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平野ノラさん。バレーボールの強豪クラブ時代はスポーツ刈り

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1月21日(日)の放送では、平野ノラさんに子供の頃のお話を伺いました。

尾木  平野ノラさんは東京都葛飾区のご出身。
    お父様は不動産屋さん。いつも笑顔でお仕事されていたそうですね

平野  うちの父は仕事する時は笑顔。飲みに行くときは豪快。
    オンとオフがはっきりしていました。
    
    当時、バブル期で。机に不動産手帳というのがあって。
    それを見ると数えきれないケタの金額。そこに「決め」って書いてあって。
    すごいお金、動かしていると驚きました。
    父に「仕事楽しい?」って聞いたら「天職だよ」って。
    私はそれを聞いて、大人になったら転職と言える仕事に就きたいと
    思いました。大人が働くって楽しそうだなって。
    子供ながらに父の背中を見て、感じ取っていました。

尾木  小学校の時からバレーボールをやられていたそうですね。

平野  知らずに全国でも有名な強豪クラブチームに入って。
    それまで可愛らしい女の子だったんですけど、
    髪の毛も短くスポーツ刈りにして。
    
尾木  スポーツ刈り?

平野  そうです、切れと言われたわけではなく、
    自ら切りました。

尾木  男の子と間違えられなかった?

平野  間違えられるのが面倒くさいので、
    公衆トイレは男子トイレに入っていました(笑)
    
尾木  そして中学校、高校時代はキャプテンだったそうですね。

平野  まとめるのが大変でした。クラブチームで全国優勝したような選手たちが
    入ってくるので。まあ根性が座っているんですよ。
    そういう子と、中学からバレーボールをやりたい子、
    その狭間にキャプテンがいました(笑)
    そういう経験がなかったら、芸人になっていなかったと思います。
    根性だったり、上下関係だったり。
    
尾木  この番組では、子供の頃、影響を受けた1冊の本について伺っています。
    影響を受けた1冊、教えてください。

平野  小学校3年生の時に買ってもらった「ああ無情」です。
    バブル期は家族でいつも「シースー」か、焼き肉。
    お寿司屋さんに行った帰りに本屋さんに行くのが定番で。
    いつも、こども世界名作童話を買っていました。

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