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#4 前田智徳(広島)アキレス腱断裂から涙の復活アーチ

 

◎2002年4月5日 広島市民球場

 中日  0 0 0  0 0 0  0 0 0 = 0

 広島  0 2 0  0 0 2  0 0 X = 4

 HR (広島)前田1号

 

「前田智徳はもう死にました」「今プレーしているのは私の弟です」

 

2000年、左アキレス腱を手術した直後に、そんな言葉を残した広島カープ・前田智徳。力強くしなやかなフォームで、打球をヒットゾーンに運ぶ技術は芸術的と称された。三冠王3度の落合博満は現役時代に「今の日本球界にオレは2人の天才打者がいると思っている。1人がイチローで、もう1人が前田智徳だ」と語り、指導者になってからも「前田の打撃フォームはシンプルで無駄がない」と絶賛。中日監督時代には選手にも参考にするよう勧めたという。イチローも「僕なんて天才じゃない。真の天才とは前田さんのことを言うんですよ」と言ったほどだ。

 

しかし……プロ6年目の1995年5月、神宮球場で行われたヤクルト戦で、前田はセカンドゴロを打ち一塁へ全力疾走した際に、アスリートにとって重要な右足アキレス腱を完全断裂してしまう。ショートを守っていた池山隆寛(現ヤクルト監督)にも「ブチッ」という音がはっきり聞こえたそうで、選手生命が危ぶまれるほどの大ケガだった。

 

それでも懸命のリハビリを経て、翌1996年に復帰。守備・走塁時にこれまでのような全力疾走はできなくなったが、そんな状況でも105試合に出場して124安打、打率.313をマーク。1999年まで4年連続で3割以上+2ケタ本塁打を記録したのだからすごい。ただ右足をかばいながらプレーし続けた代償は大きく、2000年、今度は左足のアキレス腱が悲鳴を上げた。シーズン中の7月に前田は腱鞘滑膜の切除手術を受け、この年は79試合出場にとどまった。翌2001年は27試合出場で、ヒット数はわずか8本。ホームランはルーキーイヤー以来の「0」に終わった。

 

以降、両足が万全でないままプレーせざるを得なくなったことは、常に完璧を求めていた前田にとって痛恨の事態だったに違いない。「前田智徳はもう死にました」という言葉は、そんな辛い心情から飛び出したひと言だった。だが、自分には野球しかない。復活を期して臨んだプロ13年目の2002年、このとき30歳だった前田は開幕スタメンの座を再びつかみ取った。

 

4月5日、ホーム・広島市民球場で行われた中日戦に前田は「5番・ライト」で先発出場。この日の前田は打撃好調で、中日先発・山本昌から2打席連続でヒットを放っていた。そして6回の第3打席……前田は山本昌の投じたシンカーをとらえると、打球はバックスクリーン右へ。実に2年ぶりの、完全復活を告げるホームランだった。

 

ダイヤモンドを一周、ベンチに戻って来たとき、感極まった前田は周囲を憚ることなく号泣。試合後のヒーローインタビューでも「(チームに)迷惑をかけたんで」と涙を流したのは彼らしかった。この年、前田は123試合に出場して130安打を放ち、打率.308、ホームラン20本を記録。カムバック賞を受賞した。現役時代、タイトルには無縁だった前田にとって大きな勲章となった。

 

それから3年後の2005年、前田はチーム全146試合に出場。いずれも自己最多の172安打、32本塁打を放ち、打率.319をマークした。2007年9月には中日戦で通算2000安打を達成。両足が元の状態に戻ることはなかったのに、2013年、42歳で現役を引退するまで24年間にわたって現役を続けたのは驚くべきことだ。孤高の天才打者・前田智徳は、並外れた「努力の人」でもあった。

 

<チャッピー加藤>

 

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