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内閣府特命担当大臣の小倉將信。影響を受けた戦国武将、山中鹿介の言葉「願わくば我に七難八苦を与え給え」

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9月18日(日)の放送では内閣府特命担当大臣で衆議院議員の小倉將信さんに「子供の頃」のお話を伺いました。

淵沢  小倉さんは現在、こども政策、少子化対策、共生社会、男女共同参画、
    女性活躍、孤独・孤立対策の、内閣府特命担当大臣です。

自見  子供の頃はどのような性格でしたか?

小倉  学生時代の友達からは今でも
    「小倉が政治家になるとは・・・」とびっくりされています。
    政治家というと人前に出るのが好きな人、目立つのが好きな人、
    というイメージがありますが、
    私は学生の頃から、いや今でもそうなんですが目立つことが嫌いで、
    あまり人前でしゃべるのも好きではないんです。
    
自見  どちらかというと、引っ込み思案でしたか?

小倉  そうですね。

自見  子供の頃、将来、何になりたかったんですか?

小倉  親が医者だったので、
    中学ぐらいまでは医学部に行って、医者になると思っていました。
    でも手が不器用だったので、親から「お前は医者にだけはなるな」と(笑)
    まあ医者も含めて社会を支える、公の仕事に就きたいと思っていました。

自見  そして小倉さんは東大の法学部から日本銀行に行かれました。
    鹿児島の支店時代に「政治が変わらなければ、日本はよくならない」と
    思う出来事があったそうですね。

小倉  鹿児島支店の時に、お世話になった中小企業の経営者の方がいて。
    リーマンショックが起きて。
    小さいお子さんがいらしたんですが、経営が傾いて自ら命を絶たれてしまった。
    中小企業の経営者の方を支えられるような、
    金融のあり方を考えていきたいと思いました。
    そしてそれは政治でしかできないと考え、
    日銀をやめて、政治家になりました。

自見  そのような原体験があったんですね。
    この番組では子供の頃、影響を受けた一冊の本について伺っています。

小倉  子供の頃から伝記を読むのが好きで、人の一生を見るのが好きでした。
    印象に残っている伝記は山中鹿介。
    戦国時代の武将で尼子家の家臣でした。
    毛利家に攻め込まれて、全滅してしまうんです。
    そして尼子家を再興しようと頑張った方です。
    月山富田城に住んでいたんですけど、
    毎晩、毎晩、月に向かって「願わくば我に七難八苦を与え給え」と言っていた。
    何度も苦しい思いをした方が、将来、成長してよくなるという意味です。
    そのために、むしろ苦しみを与えてくれと。
    すごい心掛けだなあと感じました。

    伝記を読み、様々な先人の一生を見ていたので
    自分が厳しい局面に遭遇した時、
    どのように生きていけばいいのか、
    様々なアイデアを練ることができます。

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