国の財政が危機的であることを縷々述べた上で(これも大いに疑問がある前提なんですが)、

    <こうした状況に鑑みれば、復旧・復興のための財源については、次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し、負担の分かち合いにより確保しなければならない。>

    としています。具体的には、
    <政府は、復興支援策の具体化にあわせて、既存歳出の見直しなどとともに、国・地方の復興需要が高まる間の臨時増税措置として、基幹税を中心に多角的な検討をすみやかに行い、具体的な措置を講ずるべきである。>

    と書かれています。そう。悪名高き復興増税が必要だと力説しているのです。そして、これは国の予算だけでなく、

    <地方の復興財源についても、上記の臨時増税措置などにおいて確実に確保するべきである。>

    と、とにかく増税増税増税。結果、まだ記憶に新しい復興特別法人税、復興特別所得税が課され、さらに、地方税の住民税も増税されました。これだけの増税があって、景気が浮揚するはずもありません。提言冒頭の原則5に戻れば「日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない」はずなんですが、増税しておいて日本経済再生など望むべくもなく、したがって「日本再生」という曖昧な文言に逃げ込む以外に方法がなかったんですね。

     今回の熊本の復興については、この復興増税の轍を踏んではなりません。日本全体の経済が浮揚することによって被災地の経済も回っていくのであって、全体の経済が停滞しているときに被災地だけが浮揚するなんてことは絶対にありえません。そもそもインフラが傷ついているんですから、まずはその傷を治して他の地域と同じスタートラインに立たせることが重要ではないでしょうか?さもなくば、インフラが傷ついている分だけ増税の痛みは被災地にこそ直撃します。仮に被災地は徴税されなかったとしても、経済の減速が直撃するのは他ならぬ被災地なのです。

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    日本全体でこの痛みを支えることは、増税を耐えることではない。(熊本県南阿蘇村)

     今日の地震非常災害対策本部会議に出席した熊本県の蒲島知事は、
    「県や市町村の財源基盤は今回の大災害に対応するには極めて脆弱だ。激甚指定を超える国庫補助の充実やウラ負担分の交付税措置等のさらなる財政支援なしには再生に必要な予算確保が出来ず、熊本の復旧復興が実現できない。復旧復興の前に財政が破綻してしまう。そこで、復旧復興事業の確実な実施のために特別な立法措置によって中長期的な財源の担保をお願いしたい」
    と発言しました。

     地方側が財源を心配するのは当然のこと。問題は、それを増税によって賄うのであればかえって復興は遠のいてしまうという事実です。
     折しも新発10年物国債の利回りもマイナスで推移しています。お金を借りる側の国としてはこれほど好都合なことはありません。莫大な資金需要があるこの復興期に、天が与えたこの好機。逃す手はないでしょう。まさに、「日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。」わけですね。

     熊本の有識者会議は明日、明後日行われる予定です。東日本大震災の際の有識者会議と同じようなメンバーだけに、同じ結論になるのか?それとも、違う道を示すことが出来るのか?おそらく大きな記事にはならないでしょうが、注目です。それこそ、日本の知識人たちが「戦後」の体質そのままの無反省を繰り返すのか、「災後」の新たな体質、反省を生かす新たな姿を見せられるのか?まさに真価が問われているのです。
  • 2016年05月02日

    被災地での自衛隊の働き

     熊本地震発災以降、行方不明者の救出活動、生活支援に献身的に活動を続ける自衛隊。発災から2週間を迎え今後は生活支援に軸足が移って行きますが、自衛隊は非常に大きな役割を果たしていました。先週の月曜のザ・ボイス生放送やこのブログの1つ前のエントリーでも報告した通り、私も先月23日~25日に熊本に入り取材をしました。特に南阿蘇村で活動する陸上自衛隊第17普通科連隊を中心に取材をしたんですが、避難所などで取材して感じたのは自衛隊のきめ細やかな支援でした。

     今回の地震では、物資が末端に行きわたらないということが問題になりました。いわゆるプッシュ型支援で各自治体にまでは物資が届きましたが、そこから先自治体は頑張るけれども手が回らない。一方、避難所の方は自治体が設けたオフィシャルなもの以外にも、各集落で自主的に集まった避難所もあり、自治体はとてもじゃないが手が足りず、そこまでケアできません。様々なモノが足らないという避難所側のニーズと、様々なモノの在庫は把握していても捌けずにいる自治体側。この目詰まりを、自衛隊が御用聞きのように各避難所を細かく回り、どこに何があるかを情報共有して回っていました。各部隊で連絡係を決めて、電話一本でなんでも相談に乗るという態勢を作っていて、実際に給水の実施や物資がどこにあるのかなどきめ細かくサポートしていました。自主避難所の一つ、栃木(とちのき)公民館の古庄区長は、
    「電話一本で何でも相談に乗ってくれる。感謝してもしきれない。大変ありがたい」
    と話してくれました。

