笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ

2020.02.24

2月23日放送後記 今田耕司のお笑いの原点!

今やテレビで見ない日はないくらいMCとして大活躍の

今田耕司さんがスタジオにお越し下さいました。

 

鶴瓶さんとは、今田耕司さんと東野幸治さんで

“バラエティの収録現場は毎回戦場だ”と意気込んで

ゲストのトークに対して全然笑わないような若手の頃からのお付き合いだとか。

当時、鶴瓶さんからは「もう少し笑たれよ」と何度も注意されていたとか。

その時に鶴瓶さんがぽろっと言っていた「笑てたらええねん」

という言葉がわかるようになってきて、今ではだいぶ柔らかくなったそうです。

そんな今田さんが芸人になったきっかけは、

15歳の時にバイトで入ったラーメン屋さんだったそうです。

小学生の頃までは人を笑わせることが好きで

積極的にいろんなことをしていたという今田耕司さん。

しかしその手法が特殊だったのか、

その場では笑っていた友人の親や担任の先生などの大人たちが裏で

今田耕司さんのお母さんに話していたそう。

それをお母さんが、今田耕司さん本人に

『あんた裏でなんて言われてるか知ってるか?』とそのまま伝えていたそうです。

そんなことが重なり、今田さんは“あんなに笑ってたのに裏ではそんなこと言うんや…”と

大人への不信感が募っていったそうです。

 

それからしばらくお笑いとは遠いところにいた今田耕司さんでしたが、

15歳の時にバイトで入ったラーメン屋さんが“ちっちゃい吉本”みたいな空間だったそうです。

そこで“こんなおもろい大人がおるんや!”と思った今田さん。

お客さんも来ないからとお店の中で寝ている店長や、

夜勤明けの朝から海岸でナンパを教えてくれた先輩たちなど、

自分より年上の人たちが自由にしている姿がおもしろかったそうです。

そんな時に、先輩たちから“お前もおもろいから入ったらええやん”と

NSCのチラシをもらったそうです。

当時は芸人になるには弟子入りや付き人からがベターだった時代。

芸人への憧れはあれど、その一歩が大きく感じていた所へ出てきた学校の話だったので、

とりあえず学校に通ってみようと入ったそうです。

それから、ダウンタウンさんに出会って、

廃止寸前の吉本新喜劇に参加して

そこでも多くの奇人変人に出会って…。

今田耕司さんにとって、

新喜劇は“芸人にしていただいた”ターニングポイントだったそうです。

 

それからたくさんの経験を経て、今では誰もが知っている司会者のひとり。

どんなジャンルの司会でもこなしてしまうその安定感は、

今田耕司さんがこれまで色々な人と出会い、

その人たちを観察してきたからなのかもしれません。

 

他にも、営業にほとんど行ったことがない今田耕司さん、

営業先で変なものを売らされた鶴瓶さん、

当時のおかしくも大変だったお笑い界のお話、

今田耕司さんのファミリーヒストリーの話など

盛りだくさんでお送りいたしました。

 

<2月23日にお届けしました曲>

I LOVE… / official髭男dism

青空 / aiko

エンディングテーマ曲は「日曜日の夕方フレンド / 堀尾和孝」です。

 

「日曜日のそれ」では、みなさんからいただいたメール&ハガキを読まれた方に

鶴瓶師匠が歌う「姉ちゃんへ」のCDをプレゼントしています。

ラジオ、テレビ、落語、ライブ、旅、海外と忙しい鶴瓶師匠です。

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パーソナリティ
  • 笑福亭鶴瓶
    笑福亭鶴瓶
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    笑福亭鶴瓶

    1951年12月23日生まれ。京都産業大学在学中六代目笑福亭松鶴に入門。関西でラジオ・テレビを中心に活躍した後、1986年から本格的に東京へ進出。ラジオ・テレビはもちろん、落語会やイベントにも積極的に取り組んでいる。2000年には上方お笑い大賞受賞。独特なパーソナリティ性が老若男女に愛されている。

パートナー
  • 上柳昌彦
    上柳昌彦
    上柳昌彦

    上柳昌彦

    誕生日:1957年8月1日
    星座:しし座
    血液型:B 型
    出身地:大阪府
    趣味:スポーツジム通い