11月25日(日)放送の番組では、日本対がん協会長・垣添忠生さんをお迎えして
「子供の頃のお話」をお伺いしました。
淵澤:簡単にプロフィールをご紹介します。
日本対がん協会長・垣添忠生さん。1941年大阪府のお生まれ。
東京大学医学部をご卒業されて、泌尿器科医として膀胱癌や
前立腺癌などの治療にたずさわり、2002年から2007年、
現・国立がん研究センターの総長を務められました。
自見:この番組では、毎回ゲストの方に
「子供の頃」のお話をお伺いしています。
垣添先生は、子供の頃、どのようなお子さんでしたか?
垣添:小学校の2年生まで、大阪の社宅に住んでいて、
近くに大きな池があり4月ぐらいから泳いでいました。
また、周りには蛇や亀など爬虫類が多く出没し
夏になると木にはカブトムシが群がるなど、
自然と一体になった生活をしていました。
自見:お医者さん以外になりたかった職業はあったんですか?
垣添:父親や兄弟はみな文系でした。
私もそっちに行くと思っていたんですが、
大学に入って一般教養で一番面白かったのは「法学概論」。
法律のことが論理的で非常に面白かった。
もし、そのまま行っていたら法律に関係する仕事に
就いたんじゃないかなと思います。
ただ母親が昔から病弱だったこと、
そして子供の頃、生物などに触れあった原体験などから
医者の道に進みました。
自見:そして泌尿器科を選ばれた理由は?
垣添:医者の中でいろいろありますが
泌尿器科は外科と内科を同時にやれます。
自見:確かにそうですね。
淵澤:へえ~そういうものなんですか?
垣添:内科診断学といって、患者さんの病状や検査所見から、
病気がどこにあるのか?突きとめていくのが、とても好きでした。
神経内科に代表されるように、
診断がついても当時は、治療の手がなかった。
でも外科はメスで治せる。
だから外科と内科の中間みたいなところに泌尿器科があると。
ちょうど、日本で最初の腎移植が行われた時で。
移植医療も面白いだろうし。
結石でも癌でも、色々な面白そうなものが密集しているところだから。
泌尿器科になったのは、そんな理由からです。