     一方、行方不明者の捜索に関しては、先週火曜日で打ち切りになりました。

    『熊本地震 陸自、南阿蘇の人命救助終了』(4月26日 毎日新聞)http://goo.gl/lI0Khz
    <熊本地震で大きな被害を受けた熊本県南阿蘇村河陽(かわよう)にある高野台団地の土砂崩れ現場で25日午後、福岡県久留米市の早川海南男(かなお)さん(71)が遺体で発見されたことを受け、陸上自衛隊は26日、陸自担当の同村の人命救助活動が終了したことを明らかにした。>

    IMG_2980.JPG

     この高野台団地の現場にも入りしましたが、膨大な土砂を重機で除去し、要救助者がいるであろう一帯はショベルで土砂をどけてリレーで後ろへ送るという丁寧な仕事をしていました。降りしきる雨の中、状況が許せば交代しながら24時間態勢で捜索を続けていたんですね。

     南阿蘇村の土砂崩れ現場はこの高野台団地の他に、いまだ大学生が行方不明なままの阿蘇大橋付近、さらに2人が亡くなった火の鳥温泉でも捜索に当たりました。第17普通科連隊の岩上連隊長に火の鳥温泉での捜索の様子を聞くと、かなり厳しい現場であったようです。土砂が大量に堆積し、要救助者がいたであろう宿泊棟を含め建造物はほとんど跡形もなくなっていた現場。端から土砂をどけていたら、とてもじゃないが72時間以内に発見することは難しいことが予想されました。この72時間とは、災害における人命救助に関する用語です。

    『72時間の壁』(コトバンク)https://goo.gl/unxPKA
    <災害で救出を待つ人たちの生存率が急激に低下し、災害医療分野で生死を分けるタイムリミットとされる。>

     土砂がどの方向に流れたのかを調べ、土砂の中から出てきた家具の切れ端や調度品のかけらなどからどの部屋かをオーナー立会いの下確認。要救助者がいる可能性が高いと思われるところを集中的に捜索していきました。
     その一方、現場で一番恐れられたのが2次災害。国土交通省とも協力し、ドローンを飛ばして上空から土砂の様子を監視し、さらにガケの上に要員を配置し目視での監視も行いました。作業中に土砂に亀裂が見つかり崩落も懸念されましたが、作業続行。結果、72時間以内に要救助者を発見するに至りました。連隊長は、
    「残念ながら発見時にはすでに心肺停止状態だったということで命を救うことはできませんでしたが、72時間以内に要救助者を発見するという課せられた使命を果たすことはできました」
    と、安堵した表情でした。その安堵の中には、2次災害で部下をケガさせる、あるいは亡くすことなく任務を果たせた安堵も含んでいることでしょう。

     事ほど左様に、自衛隊はたとえ災害派遣であっても危険な現場に出動することがあります。不発弾処理や急患輸送を取材した時にも思い知ったんですが、自衛隊は最後の砦。民間や警察・消防も手を出せない現場にも、装備の充実した自衛隊は出ていくことができます。
     ただ、それだけ危険な現場に出ていく自衛隊員にこの国はきちんと報いているのか?調べてみると、心許ない現実がありました。少し古いデータですが、平成22年度の防衛省の政策評価の中間段階の事業評価の中に『近年の諸手当の改善及び見直しの状況』という項目があります。その資料の中に特殊勤務手当の概要がありました。

    『近年の諸手当の改善及び見直しの状況 資料』(防衛省・自衛隊HP)http://goo.gl/4oSdYi

     災害派遣等手当は1日1620円又は3240円です。この手当で、命の危険を顧みずに不眠不休で救助活動に当たり、24時間態勢で生活支援に当たっているのです。
     もちろん、隊員たちは「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」と服務の宣誓をしているわけですから、金額で動くようなことはありません。しかし、その心意気に甘え過ぎてはいないでしょうか?彼らにそう聞いても、「我々は国民のためにありますから」と答えます。しかし、風呂にも入らず被災地を走り回る彼らを見て、この働きに応えてあげたいなぁと思いました。
     ちなみに、自衛隊の装備予算の中に人件費も入っています。防衛費の膨張を批判する向きもありますが、せめて彼らの手当の増額くらいは許してあげたい。頭が下がる一方で、そう思いました。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

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