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平野ノラさん。中3の文化祭で「アニー」を主演・作・演出。独りよがりのアニーでした

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1月28日(日)の放送では、平野ノラさんに芸人になったきっかけを伺いました。

尾木  子供の頃はミュージカルスターか、タカラジェンヌが夢だったそうですね。
    
平野  小学校3年生ぐらいの時に、ミュージカルの映画「アニー」を観ました。
    自分よりも小さい子供が歌ったり踊ったりしていることに衝撃を受けました。

淵澤  そして実現されたとか。

平野  中学3年生の時に文化祭で、ミュージカルのアニーを上演したんです。
    自分で主演、作、演出、すべて(笑)
    独りよがりのアニーでした(笑)

尾木  高校卒業後は、アルバイトをしながら夢を追いかけたそうですね。

平野  ミュージカル学校へ見学に行ったら、
    小学生が歌って踊っている姿を見て、わたし遅いんだと思いました。
    ダンススクールにも入ったんですけれど、
    子供の頃から明確な夢を持っている方や留学されている方など多く、
    私は勝てないなと思い挫折しました。

    ある時、劇団に所属している友人が芝居に出てみないかと誘ってくれて。
    その時に、アドリブが凄くウケたんです。
    嬉しくなってアドリブばかり言っていたら「ひとりでやれ」と怒られました。
    私はいつも、独りよがりなんだなと思いました(笑)
    でもその時、団体には向いていないと思い、芸人さんに向いているかもと。
    初めて芸人という職業を意識しました。
    
尾木  そして2016年にバブル芸人として大ブレイクされました。

淵澤  バブル芸人、ヒントはあったんですか?
    
平野  自分はコギャル世代、アムラー世代なんですが、
    30過ぎてコギャルはキツいかなと。
    そして「昭和」をやりたいと思いました。
    最初の頃はざっくり昭和をテーマにネタをやっていたんですが、広すぎて。
    ある時、お笑いライブのお客様のアンケートを読んでいたら
    「バブリーだね」っていうフレーズがあったんです。
    そこでバブルを調べたら、私の子供の頃の記憶が蘇ったんです。
    父(不動産屋さん)が土地を転がしていた、あの時代。
    自分の記憶をキャラクターに落とし込みました。

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