12月2日(日)放送の番組では、日本対がん協会長・垣添忠生さんをお迎えして「奥様との最期の別れ」についてお伺いしました。
淵澤:「がんサバイバー・クラブ」についてお聞かせください。
垣添:がんサバイバーとは、癌を一度でも経験した人のことです。
これは日本だけではなくて世界中で、そう呼んでいます。
私が医者になった頃は、5年の生存率が40%を割っていました。
いまは65%ぐらいにあがってきています。
実際に「癌」と宣告されると、多くの人が、頭が真っ白になります。
「どうして私は癌になってしまったんだ」と落ち込んでしまいます。
そして疎外感や孤立感に悩みます。
治療中の場合は「いつ再発するのか」と恐怖に怯えてしまいます。
昨年の6月、日本対がん協会の中に「がんサバイバー・クラブ」という
事業を立ち上げました。どなたでも会員になれます。
少しの寄付を頂き、それを元に活動しています。
自見:実は垣添先生自らも50~60代で
早期の大腸がんと腎臓がんをご経験。
そして以前、講演を拝聴させていただいた時に、
癌で亡くなられた奥様のお話も、されていました。
垣添:私は癌患者でもあり、患者の家族でもあり、遺族でもあります。
若い頃は癌の基礎研究に対しても夢中で15年ぐらいやりました。
癌のあらゆる局面に立ち会ってきました。
私の妻は、甲状腺癌と肺の腺癌は手術で治しました。
3つ目の、わずか4ミリで発見した肺がんの一種・小細胞癌を
治すことが出来ず、亡くなりました。
自見:奥様の最期は?
垣添:私の口から「余命3ヵ月」と言いました。
そして家で死ぬために、外出届を病院に提出しました。
久しぶりに家に帰ってこれて大変喜んでいました。
それが12月の28日。
翌日から意識が切れ切れに。大晦日の朝から完全に意識がなくなり、
昏睡状態になって、夕方の6時15分だったかな。
突然、身体を起こしてパチっと両眼を開け、私の顔を見て、
右手で私の左手をギュッと握り、そのまま落ちて心肺停止に。
言葉にはならなかったけど「ありがとう」と言って
亡くなったんだと思います。
自見:生きることは死ぬこと。死ぬことは生きること。
という言葉もありますけど、垣添先生の生と死の向き合い方は、
その言葉そのものですね。
私たちも、たいへん考えさせられることがあります。